あまりの出来事に声もなくギョッとした。
 そのときのわたしは一瞬ここがどこかなんて忘れて危うくその姿にうっとり見惚れてしまう──が、しかしすぐに正気に戻り、慌ててその場を凌ごうと背を向けたが遅かった。

「久しぶりだな」
「あっ、え、手塚だっ! ほんと久しぶりー! え、どうしたの? こんなところで……」

 こんなところ──そう、何を隠そうここは『婚活パーティー会場』。
 都内にあるホテルのレストランをワンフロア貸しきったそれはそれは華々しい会場に集まっているのは、結婚を希望してよりよい出会いを求めて集まる男女、ざっと三十余名。
 おおよそ、手塚国光──プロテニスプレイヤーとして世界を股にかけて活躍する人──が来る場所とは思えない。

「不二に勝手に申し込まれた。キャンセルしようと思ったんだが、男性の参加人数が足りていないらしくどうしてもと頼み込まれて断れなかった」
「そ、そうなんだ……そりゃ大変」
「そういうおまえはどうしてここにいる?」

 いやいやこの場でそれを訊きますか? という話だ。
 結婚がしたくて、結婚がしたくて、結婚が……というか恋人すらいない寂しい生活にピリオドを打ちたくて一念発起しました、なんてかっこわるすぎて言えるはずもない。

「あ、えっと……わたしも友達が勝手にエントリーしちゃって……なんて……アハハ……」

 手塚は「そうか」とすんなり納得してくれたが、本当は内心こんなところにこんな格好で来ちゃってるわたしを哀れんでいるのかもしれないと思うとどっと気落ちする。よりにもよってばっくり背中の空いた大胆なワンピース。気合が入ってるのがモロバレだ。
 しかし、それを言うなら手塚だって一見しただけで質がいいとわかるスーツをさらりと着こなしているのだから同罪だ、ということにしたいが、彼の世界的というポジションを考えれば、これくらいの物を身につけていて当然で、わたしの馬子にも衣装とはわけが違うのだ。
 なにが悲しくてこんなところで同級生と再会しなくてはならないのか……。
 あたりまえだが、そんなわたしの事情なんてお構いなしに、会はつつがなく進行していった。
 今日の会は基本立食形式で、面と向かって一対一で自己紹介もなしのかなりラフなスタイル。そんなとこも気楽でいいかと参加を決めたのだが、こうしてみるとあからさまに人気ランキングがわかってしまうのは盲点だった。
 顔、スタイル、身につけてる物、醸し出す雰囲気、それらすべてを一瞬で見極める能力がこの場では重要らしい。
 いつまでも壁際に立っていてもしかたがないし、それはそれでお高くとまっているようで感じが悪いに違いない。勇気を振り絞ってそれとなく近くのひとに自分から声をかけてみた。

「こ、こんにちは。あ、あの、それこっちのソースかけると美味しいみたいですよ」

 ちょっとどもったけど、最大限の笑顔はつくれた。その間に胸元の名札にさっと眼を走らせることも怠らない。
 鈴木孝良、三十二歳、総合商社営業職。うん、たぶん悪くない。
 相手もわたしの名札をさっと見たのがわかった。目線が上がり、パチリと眼が合う。「そうなんですね、ありがとうございます」とにこにこと返され、つられて頬が緩んだ。よかった、嫌がられてはいない。あっちで一緒にお話しながら食べませんか、そう言いかけたところで、目の前の男性がギョッと一歩退いた。え、なに? と反射でわたしも振り返るとわたしのすぐ後ろに手塚が無言で立っていて、わたしも男性と同じくギョッとする。

「え、なに?」
「いや、そこのシャンパンを取ってくれないか」
「あ、シャンパンね、はい」

 シャンパンを受け取ったのに手塚はその場から動こうとしない。
 そうこうしているうちに男性はわたしたちから離れていった。無理もない。真顔の手塚の圧と言ったら……。
 その後も手塚は、カルガモの雛のごとくわたしの後ろを着いて歩いた。わかる、わかるよ、手塚。こんな慣れない場所で知らないひとに囲まれるの嫌だよね。しかも不本意なんだもんね。
 会がはじまった当初はひそひそと遠巻きにされていた手塚だが、そこは女性の方が社交的だからか、あっという間にとり囲まれた。その勢いは鯉の池に餌を撒いたかのごとく、ちょっとこっちが引くくらいのもんである。こんなところでもまさに手塚ゾーン……なんちゃってとこの場の誰にも通じなさそうなネタを心の中でぼやいて、その光景から眼をそらしたのはかれこそ数十分くらい前のことだ。
 たぶん、そういうのがまとめて嫌だったのだろう。わたしに着いて歩けば、さすがに大人数にいきなり囲まれるなんてこともない。ときどきチャレンジャーがいたにはいたが、それもわたしにいちいち話を振ることで無効化しているんだからなかなか上手いものだ。
 だから、一番とばっちりを受けたのはわたしである。そうしていなされた女性はおおっぴらではないにせよ一様にわたしを「なんだこの女」という鋭い眼差しで見たし、男性は手塚に気後れしてかわたしの半径五メートル以内に近づこうともしなかった。男性はプライドが高い生き物だという。今年ウインブルドンで勝利を収め、世界ランキングに名を連ねるような男と誰が好き好んで天秤に乗るものか。
 気が重い会もやっと終盤となり、アンケートを記載する時間が設けられた。そこには今日話して良さそうだと思う相手がいたら、名前を書くことになっていて、それが両者一致すれば、晴れて連絡先交換という運びになる。
 言わずもがなだが、わたしはほとんど誰ともしゃべっていない。それでもなんとか覚えていた相手の名前を記入したが、それでカップル成立するはずもなく成果なく今日この会を終えることになった。
 はぁ、と重い重いため息がこぼれた。
 疲れた。心底疲れた。カップルが成立しなかったとなるとまた次回も、とすぐに案内を受け取ったが、応募する気には到底なれない。
 早く帰ろう。帰ってひとりの部屋で缶ビールでも開けよう。
 なのに、今日の敗因、手塚がわたしを引き留めた。

「え、手塚もカップルになれなかったの?」
「……ああ、そのようだ」
「今日この場で手塚の名前書かなかったひとなんているんだね」

 見る目ないね、と手塚を励ますと、「帰るのか?」と訊かれた。まったく気にしていないらしい。さすがプロテニスプレイヤー。テニスってメンタルのスポーツらしいもんね。というか、これだって成立しなかったのは、手塚が悪いのではなく相手が恐れ多いと恐縮した結果だろう。実にもったいない話だ。

「じゃあ、えっと、乾杯」

 そういってグラスを目線の高さまで上げた。チンッて鳴らしちゃいけない。そんなことくらいわたしでも知ってます。
 婚活パーティーの会場を出て、さぁどこへ行こう、近場の店を調べようかとスマホを取り出しているうちに、手塚が慣れた仕草でタクシーを止めた。それからあれよあれよという間になんだかいい雰囲気のバーに連れて行かれる。なんでもそつなくこなすところが手塚らしくはあるが、これはなんだか手慣れすぎていて逆に不安になる。いやでもそうか、もう二十五歳だもんね。なんとなく手塚が遠くに感じられて寂しくなった。ま、近くに感じたことなんてないんだけどね、ただの同級生だし。

「どうかしたか?」
「なんか不思議だなって……。こうやって手塚とお酒呑むなんて」
「そうか?」
「そうだよ~。だってあの堅物の生徒会長が……ってごめん、悪口じゃないよ?」
「ああ、わかっている。それを言うならおまえだって……」
「わたし?」
「いや……なんでもない」
「『婚活パーティー』なんて?」
「いや、そういうわけではないが……。そういう相手はいないのか?」
「いたら来ちゃダメでしょう。もう、ほんとおかしなこと訊くね、手塚」

 惨めだな。同じ二十五歳なのに、わたしはなにも持っていない。だからわかりやすく空いた穴を埋めたくてなんだか世間体の良さそうな“結婚”に手を伸ばしてはみたが結果はご存知の通り散々。きっかけはいろいろある。一番の親友がちょっと前に結婚したり、両親がそれを聞いて実は裏でやきもきしていると知ってしまったり、職場の先輩が「結婚はいいぞ」なんて飲み会で盛大に惚気るのを聞いたり。でも、一番はウィンブルドンで手塚が優勝したことだ。バカな話だが、そのニュースをテレビで知ってわたしは思い知ったのだ。
 ああ、ほんとうに手塚はもう別世界のひとなんだなって。
 そんなこともう当たり前のことなのに。

「ごめん、ちょっと酔ってきちゃったかも。そろそろ帰ろうかな。手塚はゆっくりしてってね」

 高いスツールの足に慣れないヒールが引っかかり体がよろけた。最後までかっこわるくて情けない。これで泣いてしまったら、後戻りができなくなる。せめてなんだか気のいい同級生。それくらいのポジションを保ったまま終わらせてほしい。
 わたしの体を咄嗟に受け止めた手塚の手がそのままわたしの腕を掴んで動かない。掴まれているところから熱が帯びていく感覚に怪訝に思い、視線を上げた。すると次の瞬間──……。
 わずかにワインレッドに染まった手塚の唇が自分から離れていくのをぼうっと眺めているうちに会計は終わっていた。
 あとから知った話だが、手塚は今日わたしが婚活パーティーに参加することをうちの母、不二の母、そして不二という経由で事前に知っていたらしい。