「自分、いつも服とかどないして選んどるん?」

 突然の問いかけに彼女であるはきょとんとした顔を侑士に向けた。
 その表情は実年齢よりいくぶんか幼い。スッピンに部屋着というスタイルだからかもしれないが、ふだん外ではしっかりしている彼女が自分にだけ見せる姿だと思えば愛おしさが自然と増した。
 洗い立てでシャンプーの香りをふんわりまとった彼女のスベスベの髪を撫でながら、侑士は自宅のリビングのソファに深く腰掛ける。
 今夜は久しぶりのお泊まりデートだ。

「え? わたし、ダサい?」
「ちゃうって。いつもかわええよ」
「でも好みのタイプじゃない的な??」

 ちゃうって、と苦笑い。彼女はどうも少々ネガティブな一面があるようで、さりげなく褒めても本気にしてもらえないどころか、逆効果なこともしばしば。
 まぁ今回の質問は質問自体がふんわりしすぎていて、彼女が質問の意図を理解できずにいるのも無理はなかった。

「外とか一緒に歩いててもあんまり買い物したりする姿見いひんなって。ふだんネットとかで買おてるん?」
「そうですね。ネットが多いかな。でも、実店舗でも見ますよ。お買い物自体は好きだし、シルエットが大事そうなものは試着してから買いたいし」

 そろそろ季節の変わり目だしなにか新調したいなあととなりでスマホを取り出しなにやら検索をはじめた彼女に「せやったら、明日一緒に買い物いかへん?」と誘ってみる。そもそも明日も一日一緒にいる予定だったが、どう過ごすかまでは決めていなかった。
 自然な流れだったと思う。ショッピングデート。そんなアブノーマルな行為でもあるまい。なのに、彼女は「え」となぜか言葉を詰まらせた。

「え? わたしの洋服の買い物に? 一緒に来るんですか??」
「そやで」
「それ楽しいですか?」
「楽しいんとちゃう?」
「どこが???」

 どこがって……。彼女がなぜそんなに困惑しているのかいまいちわからない。彼女は心底理解できないといった様子で眉間にシワを寄せている。

「わたし、決めるの時間かかるし、時間かけたくせに買わないとかザラだし、いろんなお店比較検討したいからその日はすごく歩いたりしますよ?」
「そらええ運動になりそうやな」

 ほな決定と強引にまとめて、話を終わらせた。彼女はまだなにか言いたそうではあったが、これ以上強くは主張してこなかった。そんなところも彼女らしい。基本的に押しに弱いのだ。

 ただ、一晩経ち、朝ごはんを一緒に食べていると再度「本当に今日わたしの買い物に一緒に行くんですか?」と念押しの確認があった。ここまでくると笑えてくる。なにも自家用ジェットに乗ってパリで買い物しようと言ってるわけじゃない。残念だが、どっかの誰かさんと違って自分にはそこまでのバイタリティはない。いや、彼女が願うなら考えてもいいが。
 彼女は今回のことだけじゃなく、こうしたいだとかこうしてほしいみたいな要求が少ないから、彼氏がいがないのが少し残念ではある。
 もっと甘えてくれていいのに。つまるところそれが侑士の本音だった。

「まあええ機会やし、俺の服も選んでくれへん?」
「え! いいんですか!」

 それは喜ぶんかいっ! と内心ツッコミを入れる。自分は選びたいのに、俺には選ばさせてくれへんのか。
 そこで「あ」となんとなく彼女の一連の言動や態度に合点がいった。

「別に俺の好み押し付けたいとちゃうから、自分は自分で好きなの選んでええんやで」

 たぶん彼女はそこを一番気にしていたのではないのだろうか。本人も買い物は好きと言っていたし、ふだんの服もそれなりにこだわって選んでいるのはなんとなくわかっていた。そこに口出されそうになって身構えた、そんなところかもしれない。押しには弱いが、なんでもかんでもすべて受け入れるというわけじゃない。そこに彼女なりの芯があって、彼女のそのまっすぐさを侑士は気に入っていた。

「……わたし、『これとこれどっちが似合う?』みたいなかわいいこと絶対訊かないから、本当に面白くないと思いますよ?」
「迷ったらどないするん?」
「買いません」
「ハハハ、しっかりしとるな」

 それからそれぞれ出かける身支度を済ませ、家を出る。
 彼女の希望で行き先は駅近の商業施設になり、今日は電車で移動することになった。
 まだ春になりきらないが、ダウンを着込むほどではない。厚手のジャケットの中にセーターを着込み、細身のスラックスを履いた。彼女は彼女で、ベージュのスプリングコートを身にまとい、春を先取りしたような萌葱色のスカートを風にたなびかせていた。指先はきれいな薄紅色で、細い金の指輪が品よく並んでいる。昨夜の無防備な様子も大変好ましいが、よそゆき用に整えられた彼女もそれはそれで魅力的だから困ったものだ。自身がその魅力をあまり理解していないこともひっくるめて。
 スッと彼女の手を取り、指を絡ませて歩く昼間のデート。その健全さが甘酸っぱい。大人になってもこんな経験ができるのは彼女相手だからだろう。
 目的地に着くと、彼女は宣言通り、黙々と自分の服を選んだ。鏡の前で服を当てて、ときには試着もする。「どう思う?」なんて訊いてこず、試着室から出てくるときは、もう選んだ服は脱いだあとだった。ざっと十軒以上は見ただろうか。まだ特にお気に召すものはないらしい。

「ここ、かわいいんだけど、ん〜〜」

 そう言って素通りしかけた店は確かに、さっきまで覗いていた店よりは単価が高そうで敷居は高い。とはいってもいわゆるブランド品というわけではないから値段もそこそこであろう。そんな予測でふと値札を見れば、思っていたより値が張り、正直驚いた。珍しくポーカーフェイスが崩れていたのか、眼が合った彼女が「でしょ」とイタズラげな眼差しで笑う。

「せやけど見るんはタダなんやしせっかくやから見てったらええんとちゃう」
「え〜見たらほしくなっちゃう」
「ええやん、ほしいもん見つけるために来たんやろ」

 思ったより買い物デートを楽しめているようで機嫌のいい彼女は、「なら」と店に入った。
 ゆっくりと歩きながら、視線を左右交互に動かし、楽しそうに店内を見て回る。自分たちが入ったのとは反対側の出口まで来て店内を一周してしまう直前、彼女は一点のワンピースを手に取った。春らしい白い総レースのロングワンピース。鏡に当てて、「ん〜〜〜っ」と彼女が唸った。試着するまでのない。ものすごく彼女に似合っていた。なによりそのワンピースを一眼で気に入っているのが彼女の表情からわかる。

「そちら再入荷した春の新作なんです。前回分はあっという間に売り切れてしまったんですが、それがやっと今日一点だけ入ってきて」

 店員がすかさず彼女に商品を勧めた。彼女がますます「ん〜〜〜っ」と悩ましげな声を上げた。

「まぁとりあえず着てみたらええんとちゃう?」
「え〜〜そんなの絶対買っちゃう……」

 まだ迷う彼女の背中を押して試着室へ向かわせた。「着たら見せてな」と言えば、数分後彼女はワンピースを着たまま、試着室のカーテンを開けてくれた。

「めっちゃ似合うてるで」
「はい! すごくお似合いです!」

 店員と彼氏にベタ褒めされ、彼女はますます「〜〜〜〜っ」と声なく悶えた。でもまだ決心がつかないのか、「とりあえず脱ぐね」とカーテンはすぐ閉められる。
 彼女が迷っている理由はおそらく値段だろう。確かに休日しか着られなさそうかつ薄地で着られる季節も限られているワンピースにこの値段は、という彼女の感覚もわかる。でも、似合っていたのは確かだし、なにより袖を通してうれしそうな顔をした彼女の笑顔はなによりプライスレスだ。
 試着室を出て「ありがとうございました」と返したワンピースを店員が笑顔で「お包みしますね」と持っていく。「え」と驚いてる彼女はハッと気づいたようにとなりの侑士の顔を見上げた。侑士はニヤリと笑う。

「ホワイトデー、やろ今日」
「え! あ、そうか! え、もしかしてそもそも今日はそれでお買い物だったんですか?」
「気付くん遅いわ」
「ええ、そんなの気づけませんよぉ! あ、え、でも、こんなのわたしもらいすぎてる! わたしがあげたチョコこんなに高くない!」
「ホワイトデーは十倍返しが基本やろ。むしろ俺からしたら足りひんくらいや。それに似合う靴もバッグもまとめて買おたろか?」

 いいですいいです〜と本気で焦る彼女をハハハッと笑う。
 店員からワンピースが入った袋を受け取って店を出た。心なしか、入ったときより気温が上がり、春めいた予感がした。買ったワンピースを着られるようになる季節はすぐそこだ。

「男が女に服を贈る理由、知らんかったら、今度会うときまでに調べておいてな」

 宿題やで、と彼女の耳元で囁いて侑士は最後の仕上げを完成させた。