これどう思う? とわたしは自分のスマホ画面を向かいに座る友だちに見せた。覗きこんだのを確認してから再生ボタンを押す。
 本来なら音は切るのがマナーだろうけど、ここはひとがごった返す昼休みの食堂。こんな音くらいでは迷惑になりようがないくらい騒がしいから問題はないはずだ。そこに「なにこれ、ハメ撮り?」とたまたま通りかかった同じゼミの男子もやってきて、わたしたちに断りもなく画面をのぞきこみながら、わざわざ椅子を持ってきて同じテーブル席に腰を下ろした。そのデリカシーのなさにうんざりするが、ここは男子の意見も聞いた方がいいかもと思いなおして、おっぱらうのはやめた。
 約三十五秒の動画あっという間に再生が終わった。

「で、なにこれ?」

 二人から返ってきたシンプルな感想。そりゃそうだ。画面はずっと暗めで、男女数名がカラオケボックスでわいわいはしゃいでることがなんとなくわかるくらいの情報量しかない。大学生らしいといえばらしいシーンで、既視感のある雰囲気ではある。

「これさ、こっちの子がこの動画アップしてる子で、そのとなりに座ってる金髪がわたしの彼氏なんだよね」

 うん、それで? とそこまで説明しても、二人はこれの何が問題なのかと不思議そうである。まあ、確かに。この動画だけ見せても、わたしが考えていることは伝わらないのは当然だ。

「え、てかさ、この動画どうやって見つけたの?」

 そうそう! そこが今回の一番のポイント! よく気がついてくれた! なんとまさかの……。ということで、詳しい経緯を二人に説明する。
 かれこれ数週間前、わたしのSNSにフォロー申請がきた。たいして運用していない趣味のアカウント。制限はつけていないので誰でも見えるアカウントではあるが、フォロワーはほぼ知り合いのみ。そんなアカウントに突然知らないアカウントから申請がきたので驚いた。「だれ?」である。でも、見られて困るようなアカウントではないので、フォローを許可した。その子のアカウントページに飛ぶと、どうやらその子は同世代の女の子らしいこともわかる。いいねをつけあって、少しだけコメントのやりとりもしてそのときはそれで終わった。
 フォローをしていると自分のタイムラインにその子の投稿が表示されるのは当然だった。その動画を見つけたときも最初は「へ〜楽しそう〜」としか思わなかったが、一緒に写り込んでいるのが自分の彼氏だとわかると状況は変わる。

「絶対確信犯だね」

 とわたしの気持ちを代弁してくれた友だちに拍手。「やっぱりそうだよね? わたしの気のせいじゃないよね?」と言うと、「一瞬でも気のせいかも? って思えるお花畑さが のいいところだよね」と容赦無くディスられた。グサッとはくるが、いまはその正直な意見がほしいので我慢だ。

「こんなのさ、こっちはラブラブな動画アップして、やり返せばいいじゃん。あんたらは友だち〜こっちは恋人〜って」
「……やられたらやり返すって感じ悪くない?」
「いや、向こうからふっかけてきたんだからいいでしょ」
「謙也くん巻き込みたくないっていうか」
「いや巻き込むっていうか原因おまえやんって話だけど」

 たしかにそうなんだけど……と尻つぼみ。というか、そうできない理由はほかにあって……、と本当にだんだん気がめいってきた。

「……最近全然会えてないんだよね、向こう学校で忙しいみたいで」
「医大生なんだっけ? そりゃまぁ忙しいだろうけど、友だちとはカラオケには行けるんだね」
「〜〜やめてやめて現実をわたしに突きつけないで!」
「いや、じゃあなんでこの動画わたしに見せたのよ?」

 本当にそうだよねごめん、とスマホをしまった。戦う気のまるでない意気地なしのわたしを見て友だちが、はぁとこれ見よがしなため息をついた。

「付き合ってどれくらいなんだっけ?」
「……もうすぐ二年」

 これまでカレーを頬張りながら適当に聞き流していた男友だちが「倦怠期ってやつ?」と無邪気に聞いてくる。わたしの代わりに友だちが肘鉄を喰らわせてくれて、少しだけ救われたが、実際その言葉にドキッとしたのも確かだ。
 付き合って以来、小さなケンカすら一度もない。彼氏である謙也はとにかく優しくて、明るくて、彼女であるわたしをとても大事にしてくれている。浮気など疑ってはいないが、関係自体には波がないので、刺激は少ない。そこにわたしは安心感を抱いていたが、謙也の方も同じかどうかはしょうじきわからない。

「わかりやすくさ、下着とか変えてみたら? セクシーランジェリー的な」

 長く付き合っていくにはそういう工夫も必要なのかもしれないとは感じていた。

「……変えたとしても見せるタイミングない」

 謙也は一人暮らしで、そういうことをするなら彼の家でというのがお決まりだったが、謙也の家はわたしの家からも学校からも遠いので、そもそもそういう機会自体めっきりご無沙汰だった。それもわたしの不安を煽る原因になっていた。

「全然会ってないわけじゃないんでしょ? ならそのとき見せればいいじゃん」
「え、外で会うのにどうやって見せるの? 突然外で捲り上げるの? 痴女すぎない?」
「見せるの無理なら言えば? 『今日かわいいの履いてるよ♡』的な」
「え? その前後にどんな会話すればいいの? 突然そんなこと言うの? それも痴女じゃない??」
「じゃあもう痴女でよくない?」
「よくない!」

 なんて不毛な会話なのだろう。でも本当にそういう刺激の取り入れ方もあるとはわかりつつ、実行にはうつせずにいた。

「拗らせてんね〜」

 わたしは項垂れるしかなかった。

 わたしたちのはじまりは彼からだった。
 ある日わたしのバイト先であるケーキ屋に彼が訪れて接客したのだが出会いだ。若い男性が一人でケーキ屋に来るのは珍しかったし、なによりその人懐っこい笑顔と金髪が印象的でよく覚えている。ケーキの説明をいろいろわたしに聞きながら一生懸命ケーキを選ぶ彼の姿を見て、きっと彼女になんだろうなあ、なんて微笑ましく思ったのも記憶にある。
 だから、次の日もその次の日も立て続けに彼が店にやってきて、そしてその三回目の来店後、連絡先を渡されたときはほんとに驚いた。「友だちからでええんで、よろしくお願いします」と頭を下げられてさらに驚く。でも、悪い気はしなかった。なんなら、うれしい気持ちの方が大きい。しかも、わたしの気持ちも考えて、友だちからでもと言ってくれた気遣いもすてきだなと思った。要は友だちからとは言いつつも、この時点でわたしの方もすでに彼をすきになっていたということだ。
 でも、そんな経緯だからか彼はいつまでも自分の方が気持ちが大きいと思ってる節があった。
 そんなことない。わたしもすきだよ、と自分の気持ちが伝わるように努力はしてみたが、それがどれくらい伝わっているかはわからない。
 相手に負担なくちょうどいい大きさの好意を伝えるのは難しい。
 すきを伝えたいけど、それが重すぎればそのまま重みになってしまう。
 優しい彼の負担にはなりたくなかった。
 ……うそ。重いって思われて嫌われなくなかっただけ。
 そう怖くなってしまうくらいこの二年という月日で、わたしのすきはわたしの中に降り積もって重しになっていた。

◇◆◇

「今日は絶対帰る!」

 と俺は実習前にみんなにわざわざ宣言する。最近実習が増えて予定通りに終わないことも多く、このまえなんて久しぶりの映画デートをドタキャンするはめになってしまった。同じ過ちを絶対に犯したくない。いつも以上に真剣に、いつも以上にスピーディに。それには同じ班の仲間にも協力してもらう必要があるから、まずは俺の状況を把握してもらう意味の宣言である。

「このまえのドタキャン、彼女なんか言ってたあ?」

 と同じ班の女子が聞いてきた。こいつはひとの恋バナが三度の飯よりすきで、俺に根掘り葉掘り聞いてきては、俺を笑い者にする要注意人物だ。でも、ときどき親身にはなってくれるので悪いやつではない。

「……『わかった。実習がんばってね』って」
「うわ、なにそれ、ほんとにそれだけ? AIより心こもってなくね?」

「俺の彼女はとびきりええ子なんですぅ」と強がってみたが、やはりそうかとも思う。ドタキャンしたのはこっちでなにか言えた義理ではないのも重々承知だが、なんかもうすこしリアクションがあってもと思うのがふつうの感覚で合っているらしい。
 控えめなところが彼女らしくはあるが、それは同時に自分への愛情の薄さにも繋がるのではないかと不安になるのも確かで。
 俺の一目惚れではじまった交際だ。愛情の大きさに差があることは受け入れている。それでももう二年も経つのだから、もう少しすきになってくれても……なんて大それた願いなんだろうか。
 とはいいつつ、交際自体は順調に続いていた。最近俺のせいで会う時間は減っているが、それでとくに心の結びつきが弱まってる気はしない。彼女はとても穏やかで、たいていのことなら、いいよ、と笑って許してくれた。いまだかつてケンカらしいケンカすらしたことがない。これもひとえに彼女の優しさのおかげだった。
 なんとか予定通り実習を終えて、俺の家の最寄り駅で待ってくれている彼女のもとへ猛ダッシュで急ぐ。
 会うのは実に一カ月ぶり。俺を見つけてにこっと笑って手を振りながらこちらへ急ぐ姿を見て、ああやっぱりすきやなあと何度だって惚れ直す。この子、俺の彼女です! って世界中に自慢して駆け回りたいくらいの気持ちをなんとか押し込めて、俺も彼女に駆け寄った。
 彼女が俺の家で手料理を振る舞ってくれることになっているので、駅前の庶民派スーパーへ。カゴを抱えながら、新婚みたいやなあなんて浮かれていたら、知らない男が突然彼女の肩を叩き、話しかけてきた。「誰や!」と思うと同時に声になり警戒したが、どうやら彼女の学校の友人らしい。そいつは俺が持っているカゴを覗き込み、「へ〜今日が本番ってわけね。ふ〜ん」とニヤニヤ笑い、彼女にどつかれていた。その様子から二人が相当親しいことを察する。勝手ながら彼女に異性の友人がいることに少し驚いた。

「あ、思い出した」

 と男は俺の顔を見てなにやらゴソゴソの自分のかばんを漁りだす。そして、財布を取り出し、その中から千円札を二枚抜いて、それを「こないだの映画代」と言って彼女に渡した。

「ちょ、なんでいま? ていうかPayPayにしてっていったじゃん!」
「いや、思い出したときにやんないとまた忘れんじゃん。奢ってくれるなら全然いいけど」
「やだよ。奢る義理ありません」
「独りさびしく映画鑑賞になるところだったの救ってやったじゃん」

 なんて会話が続いてさすがに察した。この間、俺がドタキャンした映画だ。その映画をどうやら彼女はこいつと見たらしい。俺がなにも言えないでいると、そいつは用事は済んだとばかりに「ほんじゃ!」と手を挙げて、さっさと去っていった。まるで嵐。
 彼女が「ごめんね」と俺に謝る。きっと自分の知人がうるさくして迷惑をかけてごめんね、みたいなやつだと思うけど、すごくもやもやした。でも、そもそも悪いのはドタキャンした自分だ。そう思って、できるだけさっきの出来事は頭から消し去る努力をする。会えていなかった間、溜まっていた話したかったことを家に向かう道中でベラベラしゃべった。彼女も俺のあほみたいな話に声をあげて笑ってくれる。いつもどおり。でも、結局家についてもそのもやもやは完全に消え去ることはなかった。
 家について、彼女が手を洗い、さっそく料理を始めようとエプロンを後手で結んでいるのを眺めていたら、どうしても我慢できなくなってしまった。

「なあ、その……さっきのやつと映画一緒に観たん?」

 たっぷりの間を空けてから彼女が「うん」とだけ答えた。

「そもそもドタキャンしたん俺やし、文句言う権利ないことくらいわかってんねん。わかってんねんけど……すまん、めっちゃ嫌や」

 どうしようもない身勝手な気持ちが止められず、そのまま言葉になってしまった。かっこわるいにもほどがある。もっと余裕をもって彼女には接したいのに、二年経ったいまでもどうしてもそれができない。すきすぎてなんて聞こえはいいが、ただ自信がないだけだ。
 彼女が囁くみたいな小さい声で「ただの友だちだよ」と言ったのがなんとか聞こえた。

「それでも向こうはどう思ってるかわからんやろ。あわよくばっちゅうんが男やで」

 俺だけがでかい声を出して、彼女は黙ったまま。そのまま、エプロンをはずして、床に置いておいた荷物を持ち上げた。
 そして、「ごめん、今日はもう帰るね」と俺の横をすり抜けようとする。
  いやいやなんで? 後ろめたいことでもあるんか?
 とっさに彼女の腕を掴んで止めた。その華奢さにどきっとする。痩せたか? なんて場違いとも言える疑問が湧いて、こうして彼女に触れることがそもそも久しぶりだったことを思い出した。それと同時にものすごく後悔をする。

「本気で浮気とか疑ってんのとちゃうねん。せやけど、心配やねん」

 ずっと黙って俯いていた彼女がぼそっとこぼした。
 そっちこそ、と。
 本気で意味がわからず、思わず「は?」と短音が勢いよく自分の口から飛び出た。彼女が俺の腕を振り解いて、そのまま出ていこうとするから、また掴んで、彼女は抵抗して、もっと強く掴んで、彼女は「放して!」と抵抗したけどそれでも放さなかった。けど、「痛い!」と叫ばれて、さすがに手を放す。その勢いで、彼女は後ろによろけ、それをとっさに受け止めた。そこではじめて彼女が泣いていることに気づいた。彼女の涙を見るのはこれがはじめてで息が止まりそうになる。

「すまん! ほんまにすまん! 痛かったやんな! 湿布! 湿布持ってくるからちょ待って」

 とリビングに戻ろうとした俺を彼女が首を横に振って止めた。「だいじょうぶ」とかすかに震える声が耳に届いて絶望する。こんなつもりじゃなかった。泣かせる気なんてなかった。ただ、お人よしすぎて無防備な彼女に自覚を持ってほしかっただけだ。そのきっかけをつくった自分は棚にあげて。

「……言いたいことあるんやったら、ぜんぶ言うてほしい」

 もっと小まめに連絡をしろ、時間つくっておまえが会いにこい、ていうかドタキャンすんな。どんなお叱りも受けるから、本音をぶつけてほしい。その涙の理由が知りたい。すきだから。
 まだ間に合う。間に合ってくれ。
 彼女の手にそっと触れた。指が細くて、きれいで、強く握ったら壊れてしまいそうでこわい。それでも、いやだからこそ、できるかぎり優しく彼女の手を握った。冷たくて、でもしっとりしていて、大事にしたいと心から思う。

「……やくそくして」

 彼女の声は今度こそはっきり震えていた。

「わたしがなに言ってもきらいにならないって約束して。ぜったい、ぜったい、きらいにならないって約束して」

 わけがわからないけど、彼女を安心させたくて、何度も力強くうなづいてみせた。
 どんな言葉もひとつも取りこぼさず聞くから話してほしいと願う。

「……謙也くん、このあいだカラオケ行ったでしょ、たぶん学校の子と」
「おお? いや、いつやろ? ん?」
「女の子もいた……」

 そう言われてたしかに何度かそういうこともあったかな? と思いをめぐらす。でも、それは本当に疑われるようなものではなく、ただの仲間内の集まりだ。なにも心配はいらない。だから「いやでもふたりっきりちゃで」と返せば、「それでもいやなの!」と強く反発された。

「ふたりっきりじゃなくても、ふたりっきりになろうと思ったらいくらでもなれるでしょ! 謙也くん優しいから、女の子が酔っちゃったとか言ったら優しくしてあげちゃうでしょ! あわよくばって思うの男の子だけじゃないんだよ! もっと警戒して!」

 彼女がいつまでも黙っている俺を不審に思ったのか、うかがうように顔をあげた。
 さっき言ったことをすでに後悔しているような不安に揺れている潤んだ瞳に俺がぼんやり映る。

「……俺、そんなに信用ない?」

 いや、違う。

「あ、やきもちか」

 独り言みたいな俺のつぶやきを聞いて、彼女は手のひらで俺を叩いた。それを甘じて受け入れる。ニヤニヤしながら。なんならもっとしっかり強めに叩いてほしいと思う。これが夢ではないことをもっと確かめたい。
 ずっと、自分ばっかりすきなんだと思っていた。
 どっちの「すき」が大きいとか重いとか。そんなこと比べて競っても意味なんてなかった。相手の想いを軽んじていい理由になってた時点で間違いだった。
 不安で泣いてしまうくらい俺のことをすきで流した涙なら、その涙を拭う使命は俺だけに与えられた特権だ。
 そっと親指で彼女の頬に流れるまだあたたかい涙の軌跡を拭う。それから、そっと守るように全身を抱きしめた。どんな彼女も受け止める。そう伝わるように。失わずに済んだことに感謝するように。

「今日、かわいいの履いてきたよ」

 恥ずかしさを誤魔化すようなぶっきらぼうな申し出の意味がすぐには理解できず、俺はまた彼女に怒られた。