「そういえば、木手のやつ、また告られたらしいよ」

 友だちが、そっとわたしだけに聞こえるように後ろから耳打ちしてきた。なんともわざとらしい。でも、この子はテニスのマネージャーだし、甲斐くんとも仲がいいので情報源としてはなかなかに信憑性があるから無視はできない。できない、けど、今年に入ってからすでにもう五回目だ。さすがに多すぎないか? 先月はバレンタインもあったし、今月はついに卒業式が控えてるとはいえ、モテすぎだろう。なにかがおかしい。友だちを問いただそうとするも、逆に「ほらほら」と背中を押され、教室から廊下へ押し出されてしまった。しかも、廊下に出たとたん、数十メートル先にいた木手くん本人と目が合ってしまう。
 たまらずわたしはくるりと踵を返して自分の教室に戻った。と同時に予鈴が鳴り響き、友だちのため息と重なった。

 はじめに言っておくが、木手くんは絶対わたしのことがすきだ。
 その眼が、手が、声色が、わたしに向けられるとき、暗にそうだとわたしに無言で語りかけてくる。そういうのは案外相手にちゃんと伝わるものだ。本人が隠す気がないのならなおさら。──と、わたしは思っている。そう思いたいという願望が少なからず自分の中にあるのは認めるけど、でもこれはさすがにまるっきり勘違いというわけではないと思う。これが勘違いなら、思わせぶりもいいところだ。出るとこ出てやる、コンチクショー、レベル。
 ただ、そうでありながらも、わたしたちは中学在学の約三年間、ただの同級生でありつづけた。それはなぜか。理由はいたってシンプル。木手くんがその想いをいつもでも、いつまでも、いつもでも、いつもでも、はっきりとわたしに告げないからである。裏を返せば、告げるほどの想いではないのかも……。なんて落ち込んだりしたこともあったけど、「夏バテにはビタミンCですよ」と丹精込めて育てたらしいゴーヤーを山盛り手渡されて心配されれば、そんな疑いは都合よく波にさらわれてどこか知らないとこをへ運ばれていってしまった。
 言い訳が許されるなら、まだある。木手くんは忙しい。本当に。なんせあの鬼のテニス部だ。しかも部長。はじめてテニス部の一週間のスケジュールを聞いたときはのけぞった。休みが一日たりとてないのである。月火水木金土日、ぜーんぶ部活。まれの休みも基本自主練。そんな過密スケジュールを知れば入り込む余地はない。邪魔したくもなかった。
 夏が終わり、ほとんどの部活が三年生引退となっても、テニス部はそこからまた大きく羽ばたいて、世界までいって、そして帰ってきた。我が校にとって彼らはまごうことなきヒーローである。そんな彼ら、とりわけ彼らのリーダーである木手くんが、みんなから注目されるのは必至だった。だから、友だちに背中をぐいぐい押されなくても、クラスの違う彼を廊下で見つけたら、そろそろ言おうと決意していた。いい加減素直になれ、わたし。女子から告白したっていいじゃないか。そう気持ちを固めて、廊下に出るも木手くんの顔を見るなり自分の教室に引っ込むという奇行を今日だけでさっきのと合わせてすでに二回も繰り返していた。
 そして、いまが三度目の正直。
 またも先になんなら待ち構えるように腕組みをしながら廊下で仁王立ちしている木手くんはわたしを見つけるなり、鋭い眼光でロックオンした。なんでだよ、こわすぎる。でも、心なしか睨んでいるのはわたしじゃなくて、わたしの後ろ? 不審に思い、振り向くと別クラスだけど同じ委員会の男子がわたしに声をかけようとしているところだった。彼は驚いたように眼を見開いたあと、へらりと笑った。

「今日、放課後ヒマ?」

 なぜ、そんなことを突然訊く? 彼とは委員会以外で特に接点もなければ、これまで個人的に話したこともほとんどない。「今日、委員会だっけ?」と返すと、「あんしぇー、放課後、校舎裏で待ってるから来てほしいさぁ」とだけ言い残し去られた。そこでやっとわたしにも事態が飲み込める。というかこの一連を見ていたら誰だって察しは……。そーっと木手くんの方を窺いみると、さっきとは比べものにならないくらい殺気のこもった眼差しをわたしに向けていた。
 ええー、そこわたしに怒るとこ? 
 なんでだよと反発がないわけでもないが、それよりまず誤解を解かないと! と焦った。自分以外の男に色目を使っていたのではないかなんてもっとも彼が軽蔑しそうな行いだ。急いで木手くんのもとへ向かおうとしたけど、無情にも授業がはじまるベルが鳴って、木手くんは行ってしまう。そのあとも散々すれ違いつづけ、結局その後は放課後まで木手くんと話すことは叶わなかった。

 彼を怒らせた罰が当たったのだろうか。放課後、委員会の彼との約束よりなんとか先に木手くんと話がしたくて彼を探したけど、見つからない。古びた校舎は空き教室も多くて、それを一つひとつ探すだけでも骨が折れた。途中で下駄箱も覗きに行ったが、木手くんの靴はまだあった。校舎にいるのは間違いない。下校しようとする生徒の波に逆らい、校舎へ戻る。急がなきゃという焦りで頭がパンクしそうになった。

、こっち!」

 名前を呼ばれてハッとすると、廊下の先で友だちがわたしを必死に呼んでいた。

「三階の一番奥の空き教室!」

 それだけで伝わった。
 背中をどんと押されて、階段を駆け上る。
 板張りの廊下をバタバタと走りきってたどり着いた先で、確かに木手くんを見つけた。けど、すぐに一人じゃないことに気づく。とっさにしゃがんで身を隠した。教室の扉を挟んで一枚向こうで、いままさに木手くんは告白を受けているらしい。耳をすましたけど、会話の内容はさすがに聞き取れない。でも、これはどこからどう見ても告白中。一体何人目だ。というかモテすぎだろう。みんな見る目がありすぎる。ここで立ち入って邪魔をするのはさすがに違うと思い、かと言ってこのまま去ることもできず、もう誰もいない廊下でそっと身を屈めてうずくまって、きゅっと心臓を抑えて耐えた。
 どうか、どうか、OKしないで。自分勝手がすぎる祈りを神に捧げていると、意外にもあっさり開いた引き戸の音で我に返った。咄嗟に角を曲がって身を隠し、様子を盗み見る。すると、女の子だけが先に一人で空き教室から出てきた。木手くんはまだ中に──

「覗きとはいい趣味ですねえ」

 いつのまにか背後を取られ、本気でぎゃあと叫んだ。いやいや、なに? 縮地法ってやつ? 教室からここまで一歩で? というかほぼ瞬間移動では? というか、もしかしてわたしが覗いてたことに最初から気づいてらっしゃった?

「キミは隙が多すぎるんですよ」

 だから受け取る気のない好意を向けられてたじろぐ羽目になる、とお説教が続き、さすがにムッとなった。どの口が言うのだ、である。でも、実際その通りではあるのであまり言い返せない。
 沈黙が重い。自分の想いを伝えようと勇んだものの、相手の機嫌がこうも悪いと怯んでしまった。なにも今日だけがチャンスじゃないと考え直す。また明日出直そう。

「ごめんね、邪魔して! 用事あるからもう行くね」

 そう言って、木手くんから逃れようとした瞬間、「行かせませんよ」と木手くんに強い口調で右腕を掴まれ、囲うように行く手を阻まれた。外気で冷えた壁が背中に当たって冷たい。反対に木手くんに掴まれている腕は木手くんの体温でじわじわ熱され、クラクラした。見上げると、木手くんの口が開くところだった。

「待って!」

 とっさに遮るように出たわたしの言葉と口を抑える手に、木手くんは「ハ?」とものすごく顔をしかめた。そして、「……言わせてもくれないんですか?」と苦々しそうに呟いてまぶたを伏せた。あ、また誤解を生んでしまったと気づいて、わたしは慌てて、

「ちがう。ちゃんと断って、戻ってくるから。ここで待ってて」

 と、付け加えた。そうだ、そもそもわたしはこれを木手くんに伝えたくて探し回っていたのだ。先約はあっちだけど、わたしにとって一番大事なのは──。一瞬でも誤解されたくなかった。その想いのために一生懸命走ったのだ。馬鹿馬鹿しい。でも、わたしにとっては切実だった。
 わたしの右腕を掴んでいた木手くんの手の力がゆっくりとゆるむ。そして、ふぅ、とひとつ、ため息が落ちてきた。

「キミのそういう真面目なところ、嫌いじゃありませんよ」

 わたしの腕を放したその手が熱いまま降りて、今度はわたしの指先をそっと握る。

「ただし、戻ってきたら、覚悟した方がいい」

 持ち上げられた指先に木手くんの唇が触れた。逃す気はないとその眼がはっきりとわたしに語りかけてくる。不適な微笑みはまさに悪党。だけど、その奥にある確かな優しさにわたしはずっと恋をしていた。