ハードな部活を終えて、日課であるゴーヤー畑の世話を軽くしてから、着替えるために部室へ向かうと、ずいぶん先に部室に着いていたはずのいつものメンバーがまだそこに留まっているらしいことに気づいた。ドアの外からでも聞こえるぎゃははという大きな笑い声に思わずため息がもれる。

「キミたち、早く帰りなさいよ」

 すでに帰る準備が終わっているのにも関わらずだべっている部員に注意し、帰り支度を始めた。スマホで確認した時刻は十七時五十六分。最後のスクールバスが出発するまであと二十四分ある。

「凛がまた彼女にフラりたんってぃ」

 と、聞いてもいないのに甲斐クンが大声で教えてくれた。それに「いつものことでしょう」と返しながら、制服のボタンを上から順に淡々ととめていく。そこにすかさず「ちーがーう! 俺がフったんさぁ!」と平古場クンから訂正が入った。そこでまたぎゃははっと笑いが起きた。毎度毎度よく同じ話題で盛り上がれるものだと感心してしまう。

「こっちは部活で疲れてるのにやれ会いたいだの電話したいだの言って泣くんだもんさぁ。勘弁勘弁」

 まあ確かに、相手だって最初からそのあたりの事情はわかっていただろうにとは思う。それとも交際しているうちに平古場クンが変わるとでも思っていたのだろうか。浅いというか甘いというか。でも、多少の期待をしてしまうのが男女交際なのかもしれない。着替えを終え、残っていたいつものメンバーの尻を叩き、残らず部室から連れ出す。施錠係である先輩に一声かけてから、部室を出た。時刻は十八時七分。あたりはまだ当然のように明るい。

「なぁに、自分は関係ないって顔してるさぁ」  

 急に平古場クンがニヤニヤしながら後ろから首に腕を回して絡んできた。体重をかけられて重いし、暑いし、着衣が乱れるから不快だ。「やめなさいよ」と秒で振り払う。

「部活で彼女にかまうヒマがないのは永四郎も同じさぁ。付き合いたてだって関係ないどー。永四郎がフラれるのも時間の問題やし」

 ギロリと睨みを利かせれば、平古場クンは「おーこわこわ」と肩をすくめて俺から離れた。
 バス停には珍しく定刻通りバスが来ていて、いまにも発信しそうな様子でエンジンを唸らせている。急げ! と、全員で走り出した。なのに、結局発車したのは定刻過ぎの三十二分。これぞ沖縄タイム。沖縄の数少ない嫌なところだ。

「明日から朝練はありませんから、間違えないように」

 バスを降りて散り散りになるまえに、念の為忠告をしてから背を向けた。
 学校は明日から定期テスト準備期間で、部活は一切禁止。どんなにスパルタな部活だろうとそれは絶対だ。同じ方面の田仁志クンがとなりを歩きながら「主将、なんか用事やてぃんあが?」と不思議そうに訊いてきた。

「きっさからスマホちーなちょーくとぅさ」

 と、手に持ったままだったスマホを指さされる。時刻は十九時三分。そう、画面にはずっと時刻しか表示されていない。

「なんでもありませんよ。俺たちも早く帰りましょう」

 不意に平古場クンが言った『部活で彼女にかまうヒマがないのは永四郎も同じさぁ。永四郎がフラれるのも時間の問題やし』という言葉が蘇った。

「主将、歩くの早すぎるさぁ」
「キミが遅いんです。また太ったんじゃありませんか。夏の大会までにもう少し絞りなさいよ」

 田仁志クンがだいぶ後ろの方で、「ぐぇ」と轢かれたカエルのような呻き声をあげた。
 そのときピロリン、とスマホが鳴る。視線をパッと画面に移せば、いつぞや甲斐クンたちに連れてかれたハンバーガーショップのアイコンが光っていた。『いまだけポテト半額!』という文字にはなんの魅力も感じなかった。

◇◆◇

 次の日、朝一番で彼女のクラスへ向かった。始業ベルが鳴るにはまだ早い時刻なので、同じクラスである平古場クンが予想通り教室にいないことを一応確認してから、彼女に声をかけた。

「一緒に勉強? うん、いいよ。しよ」

 彼女はすぐに色よい返事をくれる。場所はどこにしようかと話が進んだ。

「このまえ言ってたハンバーガーショップは?」
「あそこはダメです」

 勉強する気のない比嘉高生が多すぎると理由を示すと、彼女が「甲斐くんたちだ」と笑った。俺が「ウチに」と口を開こうとすると、先に彼女が「じゃあ、ウチ来る?」と小首を傾げた。

「ウチ、学校からわりと近いし。木手くんさえ良ければだけど」
「……そう、ですね。ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」

 滞りなく段取りを決めて、「じゃあ、放課後」とあいさつを交わしてから彼女と分かれた。
 いつも通り甲斐クンたちからも勉強会という名ばかりの集いに誘われたが、もちろんきっぱり断った。「そういつもいつも俺を当てにされては困ります。そろそろ自分たちだけでピンチを潜り抜ける訓練しなさいよ」と叱ると、「ポテト半額どー」と呆れた応えが返ってくる。平古場クンだけがニヤニヤこっちを見ていたが、面倒なのでいちいち触れなかった。

 放課後、昇降口で彼女と落合い、いつもとは違うコースのスクールバスに乗り込む。全部活が活動停止期間なので、同時刻に利用者数も多く、バスはいつも以上に混んでいた。吊り革に掴まると、俺の左腕と彼女の右手が一瞬だけ触れた。二人で並んで窓に向かって立ったままバスに揺られること早数分。バス停を降りて、そこからまた少し歩くと白い壁にオレンジ色の沖縄らしい民家に辿りついた。コンクリートの塀には小ぶりなシーサーがきちんと鎮座していた。

「ただいまぁ」

 と、彼女が玄関から家の奥まで響きそうな声量で声をかけたが、返事はない。「おっかしいなぁ、おばあちゃんは畑のはずだけど、お母さんはいるって言ってたのに。ま、いっか、たぶんどうせ買い物だし」と半分独り言のようなこと言いながら、彼女はかがんで来客用のスリッパを出してくれた。
 そのまま板張りの廊下を進み、「どうぞ」と通された場所は、彼女の部屋のようだ。一度そこに荷物を置いてから、洗面所で手を洗い、飲み物を用意してくれるという彼女をその部屋で待つ。
 彼女の部屋はよく整頓されていて、あまり余計な物のない落ち着いた雰囲気だった。大きな家具は勉強机と本棚二つ、それとベッドだけ。ベッドリネンは淡いブルーだ。部屋全体がほんのり甘い花のような香りに包まれていた。
 彼女が「おまたせ」と言ってお茶が入ったグラスを二つお盆に載せて戻ってきた。そこで立ちっぱなしだった俺に気づいて、「あ!」と声にする。

「ごめん、クッションとかなくて座れなかったよね。ベッドとかに座っててくれてよかったのに」
「許可なくそんなことはできませんよ。それに制服のままですしね」
「シワになっちゃうもんね。え、どうしよう。クッションもいや?」
「いえ、そういうことではなく……。クッションで大丈夫です」

 彼女は一旦お盆を置いて、どこかへ消え、二往復して、クッションという名の座布団と折り畳みのローテーブルを部屋に配置した。「さぁどうぞ」と促され、彼女の向かいに腰を下ろす。今日の目的は勉強会だ。「はじめましょうか」と声をかけてから、スクールバッグから数学の教科書とノートを取り出した。彼女もそっくり同じ動きで日本史の教科書とノートを取り出して、ローテーブルに広げた。それからしばらくは教科書やノートをめくる音とシャーペンをノックする音しかしない時間が続いた。想像はしていたが、思った以上にいつものメンバーと行う勉強会とは環境が違いすぎる。あっという間に予定していた分は終わってしまった。壁にかけられている時計は、十六時半を指していた。「ちょっと休憩しようか」と彼女がぐぅっと上半身を猫のように伸ばす。同意すると、彼女は「お茶、おかわり入れてくるね」と空になった二つのグラスとお盆を持って部屋を出ていった。ふぅ、と自分も体の余計な力を抜く。程なくして、彼女がお茶の入ったグラス二つとちんすこうを載せたお盆を持って戻ってきた。

「結構進んだ?」
「ええ、お陰様でずいぶんはかどりましたよ」
「『お陰様』? わたしなんにもしてないけど」
「いつもはなにかしてくる輩が周りに多いのでね」

 彼女があははと明るく笑った。

「わたしも結構進んだよ。やっぱり人の目があると気が引き締まっていいね」
「そうですね」

 なんとなく沈黙が続いた。けれど、いやな沈黙ではなかった。それがふたりの間の空気で読み取れる。最初から勉強だけが目的ではないことを聡い彼女なら気づいていたはずだ。「となりにいっても?」と声をかけると、「うん」と素直な返事がある。拳一つ分空けて彼女のとなりに座りなおした。
 きっかけは自分がつくるべきだと思った。最初は肩と肩が触れ、次に半袖の下の剥き出しの肘と肘が触れる。自分の手のひらを彼女の手のひらに重ねるように置くと、どちらからともなく指先が絡まった。「木手くん、手、大きいね」と彼女が囁くようにこぼす。

「いつまでそんな他人行儀な呼び方を続けるつもりですか」

 俺たち恋人同士でしょう、とさらに指と指を絡めた。伏せられた長いまつ毛。血色のいいまあるい頬。つややかでやわらかそうな唇に目が奪われる。つくづく魅力的だと心の底から思った。

「今度から苗字で呼んだら罰としてチューしますよ」

 彼女はふふふっとくすぐったそうに笑ってから「じゃあ、木手くん」といたずらっ子の目で返してきた。その応酬が心地いい。求められていると感じることのできるこの特別な距離感。自分たちは自分たちのままで問題ないと確信できて、心が満たされていく。
 繋いでいる手とは反対の手で自分の眼鏡をはずした。「なんですか? 目が疲れたので、はずしただけですよ」なんて揶揄おうかとも思っていたが、思いの外我慢がきかず、眼鏡をローテーブルに置くと同時に彼女の唇に自分の唇を押し当てていた。彼女からはこの部屋と似た甘い花のような香りがした。