何をしてもダメなときもある。何もかもいやになるときもある。いつもは平気なことが平気じゃなくなって、些細なことで落ち込んで。まさに悪循環。
そんなとき、真っ暗で誰もいない家のドアはことさら重くなる。今日は開けても「おかえり」と言ってくれるひとはいない。そのことが余計に私を落ち込ませた。
そもそもオフシーズンに入って、手塚が家にずっといたこと自体がイレギュラーだったのだ。その生活に慣れてしまっていたのがいけなかった。手塚はおととい急な予定が入り、一旦ドイツに戻らなければならなくなり、その後の連絡はまだない。
手塚は今でもドイツを拠点としているし、試合は世界各地で行われる。結婚しても、その生活は変わらずで、本来なら妻となった私が彼のスタイルに合わせねばならなかったところを許しを得て、仕事を続けさせてもらっている状況だ。そう、今の仕事は自分が好きでしていること。おそらくだけど、私が辞めたいと言えば、手塚は「すきにしていい」と言うに違いない。許してくれたときと同じように。
普段はあまり寄らないコンビニに行って好きなアイスを買った。お酒も買った。何か他においしいものもと思ったけど、コンビニには私がおいしそうと心から思えるものがこれ以上なかったので断念。Suicaが残高不足で、現金で払おうとしたら、慌てていたせいか小銭をぶちまけてしまった。また落ち込む。けど、しょうがない。そういう日もある。明日からまたがんばろう。久しぶりに会った同級生に言われた嫌味も、会社の同僚が話していた私の陰口も、みんなみんな聞かなかったことにしよう。そう思っては、またそのときのことを思い返してしまって落ち込んでいる自分の真面目さがほとほといやになる。
家に着き、習慣で「ただいまー」と言いながらドアを開けると照明が点いていた。どうやら朝点けっぱなしで出かけてしまったらしい。
だから、完全に油断していた。「おかえり」と返事があって、持っていたビニール袋を取り落としそうになる。
「え、え、なんで??」
「すぐに帰るといっただろう」
「にしても早すぎない?」
「そもそも予定は数時間で終わった」
「え? でも、それでそのまま帰ってきたの?」
まさにとんぼ返りだ。わざわざ飛行機で十二時間かけて行って、また同じくらいの時間をかけて日本に帰ってきたというのか。移動時間の方が圧倒的に長くて、効率が悪いにもほどがある。それにそれでは手塚の体にも負担がかかったのではないか。いってらっしゃい、と送り出すときに早く帰ってきてね、と私が何気なく口にした言葉を約束ととらえていたのだろうか。だとしたら、もうしわけなくなさでいっぱいだ。でも、いまはそれと同じくらい、いやそれ以上に嬉しいという気持ちがどうしようもなく沸きあがってしまう。
「早く帰っておまえに逢いたかった」
使い古された気障な台詞も
「おかえり」と同時に言い合って、見つめ合う瞳が同じ速度で弧を描いたのを見届けてからその胸に飛び込んだ。