キッチンでスープを温めなおしているとテーブルの上で携帯電話が震えた。
〈今駅ついたっス〉
それを見て無意識に頬が緩む。すぐに返信を打とうと携帯電話を操作していると、打ち終わる前にまた新しいメッセージが届いてしまった。
〈今コンビニっス〉
今度は相手に追撃の隙を与えぬよう出来るだけ素早く返信を打つ。
こんな一方的にされる居場所の連絡なんて、知らぬ間に自分にどんどん近づき、最後に「今、あなたの後ろにいるの」「キャー」な一昔前の怪談話そっくりだ。
今は冬真っ只中。ただでさえ寒いのに、これ以上寒くなる必要はないからやめてくれ。
〈傘、持ってるの? 雨降ってるけど大丈夫?〉
〈ダイジョーブ! 持ってる!〉
〈あといちいち場所の報告いらない。メリーさんみたいで怖いからやめて。お酒よろしく! あとアイスも買ってきてー〉
〈何系?〉
〈お酒は任す! アイスはダッツ!〉
〈酒、了解! アイスは氷系じゃダメ? ゴリゴリ君とか最高においしいっスよ!〉
〈ケチんなバカ。ダメ、絶対〉
そう送信したあと、一旦携帯電話を置き、再びキッチンに戻る。
スープが十分に暖まっているのを確認して、鍋の火を弱火にする。
さて、あとはサラダとチーズを冷蔵庫から出すとするか!
ローテーブルいっぱいに料理を用意して、これから満面の笑みで(なんならスキップで)やって来るであろう可愛い奴を待つ。
ふと時間を確認すると、さっきコンビニだと連絡が来てからすでに結構な時間が経過していた。
うちからコンビニまでそんなかかるはずはないんだけどな、と不思議に思いながら、テーブルのチーズに手を伸ばした。
〈今玄関〉
携帯電話が震えて、またそんなメッセージが映し出される。やめろっつてんのにな。
それと同時に玄関のインターフォンが鳴った。
念のためインターフォン内蔵のカメラで確認するともじゃもじゃ頭が画面いっぱいに映し出される。近づきすぎだ、バカ。
タオルを持って、小走りで玄関へ向かう。
「あぁ、もう死ぬっ! 外、めっちゃ寒かったっス」
赤也は、ダウンジャケットを着てウールのマフラーをぐるぐる巻きにしているにもかかわらず、それでも寒かったのか歯を食いしばり目を瞬かせながら「マジシヌマジシヌ」と呪文のように唱えている。
確かに今日は一段と冷え込みが厳しい。今日にぴったりな歌通り、夜更け過ぎに雨が雪に変わってもおかしくないくらい寒い。
私も早く暖かいリビングに戻りたい。
赤也から濡れた傘を預かり、そのついでにブーツを脱ぐのに邪魔であろうから、持っていたビニル袋も預かろうとすれば、何故か気まずそうに視線を逸らされた。
「何? アイス、ダッツじゃないの?」
「違うっス! そこはちゃんとダッツにしたっス! ただ……」
なんとなく煮え切らない赤也から無理やり袋を奪い取り、中を確かめるとそこには——
「いや、実は家に免許証忘れて……けど俺今日バイクじゃないからいっかなぁと思って、取りに帰らなかったんスよー」
「……あーだんだん話、見えてきた」
「まぁ、最後まで聞いてください。そんで、さっきコンビニで、頼まれてた酒とアイス買おうとしたら、まさかの年齢確認されて……」
「で、証明できなくて、買って来たのがコレね」
視線を手元の袋に戻す。入っていたのは私が頼んだアイスが二つと、かわいいキャラクターが所せましと描かれた、ワインボトル風の物が一つ。
そう所謂シャンメリー。はい、ノンアルコール、ジュースでございます。
「バーカ!」
「ひっで! あ、でも、俺も悪いと思ってお詫びに……」
そう言って今度は背負っていたリュックから別のビニル袋を取り出して、私に手渡した。
開けなくてもそれがなんなのかわかるほどの強烈な匂いが玄関いっぱいに広がって、思わず顔をしかめた。私が吸血鬼なら確実に死んでいる。
「そして何故、餃子?」
「そこの神社に屋台出てたんっスよ! すっげーうまそうな匂いで、でも全然売れてないらしくて、一パックおまけしてもらえましたよ」
ニシシッと得意げな赤也を尻目に、そりゃ、そうだ、と呆れる。
はっきり言って今日わざわざ餃子を買って帰ろうなんて思う人、そうそういない。
いたとしたら、その人、きっと仏教徒。もしくは最近フラれた人なんじゃないだろうかと邪推。
「ここで赤也クン。実は私からも謝らなくてはならないことがあります」
ただ先に赤也がドジを告白してくれたことで、私は自分のミスを話やすくなった。
ありがとう、赤也。今日だけは君のそのドジを笑って許してあげよう。だから私のも許してください。
「え?」
「私は、世の中を舐めてました」
「ん?」
「別にここそんな都会でもないし、売り切れるなんてことないだろうと思って夕方買い物に行ったらさ、見事チキン売り切れてました!」
「あー……え、じゃあ今日メインなし?」
「いやいや、それじゃあマズいと思って何か代用になるものはないかと急遽デパ地下行きましたよ。でもね、ローストビーフとかそういうごちそう感のあるものは軒並み売り切れでさ……結局、何を買ったかと言いますと……」
そこまで言って、「まぁ、とりあえず上がってよ」と赤也を部屋に上げる。
いつまでも玄関じゃか可哀想だし、実物を見てもらった方がきっと話は早いから、そのままリビングに案内することにした。
テーブルセッティングは万全である。
「おー! まさかの寿司!」
「ハイ、寿司でございます。そしてメインはチキンのつもりでいたので、他に用意してた物はスープ、サラダにチーズやハム。全て洋風でございます。そこに赤也の買ってきたこの餃子が加われば、アーラ不思議、和洋中、全部揃っちゃいました」
「おー!」
「すごいよね、逆に。このチグハグ感」
「でもすっげーごちそう感は出てますよ。しかも俺の好きなもんばっか!」
そう言ってとなりで子供みたいに目を輝かせてる赤也を見て、安堵の吐息がもれた。
(なんだ、全然心配することなかった。)
赤也のこういうところに、私は今まで幾度となく救われてきたではないかと思い出す。
赤也は良い意味でも悪い意味でも嘘がない。
自然と溢れた些細な言動は、赤也の単純で素直な心をそのまま写す鏡だと長年の月日をかけて確信を得たから、私はその言葉を今は疑わずに受け入れることができる。
赤也はいつもそうやって、私が抱えている不安を春風が草原を撫でるかの如く、ふぅと軽く吹き飛ばす。
赤也を好きになって良かったな、て思う瞬間だ。
「あ! 先輩、雪! 雪、降ってる!」
赤也が窓ガラスに張り付いて、私を呼んだ。
ほらほら、と手招きをされて赤也の隣で外を窺えば、先ほどまで降っていた雨粒が、ほんの少し形を和らげて夜空を飾っていた。
「うわー、本当だ。積もっちゃうかなぁ、やだなぁ」
「えー! 今日、雪とかすごくない? 超ロマンチックじゃん!」
そう今日は十二月二十四日。二人っきりで過ごすはじめてのクリスマス・イヴ。
テーブルには、お決まりのチキンなんてなくて、ワイングラスやナイフとフォークの前には、寿司や餃子が並んでてちょっと格好が悪い。
けど、赤也とならきっと楽しめる。
それじゃあ、まずはシャンメリーを開けますか!
「クリスマスといえばさ、赤也、中学生の頃までサンタさん信じてたよね」
テーブルの上の物をあらかた食べ終え、シャンメリーも早々に飲み干し、家にあった唯一のアルコール類である梅酒をお湯割りで飲みながら、となりで「俺、もう腹、いっぱい」とだらしなく寝そべる赤也に話しかけた。
「もういいっスよ、その話。クリスマスの時期になるたんび、他の先輩からもからかわれるんスから」
マジ黒歴史っス、とか言いながらいじけた表情が予想通り過ぎて思わず笑ってしまうと、さらに彼の機嫌を損ねたらしく、ごろりと背を向けられてしまった。
やれやれ、人の話は最後まで聞きましょう。そう思いながら手に持っていた梅酒のグラスをテーブルに置いて、そんな赤也にしなだれかかった。
「ごめんね。でもさ、私実は赤也のことはじめてちょっといいなって思ったキッカケ、それなんだよね」
「……なんスか、それ」
「そんな歳までさ、サンタさん信じてられたのって、きっと赤也が家族に愛されてた証だよ。そんな優しい家族に囲まれて育った赤也は、きっといい子なんだろうなって思ったのが、赤也のこと好きになった最初のキッカケ」
「……つっても俺、それから何年もフラれ続けましたけど」
「あくまでキッカケの一つね。それだけじゃオチませんよ。でも一つの要因であることには間違いないよ」
そう言ってもまだちょっと不服そうに下唇を突き出している赤也の頬に唇を寄せれば、途端に視界がくるりと反転して、今度は赤也が私の上に跨った。
束の間、至近距離で真剣に見つめられ、それからゆっくりと唇が落ちてきた。
「赤也、メリークリスマス」
「先輩、メリークリスマス」
赤也のパンツの後ろポケットからラッピングされた小さな箱が出番を待ちきれず既に顔を覗かせてしまっていることは、気づいていないフリをしてあげることにしよう。
可愛い、可愛い、私だけのサンタクロース。
メリークリスマス。