※悲恋注意!
※謙也の失恋話。ヒロインは白石オチ

「謙也サン」

 名前を呼ばれ顔を上げると、財前が何かをこっちに放って寄越した。

「ほんま、よおやりますわ」

 俺の手に握られていたのは、暖かいお汁粉缶だった。
財前も同じものを手にし、俺のとなりにどかりと腰を下ろす。

「ひとの恋愛のお膳立てとか、俺死んでもやらんわ」

 お汁粉缶を飲みながら、「お膳立ての忍足や」と揶揄する財前は、あの夏のことをまだ根に持ってるんだろう。
ねちっこい奴だ。

「あいつら、全国大会が〜とか、受験が〜とか言うて、いつまで経ってもなんもせえへんから、見てるこっちが焦れったなるっちゅう話や」
「まぁ、あれは確かに見とってイラッとすんのわかりますわ」
「な? せやろ?」
「まぁでも、そんなら、奪ったらよかったんちゃいます?」
「……なにがやねん」
先輩、マネージャーにしたん謙也サンやって聞きましたけど?」


◇◆◇


 去年の四月。顧問が変わり、急に一年が増え、まだ二年だった白石が突如部長になった頃。
テニス部はひっちゃかめっちゃかだった。
とにかく人手がたりない。だからマネージャーを募集してはどうかというのは、極自然な流れだった。
その話が出て、俺は真っ先に同じクラスのを誘う。決して下心からではなく、彼女なら適任だと思ったからだ。

 彼女は一年の冬に交通事故に遭い、怪我をしていた。
命には別状なかったが、脚を十四針も縫う大怪我だ。
リハビリで日常生活は問題なく送れるところまで回復したが、脚の怪我は思ったより重く、陸上部だった彼女は引退を余儀なくされた。
 放課後のチャイムと共にわき目もふらず外に出て、ゲージから放たれたうさぎのようにトラックを駆け回っていた彼女の新たな居場所は、狭い教室の窓際の席だった。
 窓の外をぼんやり眺めている彼女は、子どもの頃、弟が大切なおもちゃをなくしたと落ち込んでる姿によく似ていた。
ただ決定的に違うのは、弟はすぐに新しいおもちゃを両親にねだったのに対して、はもう二度と同じものは手に入らないからと諦めてしまっているところだろう。
「しゃあないやんなぁ」と困ったように笑う彼女を見て、俺はいたたまれなくなる。
以来どうにか励ましてやりたい、力になってやりたい、そんな悲しい笑顔じゃなくてまた心から笑えるようにしてやりたい、そう思うようになっていた。

「なぁ、! テニス部のマネージャーやらん?」
「へ?」
「せやから、マネージャー! 今、大募集中やねん」
「なんで私? 私、テニスよく知らんよ?」
「そんなん俺がいくらでも教えたる!」
「でも……」
「でももだってもヘチマもあるか! お前、体力有り余ってるんやろ? いっつも校庭眺めて、自分も動きたくてうずうずしてるやん!」
「そ、それは……でも、私もう走られへんし、練習についていけるかわからんよ? 足手まといになったら……」
「せやから、マネージャーや! 選手やない」
「そうやけど……」
「あぁ、まどろっこしい! やりたい、やりたない、どっちや!」

 俺の半ば脅しのような誘いに、は「……やりたい」と小さく絞り出すような声で答えた。
 そらきた! ならばと、俺はすぐさまの手を引き、テニス部へ連れて行く。部員は皆、彼女のことを歓迎したが、白石だけは最後まで難色を示した。
そんな白石をなんとか説き伏せて、桜の木に新緑が生い茂る頃、四天宝寺・初代テニス部マネージャーが誕生した。

 ある程度予想はしていたが、と白石はそれからことあるごとにぶつかるようになる。
普段は優しい白石も部活では厳しいし、何より女のが男子テニス部にいるということ自体、反対らしい。
(あとからわかったことだが、どうやら白石はがイジメの対象になるんではないかと危惧していたらしい)
も負けん気が強いので、白石の頭ごなしな態度に真っ向から立ち向かい、自分の地位を確立しようと必死にマネージャー業に勤しんだ。
 大量の洗濯に、ドリンクの用意。備品の整理や補充。各選手の記録の管理。
思った以上にハードな仕事をは弱音も吐かず頑張り続けた。

「引き受けたからには最後までやったるで!」

 打倒白石や! と燃える彼女は、もう窓の外を寂しそうに見つめることはなくなった。
結果オーライ、てことでええんやろか? と部室前できびきびと洗濯物を干す彼女の後ろ姿を眺めながら苦笑した。
 彼女の周りは、洗剤(「柔軟剤? そんなん使ってへんで。そんなん使うたら白石に「無駄や!」てどやされるわ」)の優しい甘い香りに包まれていた。
目を閉じれば、まるで花畑にでもいる気分だ。
その真ん中で彼女がきらきらとした瞳で微笑んでいるのが見える。
 彼女が笑顔を取り戻したのは、少なからず自分の功績もあるはずだ、と小さな優越感が俺の中に生まれていた。

 の存在はいつの間にかテニス部の当たり前になった。
白石もそんなのことを認めるようになり、夏が過ぎる頃には、何か部で困ったことがあれば顧問のオサムちゃんでも副部長の小石川でもなく、に相談するようになるほどだった。
は陸上部で培った経験とマネージャー業で忙しいながらも勉強したスポーツ医療学などの知識を持って、白石に応えた。
 そんな二人が再び目線を合わせるのを避けるようになり、そのくせ互いの背中ばかり見つめるようになったのは、その年の冬頃からだったと思う。

 それから一年が過ぎた。
中学最後の夏が終わり、俺たちは部活を引退した。そして今はテニスコートからは遠のき、毎日机にかじりつく立派な受験生なっていた。
クラスが違うとも顔を合わせる機会がめっきり少なくなった。
 そんなとき、風の噂でが誰かに告白されたらしいと耳に入る。
「クリスマス前やからみんな恋人作ろうって必死やねぇ。受験前なのに大丈夫なんかしらん」と小春が笑った。白石は笑っていなかった。
 アホやな、と思う。
互いの背中ばっか見てるから、相手の気持ちに気づけないんだ。
第三者オレから見たらどちらの想いも一目瞭然だった。知りたくもないのに。

「すれ違いが恋の醍醐味? 意味わからん!」いつだったかそう吐き捨てたら、ユウジの奴に「お前、マジで誰かのこと好きになったことあらへんやろ? 相手のこと好きすぎてわけわからんくなって、苦しくて切なくて、でもやっぱり好きなんやめられへんって。お前にこの複雑な乙女心わかるか? わからへんやろ?」と捲し立てられた。

「お前、乙女ちゃうやん」
「細かいこと言うなや! せやから、お前、モテへんのや!」
「はぁ? そんなん、お前に言われたないわ!」

 云々かんぬん。
小春が呆れて止めに入るまで、俺とユウジは不毛な言い争いを続けた。

 マジで好きな奴、おるっちゅうねん。
せやから、俺は今、こんなことしてるんや。

 親指が画面を滑る速さはいつも以上だった。
俺は強硬手段に出た。もう我慢の限界だ。
せっかちな俺には、こんないつまでも煮え切らない状況、耐えられない。むしろここまでよく我慢できたもんだとさえ思ってる。
 冬休みに入る直前にある毎年恒例の部室の大掃除。
引退したとはいえ、三年も夏までは使用していたという理由で、白石から今回も全員絶対参加が言い渡されていた。
俺はそれを聞いてと白石以外に〈大掃除延期のお知らせ〉とメールを一括送信した。


 そして、今日に至るのである。

「ちょ、謙也、どういうことや、これ!」
「忍足! 今なら怒らんから、とりあえずこっから出してや!」

 何も知らずに大掃除に来たと白石を部室に閉じ込めた。

「俺らは全員、大掃除をボイコットする!」

「はぁ?」と言う二人の声が揃ってドア越しに聞こえた。

「今年の掃除はお前ら二人でやれ! そんでついでにお互い思ってること洗いざらい言い合え! お前らが仲よおお手々繋いで出てくるまで、絶対このドアは開けてやらんからな!」

 おそらくドアの向こうのあいつらは絶句してる。
出してくれ! と喚いてドアを叩いていた音はすでにやんでいた。
とりあえず、箒をつっかえ棒にしてドアを開かないようにし、その場から離れる。
 俺が出来るのはここまでだ。


◇◆◇


「好きやったんちゃいますの?」

 財前の質問に俺は曖昧に笑った。
のことは好きだった。そして俺は白石のことも好きだった。好きの種類は違うが、でもやっぱり二人とも好きだった。
好きな奴らには幸せになってほしい。
ただそれだけだ。
——なんてカッコイイことを言いたいが、どう考えても勝ち目のない勝負から俺は逃げただけだ。
俺の方が先に好きになったのに、俺の方が彼女のことをよく知っているのに、俺の方が、俺の方が、俺の方が……
そんなことは、彼女が白石を切なそうに見つめているのを見るたび、無意味だと簡単に消し飛んだ。
 全員が幸せになる、そんな魔法のような方法があるならば、俺だってそれを選んでいた。
けれどそんなご都合主義なハッピーエンド、おとぎ話の中だけでしかないことを十四歳の俺はさすがにもう知っていた。
 お姫様は王子様と結ばれる。
どんなにハッピーエンドに貢献しても、その他大勢の名もなき脇役のその後は、物語のどこにも描かれない。

「さ、そろそろあいつら開けてやらなな」

 手にしていたお汁粉缶を一気に飲み干し、立ち上がった。少し離れたゴミ箱に狙いをすまし空き缶を投げ入れるが、縁に当たって虚しく地面に落ちた。
しぶしぶ拾いに行って、缶をゴミ箱に入れ直す俺の横で、財前が放った空き缶が綺麗に弧を描いてゴミ箱に入る。
振り返ると財前はこれまた腹の立つドヤ顔だった。

「先輩らのことやから、普通に真面目に大掃除しとったりして」
「そんなんやったらもっぺん閉じ込めたるわ」
「そうや、今度謙也サンのことカッコイイ言うてる人紹介したりましょうか?」
「ホンマか! 誰や? 二年か?」
「三年っスわ。三年八組」
「お! ユウジたちのクラスやな!」
「メガネかけてて」
「ふんふん」
「背は謙也サンよりちょっと低くて」
「ふんふん」
「イガグリ頭で」
「ふんふん……ってちょお待てや。イガグリ頭ってなんやねん。そんな女子おらへんやろ」
「誰が女子や言いました?」
「ハ? え? どゆこと?」
「小春先輩のことっスけど」
「小春かい! つか小春なら紹介されんでも知っとるわ!」
「つか、謙也サンのことカッコイイ言うん小春先輩くらいしかおりませんわ」
「お前、俺んこと慰めたいん? 貶したいん?」

 財前とふざけた言い合いをしているとあっという間に部室につく。
何故かドアには俺がさっきつっかえ棒としていた挟んでいた箒が見当たらない。
不審に思いながらもドアを開けると、そのすぐそばで白石が般若のような顔で立っていた。

「け〜ん〜や〜」
「あ、謙也、遅かったなぁ!」

 ブチギレMAXな白石の後ろからぴょんっと金ちゃんが飛び出す。

「あれ? なんで金ちゃんおるん?」
「“あれ?”ちゃうわ! あのあとなんも知らん金ちゃんが来てドア開けてくれてん!」
「な! 金ちゃんのアホ! メール見てへんのか!」
「メール?」
「〈大掃除延期のお知らせ〉ってやつや!」
「見てへん! ワイ、こないだ、ケータイどっかに落としてん!」

 このゴンタクレ、どついたろか! とわなわな震えていると横からスッと箒を差し出された。

「そういうことやから忍足も財前も大掃除手伝ってな」

 が有無を言わさぬ笑顔で、俺と財前に箒とちりとりを押し付けた。


 結局、と白石と金ちゃんと俺と財前の五人で部室の大掃除。
全て終わる頃には陽もとっぷりと暮れていた。
ゴミをまとめていると戸締りをしている白石を横目で盗み見るが、特に二人の間に変わった様子はない。
 俺のお膳立て、台無しやん。
どっと疲れが身体を襲った。

「なぁ、ワイもう帰ってええ? 腹減って死にそうや」
「おう! 金ちゃん、今日はありがとうな! 良いお年を!」

 金ちゃんは腹減って死にそうなわりに凄い速さで見えなくなっていった。
つーか、なんであいつ真冬にタンクトップ一枚やねん。見てるこっちが寒いわ!

「ほな、私もこのゴミ捨てて帰るね」
「ゴミやったら俺が捨てときます」

 意外なことに財前がの手からゴミ袋を攫い、歩き出す。
その気遣いにハッと気づき、俺も慌ててその手伝いを装い二人を残して、財前の後ろを追った。

「どういう風の吹き回しなん?」
「謙也サンのお膳立てウイルスにやられました」
「ウイルスって!」

 財前は持っていた大きなゴミ袋を俺に三つ寄越した。
財前は手ぶらである。なんでやねん、と文句を言いたいところだが今日のところは我慢すべきだろう。

「後ろ、振り返ってみます?」
「ええやろ、別に。ほっとけや」
「あ! あの二人ケンカしとる」
「ああん?」

 財前がそんなこと言うもんだから思わず振り返ってしまった。
もうかなり離れたところにいる二人が、躊躇いがちにお互いの手を握って歩き出しているところだった。

「謙也サン、俺も腹へったんで何か食うて帰りましょうや」
「……おう」

 なんだかんだ言うてもこいつ、俺のこと励ましてくれとるんかな? 俺、後輩に恵まれたな、となんだか失恋したにしては優しい気持ちになっていたら、となりで「もちろん謙也サンの奢りやろ?」とニヤリと財前が笑うので、ゴミ袋でふさがった手の代わりに足でどついてやった。
 ちょっとは浸らせろっちゅうねん!