どうにか別れを惜しむ集まりから抜け出して、無人の空き教室で独り息をつく。
握りしめた拳はズボンのポケットに押し込んだままだ。

「白石、みーつっけた!」

 が廊下からぴょこりと笑顔を覗かせた。

「お前、ようここがわかったな」
「私、シックスセンスあんねん!」

 嘘こけ。
いつだったか近所で有名な心霊スポットで肝試しなんて不謹慎なことをした際、気分が悪くなる奴が続出するなか、お前はひとりピンピンしていたではないか。
「……コイツ、祟られても死ななそうやな」とユウジが真っ青な顔で罵しり、そこにいたメンバーのほとんどがそれに同意したのを俺はしっかりと覚えている。

「白石なんでジャージなん?」
「……いろいろあんねん」
「うーん、ほんまは制服で撮りたかったんやけど、まぁええか。ハイ、エクスタシー」

 は俺にスマホのカメラを向ける。

「んんっーエクスタシー! ってなんでやねん。何さすねん」
「最後やねんから、とびきり印象に残るポーズしてや」
「無茶振りや」
「大丈夫、白石なら出来る! せやから早よ、おもろいポーズして」

 うるさいの手からスマホを抜き取り、となりに寄ってインカメラを自分たちに向けた。
「え」と驚くに構わず、シャッターを押す。
画面には珍しく戸惑った表情のと笑顔の硬い俺が映し出されていた。


◇◆◇


 が俺に付き纏うようになって早六年。

「白石、大好きっ!」

 その言葉は幾度となく繰り返された。
初めこそドキリとしたものだが、毎度同じセリフを聞かされれば慣れが出る。
ならば言う方にも飽きが出そうだが、そんなことはないらしい。
は、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、俺を追いかけ続けた。
学校ではそれがあまりにも日常化して、「白石ィー、大好きぃー!」とが校舎の窓から身を乗り出して叫んでも、「ああ、またか」と誰もツッコみすらしなくなった。

 の告白にはどんなときも悲愴感がまるでない。
元気な声でハキハキと、とびきりの笑顔で「好き」と言う。
それだけ。そう、何故かそれだけ。
「付き合ってほしい」とか「私のことどう思ってるの」とか普通なら「好き」とセットで出てきそうな言葉が、の口からは一度も出てこない。
ただただ自分の気持ちを俺に伝えるだけだから、俺はに返事もできない。
気持ちに対する応えにYESもNOもないから。
 それが狙いならはなかなか賢いのではないかと思った。

 実際、この六年間、俺は以外からも告白を受けていた。
「好きです。付き合ってください」と震える声で祈られ、胸は痛みつつも「ごめんな」といつも変わらぬ答えを返す。
 今はテニスが一番で、二番や三番を作る余裕はない。
 ならずっと待っている、白石くんが引退するまで、テニスが一番じゃなくなるまで。そう言ってきた子も何人かいたが、時が経てば皆他の男のとなりを歩いていた。
それが当たり前だ、と思う。
自分から告白できるような恋愛に積極的な子ならなおのこと。
いつ叶うかもわからぬ願いをずっと持ちつづけているよりよっぽど健全だ。
 もいつかはそう気付くであろう——と思ったのに中高六年間、終ぞ気付くことはなかった。


◇◆◇


「あっかん。これ、B全に引き伸ばして部屋に貼らな」
「B全壁に貼れるとかお前の部屋広いな。……つーか、待ち受けにするくらいにしとき」
「待ち受けにしてもええの!」
「……好きにしたらええんちゃう」

 はスマホを握りしめて飛び跳ねた。
こんなことくらいでこれだけ喜べるなんて幸せな奴だ。
もし、これ以上のことが起こったら、はどんな反応を示すだろう。

「……お前、ほんまに俺のこと好きやな」
「好きやで! 変な口癖あっても、特技がどことなくアブナくても、全然おもんなくても!」
「お前ほんまに俺のこと好きなん?!」

 はぁ、と溜息をついた。
せっかくの決心が揺らぎそうだ。

、手出し」

 おもむろにズボンのポケットに突っ込んだままだった拳をに差し出した。
は不思議そうにしながらも自分の両手のひらでお椀を作る。
コロンッと鈍い黄金色のボタンが俺の解けた拳からの手のひらに落ちた。
はそのボタンをじっと黙って俯いたまま見つめているから、つむじがよく見える。

「なんとかコレだけは死守してん」

 学ランの第二ボタン。
コレ以外のボタンは全て引きちぎられた。ワイシャツのボタンすらもなくなり、俺はジャージに着替えるほかなくなった。

「今ならなんとコレに初回特典として俺が付いてくる、なんてどうや?」

 ずいぶん前に千歳がのことを「健気な子ったい」と褒めたことがあった。
そのときは「どこがやねん」とツッコんだが、今はもう認めざるおえない。
 ずっと、俺を見ていてくれた。ずっと、俺を応援してくれた。
ずっと、好きでいてくれた。
ずっと、ずっと、だ。
誰かを一途に好きでいることは、考えるよりきっと難しい。
が「好き」しか言わなかった一番の理由。それはが自分の恋心より俺の夢を大事にしてくれたからだ。
こんなに深く自分を想ってくれるひとに巡り会えた俺は、きっと幸運な人間だ。
 の粘り勝ち? 俺の根負け?
違う。俺がを好きになっただけ。

「白石、何言ってるん??」

 真顔で返され、今度は俺が黙った。
はイマイチ俺の言葉の意図がわかっておらず、首を傾げている。
ストレートな言葉にはストレートで返さな、あかん。そういうことなのかもしれない。



 意を決して、口を開く。
のお決まりのセリフをそっくりそのまま返せば、の瞳は見開かれ、みるみるうちに潤んだ。
それだけで自分の気持ちを伝えて良かった、と確信できた。

 長い冬を越えて春が今訪れた。