幼馴染のお兄ちゃん。それが私の初恋の相手だ。
そのひとは今、お姉ちゃんのとなりで白いタキシードを着てスポットライトを浴びながら幸せそうに笑っている。
「まだスネとんのか」
みんながデザートビュッフュに並ぶ中、一人テーブルに残っていると光が勝手に私のとなりの席に腰を下ろした。
そこはうちのお母さんの席だ。非常識にもほどがある。しかし、お母さんは親戚のおばちゃんたちと一緒にデザートビュッフェに夢中でこちらにまったく気づいていない様子だ。
「ずっとそないな顔してるとブサイクな顔が余計ブサイクに見えんで」
「それはそれはご忠告どうもおおきに。用がすんだんやったら、早よ自分の席戻りや」
そう言ってこのテーブルとは線対称に位置するテーブルを顎で指したが、光は聞く耳持たずといった様子でそのまま母の席で取ってきたデザートを食べ始めた。
顔に似合わず甘党なことを思い出す。
「光かてずっとおもんなさそうな顔してひとのこと言えた義理ちゃうやろ」
「俺は元からこういう顔や」
「そういえばアンタ昔っからなにやってもつまんなそうな顔しとったもんね」
私とお姉ちゃんと光と光のお兄ちゃん。
それぞれ歳が離れているから実際みんなで一緒に遊んだ期間はほんのわずかだったはずだし、そもそも私もまだ小さかったからすべてを覚えているわけではないけれど、“子供の頃”といって私が思い出す光景にはこのひとたちの存在が不可欠だった。
いつもにこにこ優しいお兄ちゃん。運動ができて頭もよくて、でもそれが全然嫌味じゃなくて、「ほら、こんなんあったで」と私たち姉妹が喜びそうなものを制服のポケットに入れてお土産に持ってかえってきてくれるお茶目なひとだった。
逆に光はお兄ちゃんとは正反対で、いつもムスっとした顔をしてつまらなそうにしていた。一番年下だったから私たちにはついてこれないときもあって、そんなときはことさら不貞腐れた顔をしていたっけ。
だけど、そういうときは決まってお姉ちゃんが「大丈夫やで」とまだ小さくてふくふくとした光の手を優しく取ってあげていた。
「知ってんねんであたし。アンタかてほんまはずっとうちのお姉ちゃんのこと好きやったって」
私がお兄ちゃんを好きになったことと同じくらい当たり前に光は私のお姉ちゃんのことを好きになった。
わざわざ言葉にして確認しなくとも私にはわかる。
私にはお兄ちゃん。光にはお姉ちゃん。丁度ええやん。ぴったりペアやん。そう思っていた。
なのに、なんで??
「一緒に住むのなんで反対せんかったん?」
「俺がどうこう言える立場ちゃうやろ」
「今時新婚でいきなり同居なんてありえへんやろ」
「下手に遠くに二人で住むより今後のこと考えたら誰かそばにおった方がええってことやろ」
妊娠三ケ月。
お姉ちゃんがお兄ちゃんをうちに連れてきたとき、お姉ちゃんはすでに妊娠していた。
そのことに私の両親はギョッとしたけれど、玄関で深々と頭を下げたお兄ちゃんを追い返すことはしなかった。
むしろそのあとは、初孫だと両家とも隠し切れない喜びが早々に用意されたベビー用品の数で立証される。
淡い色調の幸せを具現化したような素材でできた毛布やタオル。
「可愛えやろ?」と見せられた靴下は人形用にしか見えないほど小さい。
私はそれらが見たくなくて、ここ最近財前家に近づいていない。
「……ようあの家いれるね。あたしなら一日ももたへんわ」
光は一体どんな気持ちで毎日お姉ちゃんのいるあの家へ帰っているのだろう。
エプロン姿で「おかえり」と出迎えてくれるお姉ちゃんに「ただいま」と返してはまるで自分が夫にでもなったような夢をみて楽しめるほど光の精神は図太くない。
これでも私は自分のことと同じくらい光のことも心配しているんだ。
光は成長してますます面差しだけがお兄ちゃんに似てきた。
そんなことをぼーっと考えていると、突然足元から何か飛び出した。
「きゃっ!」と危うく椅子ごと後ろに倒れそうになった私を光がすんでのところで支えてくれた。
小学生低学年くらいの男の子と幼稚園生くらいの女の子の後ろ姿が駆けていく。
すぐにその子たちの母親らしきひとが飛んできて謝りにきた。「大丈夫です」と優しく返せば、母親は何度もペコペコ頭を下げたのち、まだ走り回っている子供たちを追いかけにいった。
ああやって必死にお兄ちゃんを追いかけていた幼い頃の自分がさっきの女の子の姿と重なった。
そういえば、丁度あれくらいの年齢のときに、物置に閉じ込められたなと不意に思い出す。
よくある話だ。かくれんぼの最中、自分で入って出られなくなったのだ。
そのとき味わった世界の終わり。そこから私を救い出してくれたのは、やっぱりお兄ちゃんだった。
「もう大丈夫やで」と囁く低くて優しい声。
泣きじゃくる私を抱える逞しい腕。
私はそのとき産まれて初めて“恋”を知った。
自分の柔頬に当たる硬いヒゲの感触が懐かしい。
そこで、アレ? と思う。
「……なぁ、光」
「ん」
「お兄ちゃん、中学生の頃ヒゲなんか生やしとったっけ?」
「覚えてへん」
「思い出して!」
「……生やしてへんと思うで」
さっきまで鮮明だったはずの自分の記憶が急にあやふやになった。
じゃあ、あのとき私を助けたのは誰? ──私の初恋の相手は……?
「昔かくれんぼしててあたしが物置に閉じ込められたことあったやん」
光が「ああ」と適当に相槌を打つ。
「そのときあたしのこと見つけてくれたのって……」
「ウチのオトンやろ」
やっぱりーー!!! と叫びそうになった。
ということは、だ。私の初恋の相手はお兄ちゃんではなく、光たちのお父さんということになる。
私はなにを一体どこでどう勘違いしていたのだろうか、と頭を抱えたくなった。
あのとき助けてもらったことがすべてではないはずだけど、自分のお兄ちゃんを想う気持ちの根底が覆されたような気がする。
粉々に砕け散ったと思っていた初恋がさらに粉砕されて、風に吹かれて塵になった。
「なんやねん」
急に打ちひしがれてる私を見て光が首を捻った。
そっとしておいてくれ、という気持ちで「なんでもない」とかろうじて答える。
「どうせお前のことやから今までオトンのこと兄貴やと勘違いしてたんやろ」
図星を突かれてぐうの音も出ない。
「ほんま昔っから阿呆やな」と言われても今は言い返す気にもなれなかった。
「お前の本当の初恋の相手はウチのオトンで、初恋擬きがウチの兄貴。そんで二人とも売却済」
ハイ、ハイ、わかってます、わかってます。
「財前家で残ってる男、あと俺しかおらんで」
どういう意味? と返そうと顔を上げると光の顔が思いの外近くにあって驚いた。
まっすぐに私だけを見つめてるその視線が幼馴染を知らない男のように錯覚させる。
「こっちはとっくの昔に“憧れ”と“恋”の区別くらいついとんねん」
少し離れたところでさっきの子ども達が「あー、あそこのふたりチューしよった!」と私たちを指差した。