全国大会決勝戦後、レギュラーメンバーで焼肉屋に赴いた。
ワイワイと騒がしいが、今日ばかりはいいだろう。何より幸村が楽しそうだ。
俺たちは負けた。しかし悔いはない。
ブブブっとズボンのポケットが振動する。外側のディスプレーを確認すると彼女の名前だったので、食事中にもかかわらず携帯をとりだしてしまった。
「 準優勝おめでとう」の一文と数個の記号が羅列してあるだけのメールだった。彼女らしい簡潔なメールだ。
しかし俺はに祝ってもらう資格があるのだろうか。
全国大会決勝戦の次の日、まだ夏休み。久しぶりに部活がなく、毎日の日課であるトレーニングを終えてもなお時間がありあまっていたので、幸村を誘ってテニスでもと思い、電話をしたら「このテニスバカ」と罵られ、蓮二を誘えば、「私用がある」とばっさりと断られた。
仕方がなく、ここ最近疎かになってしまっていた勉強をしようとノートと筆入れを机の上に出した。中高一貫校といえど進級テストはある。勉学に励むのもまた学生の本分だ。
しかし、しばらく参考書を読みまとめていると消しゴムが切れていたことを思いだす。予備はもうない。ため息をつき、消しゴムを購入するため、駅前の文房具店まで行くことにした。
時刻はまだ午前十時。駅前は意外と混雑していた。そこで丸井を見かける。あいつの赤髪は目立つ。何度風紀委員として注意しても聞きやしない。困ったものだ。声をかけようかと思い近ずくと、隣には見知った顔がある。丸井が付き合っていた同級生だ。確かずいぶん前に別れたと噂に聞いていたが、復縁したのだろうか。
丸井の顔はこの上なく幸せそうに見えた。俺はそのまま声をかけず自宅に戻った。
◇◆◇
と初めて会話を交わしたのは一年生のときだ。初めて公式戦で戦った次の日のことだから間違いない。
「一年生なのに試合出てすごいね!昨日はおめでとう」
同じクラスの彼女はたしか応援部で、昨日も試合をスタンド席で見ていたのだろう。うちの学校の応援部は他の部活の都大会以上の公式戦には必ず参加していた。
「これからも頑張ってね」
彼女には何気ない会話だったかもしれない。しかしそれ以来、俺は彼女を気づくと目で追っていた。
だからといって何をするでもない。今はテニス、部活のことで頭がいっぱいだ。それに色恋などまだ自分たちにはまだ早い。先に成熟した同級生がいることは理解しているが、自分とは相容れない存在だとの思っている。
彼女とは引き続き二年生でも同じクラスだったが特に親しい間柄でもなかった。
「応援部って可愛い子多いよな!」
「お前…そんなこと彼女の前では言うなよ」
部活を終えた部室は私語で賑わっている。その中の「応援部」という言葉に耳が引かれた。会話の主は、丸井とジャッカルのようだ。
「なんで?」
「なんででも!」
「でもさ、マジ可愛い子多くね?ほら、えーっと、あの子とか!」
「誰だ?」
「そう!!あれ、仁王同じクラスじゃなかったっけ?」
「おう、同じじゃのう」
「この間、三年の先輩フったらしいぜー、やっぱあんだけ可愛いければモテるよなー」
「お前、ほんとそれ彼女の前で言うなよ」
「へいへーい」
「真田、帰りにグリップテープ買いたいから付き合ってよ」
その会話に完全に聞き入ってロッカーを開けっぱなしで固っまっていると、隣の幸村がはなしかけてきた。あぁっと適当に相槌を打った。悪いが幸村の話しが頭に入ってこない。
そうか、はモテるのか。今の今ままで自分の気持ち以外考えたことがなかったことに気づく。俺は初めて自分ではない誰かが彼女と一緒にいる姿を想像した。
どんな声援の中でも彼女の声だけが聞こえるような錯覚に陥ったことがこれまでに何度もあった。
試合が終わってスタンドを見上げると彼女と目が合い、応援道具であるポンポン?を持ったままの手が挙がって大きく振られる。そのときの表情は「これからも頑張ってね」と言ったときの笑顔と一緒だ。俺は照れ隠しに帽子を被り直す。そんなやりとりがもう一年以上続いてる。
このまま何もしなかったら、そんな些細なやりとりがさえなくなってしまうのだろうか。
決して嫌われているということはないと思う。朝、必ずおはようと声をかけてくれるし、大事な試合の前の日にはメールをくれたこともあった。
しかし、どうしてもあの笑顔が俺だけに向けられているという強い確信が欲しくなった。
「、少しいいか?」
「何?」
朝の挨拶もままならないまま、彼女を連れて教室をでた。
四階は特別教室が多く、朝はあまり人気がない。ここならいいだろうとと思い、後ろをついてきていた彼女に向き直る。
「、俺はお前が好きだ」
俺は簡潔に自分の気持ちだけを伝えた。
彼女は心底吃驚したように目を見開き、俯いた。しばしの沈黙。耐えられず口を開く。
「返事は後日でいい。考えてくれ」
そう言って彼女を残して教室に先に返った。
一瞬しか見れなかったが、彼女の頬は赤く染まっていた。期待してもよいだろうかと自分の口元が緩んだ。
その週末、他校との練習試合の帰り、幸村が駅のホームで倒れた。
「なかったことにしてくれないか」
そう告げたのは幸村の入院が長引くと聞いた次の日だ。
俺が彼女に想いを告げてから丁度一週間が経過していた。
彼女は黙ったまま頷いた。
◇◆◇
全国大会が終われば、夏休みはあと残り約十日間。
もちろん授業もないし、部活は引退だ。昨日同様暇を持て余し、後輩でも扱いてやろうと思い学校へ向かった。
結局、俺にはテニスしかなかった。
校舎に付き、昇降口で靴を履き替える。
うちの学校の昇降口は変わった造りになっていて、吹き抜けになっている。その吹き抜けになっている壁の部分に各部活が取得したトロフィーや楯が飾られるショーケースがあった。
去年までは、そこにテニス部全国大会優勝の旗が威風堂々と鎮座していた。
今年は、準優勝の楯が飾ってある。それでもやはり真ん中の一番目立つ所にあった。
上を見上げているので眩しく、それを眺めていると自然と目が細まる。キラリとショーケースのガラスが太陽光を反射して光っていた。
午前中みっちりと後輩(主に赤也)を扱き、昼休憩をとっていると私服の幸村とマネージャーが現れた。
「あれ?真田、何してるの?」
「いや、こいつらの練習を見てやろうと…」
「うわー…それ、超面倒な先輩代表例だよ…」
幸村は露骨に顔をしかめている。
「ではお前は何しに来たのだ」
「俺だって来るつもりなかったんだけど、どうしてもって…」
「お疲れ様ー!みんな、差し入れだよー!」
呆れ顔の幸村の隣で、マネージャーが笑顔で後輩にアイスを配っている。
マネージャーが配ってくれたアイスをほうばりながら、幸村と木陰で休憩する。
マネージャーは向こうで赤也に捕まって、あれやこれやと質問されてる。
無理もない。マネージャーは彼女しかおらず、これからは部員それぞれが彼女の仕事を引き継がなくてはならない。
「本当に来るつもりなかったんだ」
目でマネージャーを追いながら幸村が話しだす。
「あと残り少ない最後の夏休みくらい、好きな所に連れて行ってあげるって言ったのに、結局ここなんだって」
そう話す幸村の顔は、困ったようなでも嬉しそうな顔をしていた。幸せそうだ。
俺は目頭が熱くなって、そんな幸村からすぐに目をそらす。
「真田…」
「…なんだ」
「今まで部をありがとう。本当はさ、君にいっぱい言いたいことあるんだけど、上手く言えないんだ。だから、ありがとうに全部込める」
目の前が液体で歪む。
「ありがとう。真田が副部長でよかった」
幸村は微笑んでいるのだろう。しかし、俺には全く見えない。
「え、泣いてるの?」
「な、泣いてなどいない!これは汗だ!」
「真田は目から汗が出るのかい?一度病院で検査した方がいいよ」
俺は間違っていた。
幸村が独り苦しんで中、彼女の側にいる自分など到底許せなかった。だからあの時繋ぎかけた彼女の手を身勝手に離した。
ひたすらに部のこれからのことだけを考えた。自分たちが為すべきことはただ一つだと決めつけて、力づくで皆を従わせた。
本当は、何度も全て投げ出してしまいたかった。目の前で大事な奴が死ぬかもしれないのに、冷静でなんかいられるはずがない。
勝つことだけが全てじゃないとわかりながら、勝つことしか自分にはできなくて苦しかった。そんな自分が情けなくて仕方なかった。
幸村の言葉が温かい。間違っていたはずの俺を間違いではなかったと救ってくれる。
「もう俺も部長じゃないし、君も副部長じゃない。だからこれからは君がしたいことをしてほしい」
「大切なものを大切にする権利は誰にでもあるんだよ」
「俺もチャンスをもらえた。女の子ってさ、俺らが思ってるよりよっぽど強いみたい」
少し遠くでマネージャーと赤也の笑い声が聞こえる。
あいつらのそんな声も久しぶりに聞くような気がする。
次の日、夏休み中に個人ロッカーを片付けばならないのを思い出し、結局また学校へ向かった。
幸村に見つかったらまた窘められそうだ。
通常の部活は新部長、赤也により問題なく始まっていた。それを離れたところで見届け、人が出払ったであろう部室入る。
しばらく一人で片付けていると、丸井が部室に入ってきた。
「お、真田じゃん!何してんの?」
「ロッカーの整理だ」
「ふーん、あ、あった、あった!」
丸井もロッカーの整理に来たかと思えば、どうやら違うらしい。がさごそとやったロッカーはすぐに閉め、今度はカバンに何かをつっこんで、電話をし始めた。
「あ、もしもし、今学校。部室。そ、だから駅前で待ってろぃ!」
相手は彼女だろうなと容易に想像がつく。
「よかったな」
「え?何が?」
「…よりを戻したのだろう?」
「え!いや、そうだけど…え!」
「なんだ!」
「いや、真田がそんな風に言うのが予想外すぎて…いつもだったら「たるんどる!」って一喝じゃねぇ?」
「…そんなことはない」
「ふーん……?ま、いいや。じゃあな!」
ふと聞いてみたくなった。丸井はどうやって彼女とよりを戻したのだろう。
背を向けて出て行こうとする丸井に問いを投げかける。
「お前だったら、一度傷つけた相手にどう接する?」
丸井は振り返り、俺を見る。
「謝る!んで自分がどうしたいのか伝える!」
「相手がそれを望んでるかどうかわからなくてもか?」
「いや、相手の気持ちなんてそもそもわかんねーだろぃ?望んでるとか、望んでないとか…そうだとしもよ、それを含めて答えを決めるのは相手なんじゃねーの?」
「自分で勝手に相手の気持ちまで決めて、何にもしないってのはもったいなくね?」
ニカっと笑って、じゃあな!と丸井は帰って行った。
◇◆◇
新学期。すでに部活は引退しているが委員会は卒業ギリギリまで続く。さほど負担ではないので何も問題ないと思っていたが、引き継ぎの雑務などが意外とと多く、放課後は専らこの特別教室を使って資料と格闘している。テニスコートにがすでに懐かしい。
柳生が手伝ってくれる日もあるが大抵は一人だ。
静かな部屋に筆記用具が擦れる音だけが響く。すると急にドアが開いた。
「どうしたの?」
「!?」
いきなり入ってきたのはだった。彼女は不思議そうに俺を見ている。
俺は訳が分からず固まる。
「え?あれ?私のこと呼ばなかった?今、うちの教室に来たよね?」
「いや、行っていない。何のことだ?」
「??あ、うーん、白昼夢かな?真田に呼ばれた気がしたんだけど…なんて!ま、いいや、呼ばれてないなら帰るね、お邪魔しました」
彼女が何の目的でこの部屋に入ってきたか皆目見当もつかない。
しかしこれは神が与えてくれた最後のチャンスなんではないかと柄にもなく思った。
「、」
出て行こうとするその手を勢いで掴んでしまった。彼女は驚いて俺を見ている。
何から伝えよう。伝えても良いのだろうか。
「自分で勝手に相手の気持ちまで決めて、何にもしないってのはもったいなくね?」
丸井の言葉を思い出す。
あの時、彼女より部活を選んだことは今でも後悔はない。
けれど、もしも許されるならもう一度彼女の隣にいる自分を願いたい。
だから今度こそどんな答えでも彼女の口から聞きこう。
「真田?」
俺の名を呼ぶは微笑んでいた。
無性に泣きたくなった。
俺はいつからこんなに涙脆くなったのだろう。
「、俺はお前が好きだ」
それはあの時と同じ言葉。でも今度はもっと確かな気持ちを含んでいる。
今度こそ。三度目はない。だからどうか−
「…本当に?もう無しになんてしない?」
彼女は俯いている。少し涙声なのは気のせいだろうか。
「あぁ、しない」
絶対にしないという気持ちを込めて手を強く握り直した。
「嬉しい。私、ずっと真田に返事したかった」
あぁ、やはり彼女は泣いていた。でも微笑んでいる。
「私も大好きです」
やっと言えたと呟いた彼女が可愛くて愛しくて堪らなかった。