幸村が突然倒れた。しばらく入院することになるらしい。
以前にも増して部がピリピリする。特に動揺しているのが真田。それから意外と仁王。
確かに絶対王者、部長の幸村がいないのは心細い。けれど俺たちは今まで通り勝てばいいだけの話だ。
俺たちは今までだってずっと負けが許されなかったじゃないか。今更狼狽える必要はないはずだ。

今まで以上に部活が厳しくなって、ともあまり一緒にいられなくなった。
それでもから文句を聞いた覚えはない。しょうがないねっと笑う顔しか思い出せない。

けれどそのが俺のそばから離れていったのはそれからすぐのことだった。

部活帰りで寄ったコンビニで、が好きだと言っていた冬季限定のお菓子を見つけ。
あいつはあまりコンビニには行かないから、これがもう販売していることを知らないかもしれない。明日学校に持っていって渡したら喜ぶかなと思って、自分が買うつもりだったお菓子を一つ棚に戻し、そのお菓子を買った。
その次の日の朝練が終わったあとすぐのクラスに寄る。あのお菓子を渡すためだ。
あいつの教室の入り口まで行き、名前を呼んだ。いつもなら嬉しそうににっこり笑ってこっちに来るのに、その日はなんか様子がおかしかった。
「どうかした?」
「…ちょっと話したいことあるから、あっちで話したいんだけどいいかな?」
「おお」
「ごめんね」
朝の慌ただしい廊下を抜けて人気の少ない屋上に繋がる非常階段までは歩いていった。俺はその背中を追う。
「なんか、怒ってる?」
先ほどから感じてた違和感。が俺の先を歩くなんてこと今までなかった。
「怒ってなんかないよ。でもね…私と別れてほしいの」
「は?…なんで?」
突然のことで驚いた。そして次に腹が立った。我儘な俺のこと嫌になったのかと責めるように聞けば、違うと首を横に振り、じゃあ最近部活が忙しくて構えなかったからかと聞いたら、それも違うといった。
どんなに理由も尋ねても、彼女はただ「別れたい」それだけしか最後まで言わなかった。
そんな彼女の急に見せた頑なな意思がまったく理解できなくて、ただただ裏切られたように感じた。
勝手にしろ。こっちはこっちで今大変なんだ。だから去っていく彼女の背を追わなかった。鞄に入れていたお菓子は食べる気にも捨てる気にもなれなくて、部室のロッカーに投げ込んだ。

が隣に並んではくれなくなったのが当たり前になってきた頃、少し冷静になった。
俺は知らないうちにのことを傷つけていたのだろうか。ならその時に言って欲しかった。そうしたら、謝れたのに。
もう遅い。
は最後まで俺に本音を言わなかった。それがとても寂しい。


◇◆◇


一年生のときからバレンタインをもらった。同じ小学校だったけど、あんまりしゃべったことなくて、バレンタインを貰ったこと自体が意外だった。
その日家に帰って、毎年何個かもらう義理チョコ丸出しのチョコレートを弟たちと一緒に食べた後、自分の部屋でこっそりから貰った袋を開けると綺麗にラッピングされた透明な箱に入った手作りのチョコレートが出てきた。ラッピングを丁寧に解き、箱を開け、チョコレートを摘む。
味は普通のチョコレートだと思う。でも生まれて初めてもらった本命であろうそれは、特別な味に感じられた。
次の日、いてもたってもいられなくなって、彼女のところへ行った。
「あれ、すっげーうまかった!」
「ほんと!」
そう言ったはパッと笑った。すっごく可愛かった。あれ、こいつこんなに可愛かったっけ。
「あれ、本命だよな?」
って聞いたら真っ赤な顔で頷かれた。やっぱり、すっごく可愛いい。


は他の女子みたいにあんまりおしゃべりではない。どっちかっていうと聞き手に回っていることの方が多いような気がする。
俺といる時もそうだった。俺の本当にどうでもいいような話でも、とても興味深げに「うんうんそれでそれで」とにこにこしながら聞いてくれる。だから気がつくと調子に乗って俺ばっかり話してるなんてしょっちゅうだった。
もっとの話も聞いてやればよかった。俺はいつだって自分のことばかりだ。


◇◆◇


三年になった。まだ幸村は復帰できていない。春が過ぎ、梅雨が明け、夏が始まる兆しを見せる。もうすぐ都大会が始まるのに。
とは三年生でも同じクラスじゃなかった。結局三年間一度も同じクラスにはなれなかった。たまに廊下で見かけるが、その笑顔がこちらを向くことはもうない。

放課後の部室に行くとマネージャーがいた。他の部員はまだのようだ。
「ブン太、そんなに食べるの?すごいね」
部活前に食べようと思っていたパンが大量に入った袋を見てマネージャーが笑う。
最近のマネージャーはよく笑ってる。一見、あのピリピリした部活で一人のほほんとしているように見えるが、それは大きな誤解だと思う。
俺には今にも破裂しそうな風船に見える。少しでも気が緩めば弾けてしまいそう。
「これやるよ!」
「あ!これ購買幻のアップルマンゴーデニッシュ!」
「ほら、あとこれとこれもやるよ」
「どうしたの?ブン太が他人にお菓子あげるなんて!」
「いいから食え!甘いもん食うと元気になるんだぜ!」
「…ありがとう」
「あと、それからコレも…」
そう言ってロッカーにあの時から入れっぱなしになってるお菓子を手に取る。
「ん?」
「…やっぱ、なんでもね」
箱の角が潰れてる。こんなもの人にあげられるわけがない。結局またそのお菓子はロッカーで眠ることになる。


◇◆◇


全国大会。
幸村は間に合った。本当によかった。心強い。でもそれもあるけど、マネージャーが壊れてしまう前に幸村が帰ってきてくれて本当によかったと思う。あとは勝つだけ。俺だってこの代で優勝したい。こんなにみんな頑張ったんだ。絶対勝ちたい。

けれど勝てなかった。


「お前今何考えてる?」
「…なんだよ、急に」
全ての試合が終わったあと、閉会式前に隣で座っているジャッカルに声をかける。
「いや、ちょっと…んで、何考えてる?」
「…絶対引くから言いたくない」
「え、お前、そんな引くほどエロいこと考えてたの?」
「ちげーよ!なんでエロいことなんだよ!……お前のことだよ…」
「え」
俺はふざけて自分の胸の前で腕をクロスして、いやんっとポーズをとる。
「だーかーらー!ちげーって言ってんだろ!……お前、俺がテニスを始めてた理由覚えてる?」
「?」
「俺さ、小学生の頃、てゆーかまぁ昔からだけど、この外見のこととかそういうことでずっとからかわれてたんだよ。仲間外れにされたりとか、しょっちゅうだったし」
そうだったっけ?よく覚えていない。
「それなのにお前、そんな俺に「お前、なんかスポーツできそうだな!」って急に話しかけてきさ。始めは馬鹿にされてんのかと思ったんだけど、お前そのまま俺のこと引きずってテニスコートまで行って、テニスなんかやろうぜ!とか言うし」
悪いが全然覚えていない。
「多分お前は打ち合う相手が欲しかっただけなんだろうけどさ。俺、それすげー嬉しかったんだ。それが俺のテニスの始まり」
ジャッカルはさっきまで試合をしていたコートを遠い目で眺めている。ジャッカルが話したそんな昔のことは覚えていないが、こいつと組んだダブルスは俺の中で最強だった。こいつならどんなときでも信頼できた。俺もお前とテニスできて嬉しかった。
「覚えてないだろ?」
「悪い」
「俺にとってお前はヒーローだよ。今までありがとな」
「…ジャッカル…」
「なんだよ」
「ちょっとキモい」
「おい!」
「アハハ!うそ、うそ!」
「…高校に入っても、たまに相手してくれよ」
「いいぜ!」
ジャッカルが付属高校に進まないことは全国大会前に聞いていた。
本当に勝ちたかった。勝ってこいつと喜び合いたかった。



閉会式が終わって集合場所に戻るとマネージャーが一人でぽつんっと座っていた。
俯いている。とても寂しそうにみえる。
本来なら彼女だって式に参加させてあげたかったが、選手以外はダメらしい。バカバカしい規則だ。
マネージャーは結構な重労働だ。選手と一緒にロードワークだってするし、ときには泥だらけになって球拾いもする。誰よりも先に来て、誰よりも後に帰る。暑い日も寒日も大量の洗濯物と格闘して、コート整備をして石灰まみれになる。俺らが休憩しているときはドリンクとタオルを配り、また仕事に戻る。ちゃんと休憩とらなきゃいけないのは自分だって一緒なのに。
誰がなんと言おうとこいつは頑張った。大好きな幸村があんなことになって一番辛かったのはこいつだっただろうに、絶対に最後まで弱音を吐かなかった。

俺に気づくとマネージャーは笑った。
「おかえり!あれ?ブン太一人?あとのみんなは?」
俺の後ろを見る。たぶん幸村を探しているのだろう。幸村はさっき閉会式が終わったあと柳たちと何か話してた。まだこちらには帰ってこないだろう。
「お前、なんで笑ってんの」
「え?」
もういいだろう。もう十分だ。
「泣け!泣き叫べ!泣かないんだったら泣かすぞ!」
「ちょっ!何!怖い!」
「いいから泣けよ!もう泣いていいんだよ!」
そう言うとマネージャーはダムが決壊するようにボタボタと涙をこぼし始めた。

帰りはみんなで焼肉に行った。
マネージャーはまだ泣いてる。泣けとは言ったもののここまでずっと泣くと思わなかった。その泣き顔がブサイクで面白くて可愛かった。
それほど我慢してたんだろう。よく頑張ったなって頭を撫でくりまわしたい。でもそれは俺の役目じゃない。
頑張ったらご褒美が欲しい。マネージャーにとってそれは幸村だ。
そして俺にとってはやっぱりだ。
幸せそうな幸村とマネージャーを見ていたら、に会いたくなった。
今更、どの面下げてって思うけど、そうやって勝手にもう遅いって決めつけるのはまだ早いかもしれない。そう思いたい。
誰かの希望が叶うのを見ると自分の希望も叶うような気がする。
幸村が間に合ったように、俺も間に合うだろうか。

店の個室を出て、外に近い廊下で携帯を取り出す。
の番号は消していない。あいつが携帯を変えていない限り繋がるはずだ。
繋がれ、繋がれ、目を閉じ念じる。

「…もしもし」
でた!
「もしもし!俺!」
「うん…わかるよ」
「明日、十時に駅の北口に来て欲しい!」
「…」
「来てくれるまで俺、待ってるから!」
伝えたいことが山ほどあるんだ。
もう遅いなんてそんな言葉はもっと、もっと歳をとってから使えばいい。俺たちは十五歳だ。
遅いことなんて絶対にない。


「今までずっとごめん!、俺、やっぱりお前のことが好きだ!」
会って早々そう言った俺にはびっくりしてる。
そしてが初めて俺の前で泣いた。
はじめて好きって言ってくれた…と呟いた彼女を俺は力いっぱい抱きしめた。



もうこの手は離さない。人生は一度きり、絶対ハッピーエンドにしたいんだ