遠くで稲妻が走る。
最後の一年のはじまりに出鼻を挫かれたようで気分が悪いが天候だけは気合だけではどうにもならない。
「視聴覚室の鍵は貸出中でしたので、とりあえず行ってみましょう。おそらく掃除中で誰かしらはいるだろうとのことです」
柳生の報告を受け、ぞろぞろと連れ立って視聴覚室へ向かう。
殿を務めている真田は先ほどからずっと憮然とした態度だ。
丸井は内心お前は勝ってんだからいいじゃねぇかと心の狭いことを思ってしまう。
なんの気まぐれか「一昨年の全国大会決勝の試合を見よう」といきなり提案したのは部長の幸村だ。
「今更あんなものを見て何になる」と眉間に皺を寄せた真田に「“なに”にするかは自分次第なんじゃないかな」と幸村は穏やかに返した。
過去にあまりこだわらないタイプの丸井でさえ、あの夏のあの試合は特別で、正直未だにどう扱えばいいものかわからないまま今に至る。
そもそもどうして今年でも去年でもなく一昨年なのか。負けたことにこそ学びがあるとでも言いたいのだろうか。
丸井も含め他の部員も皆、真田同様幸村の真意を図りかねているように見えた。いや、柳や柳生あたりは違うかもしれないが。
テニス部一行が視聴覚室に着くと丁度掃除当番の生徒が掃除を終え、施錠しようとしていたところだった。
「あれ、じゃん」
丸井が呼ぶと、が視線を上げてこちらを向いた。
そういえば視聴覚室の清掃は自分のクラスが担当だったことを丸井は今頃思い出す。
。丸井のクラスメイト。
普段クラスでは騒がしい女子グループに属しているが、自身は普段からあまり感情が表に出るタイプではないのか、一人でいると少し近寄りがたい印象になる。
ただ、だからといって悪印象というわけではなく、むしろそこに魅力を宿していて、クラスでは男女問わず誰もが一目置くような目立つ存在だ。クールビュティー、そんな言葉がよく似合う。
クラスの男子はそんなに憧れを抱いている奴もいるが、丸井としてはもう少し愛嬌がある女子の方が好みというのが本音だ。
「清掃お疲れ様です、さん。すみませんが、視聴覚室の鍵をそのままお貸していただけますか? 返却は私が責任を持っておこないますので」
はああそうという気のない感じで「ハイ」と無造作に鍵を柳生に渡して去っていく。
「おかしいですね。電源は入っているのですが……」
「え、何? 壊れてるの?」
「ディスクを読み込みませんね」
機械の前でああでもないこうでもないとやっている柳生や幸村たちからは距離を置き、いよいよめんどくさくなってきた、と丸井は明後日の方向を見ながら口に入れていたグリーンアップルのガムを器用に膨らます。外は相変わらずの嵐だ。
今日はもうお開きでいいんじゃねぇ、と丸井が提案しようとしたところで、帰ったとばかり思っていたが後ろのドアから顔を覗かせていることに気づいた。
「どうした? 忘れもん?」
「ううん。そこのデッキ壊れてるよって教えてあげたほうがいいかなって」
「それ教えにわざわざ?」と訊くと「うん」と返ってくる。「お前、意外といいやつなのな」と丸井がわざと揶揄うと「そうかな?」とは真顔で首を傾げた。コイツ、実は天然か? と丸井は普段とは違う印象をに抱く。
丸井は振り返って「そのデッキやっぱ壊れてるらしいぜ」と柳生たちに伝えた。
「プロジェクターでもいいなら観れると思うよ」
「なに、お前詳しいの?」
「詳しいってわけじゃないんだけど、前にここで借りてきた映画みんなで観たことあって」と悪気なしに答えたに真田が「学校でそのような行為は」とめんどくさいことを言い出したので、まぁ待て待てと止めにはいる。ジャッカルが。
の助言により、無事に記録映像が再生された。
さっきまで「えぇ、マジで観るんスか〜」と乗り気でなかった赤也が「うわっスゲェ大画面だと映画みてぇ」とはしゃぎだした。
「せっかくですしさんも観ていかれませんか?」
窓ガラスに大粒の雨が当たり激しい音を立てている。
雨宿りの暇つぶしにちょうどいいと判断したのか、は「じゃあ」と言って丸井のすぐ後ろの席にちょこんと座った。
『フハハハ喰らえぃ手塚ぁーっ!!』
「改めて観てもやっぱ真田うるせぇな。お前の語尾全部『!!』ついてんじゃねぇの」
そんな茶々をいれつつも、見始めるとつい真剣に観てしまう。結果なんて知っているはずなのにあのときの緊張が蘇ったように手のひらに汗をかくんだから不思議だ。
興味なんかないのではないかと思ったも案外集中して観ているようだった。
スクリーンには『雷』を打つ真田が大写しになる。
『絶望に打ち拉がれるがいい手塚ぁーっ!!』
しかし真田の放った『雷』が手塚の『ファントム』によってコートから弾き出された。
『おのれぇーーっ!! 手塚ぁっ!!』
『アーウト!! ゲーム手塚 4−4』
そこから真田と手塚の凄まじい打ち合いが続く。
二人ともまるで真剣を使った命のやり取りをしている侍のようだ。
お互い決して譲れぬものを抱えた真剣勝負。
なのに——
場面が一旦切り替わる。コートチェンジ。そして、試合が再開した。
『動くこと雷帝の如し!!』
しかし真田は『林』で返した。
『何が皇帝だよ……汚ぇーぞ真っ向勝負もしないで何が皇帝だ!!』
と野次る声が画面の中から聞こえて、丸井は思わず奥歯を強く噛んだ。
お前こそ真田の何を知ってんだよ! どんな思いでコイツが真っ向勝負を捨てたのか、お前にわかんのか?
プライドを捨ててでも目の前の勝利を掴みとろうとする覚悟は生半可なものではない。
真田の膝は手塚の肘と同じくらい赤黒く鬱血していた。
あのときの真田を侮辱していい者などいるはずがない。
真田の打球が手塚のラケットのガットを撃ち抜いた。
それでも手塚の執念で僅かに回転のかかった球がネットを越えて真田側のコートに落ちようとしていた。
『向こうに入らんかーーーーっ!!』
真田の渾身の雄叫びが響いた瞬間、特大の雷が落ちた。例え話ではない。実際の雷。落雷だ。
それともにブレーカーが飛び、暗幕を引いていた視聴覚室は真っ暗闇になる。
停電は一瞬のものですぐに予備電源に切り替わり照明が点いた。
高校生にもなって雷が怖いというわけではないが、急にだと心臓に悪いのは確かだ。
丸井は息を吐いてから、「大丈夫か」とを振り返った。そして、「え」と口にしたまま固まる。
気づいた他の部員も順に丸井と同じ反応を見せた。
は今や何も映し出されていないスクーンを見つめたまま、こちらがハッとするような表情で一筋の涙を溢していた。
あまりにも予想外の出来事に誰もが動けずにいると、柳生が「怖かったですね。でも、もう大丈夫ですよ」と紳士らしくにハンカチを渡し、視聴覚室からそっと連れ出した。丸井を含めた他のメンバーはただそれを無言で見送る。
「真田副部長が泣くほど怖かったんスかね」
赤也がいらぬ軽口をたたき真田にゲンコツを喰らう。鑑賞会はそのあとも続行された。
は柳生に見送られあのまま帰宅したらしく視聴覚室には柳生一人で戻ってきた。
『ゲームセットウォンバイ青学 7−5!!』
スクリーンの中の審判が告げる。
それまで丸井たちを写していたカメラが一瞬ぐらつき、空を映した。
焼けるように暑かったあの日は丸井が思っていた以上に見事な快晴だった。