こんなに生徒がたくさんいる廊下でも、私はいとも簡単にブン太くんを見つけることができる。白いシャツや紺色のブレザー、ほとんどが中学生らしい黒い髪。その中で文字通り極彩色を纏う彼は目立つからだ。でも絶対にそれだけじゃない。
けれど、逆はどうだろう。彼は私をこの中から見つけ出せるだろうか。そんななんの意味もない自分に対する意地悪な質問を考えながら、前を歩く彼と彼の部のマネージャーを見つめる。ブン太くんがふざけて彼女の頭を乱暴に撫でていた。私は堪らず、幸村くんがいるくせにっとその小さい背を睨む。

二人は一年の時から仲がいい。ブン太くんから言わせればただの部活仲間らしいが、私はどうしてもあの子の存在が許せなかった。そもそも、マネージャーってなんだろう?本当に必要なんだろうか。普段どんな仕事をしているんだろう。どうせ大したこともせず、男子部員と青春ごっこでもしてるのかな。そんな邪推しか自分にはできなくて、嫌になる。
けれどこの邪推は的外れではないのだろう。同じように彼女を疎ましく思う子は多いようだ。表立ってこそいないが、そのような噂や陰口は後を絶たない。
しかし、あの子はその持ち前の明るさやその天然気味の思考回路で、気にしていないようだ。そんな所もやはり勘触るのだろう。私だったら堪えられない、そう思う。

ブン太くんがやっと後ろにいた私に気づいた。こちらへかけてくる。私は慌ててにっこり笑う振りをする。
「なぁ、明日さ、ちょっと時間できそう!なんか一緒に美味いもん食いに行こうぜ!」
「うん!でも珍しいね。どうしたの?」
「練習試合なんだけど、午前中だけみたいだからさ!試合終わったら連絡するから、駅前で待ち合わせようぜ!」
「わかった、待ってる!楽しみ!」
そう言うと、ブン太くんは先ほどあの子にした様に私の頭を撫でた。払いのけてしまいたかったけれど、意気地なしの私にはそんなことはできなかった。
彼女に触れた手で、私に触れないでほしい。その手は私だけを甘やかすものであって欲しい。最近そんなことばかり考えていてる。
私はいつからこんなねじ曲がった女の子になってしまったのだろう。

次の日、どんなに待っても彼からの連絡はなかった。


◇◆◇


私がブン太くんに恋をしたのは小学生のときだった。
今より更に内気な性格が災いして、みんなが遊ぶ輪になかなか入れない私に声をかけてくれたのがブン太くんだった。
「お前もそんなとこに一人でいないで、一緒に遊ぼうぜ!」
たったそれだけだ。もちろん、彼にとって私が特別だったわけではない。けれど私は、そんな風に男の子に声をかけてもらったのは初めてでとてもびっくりした。
彼はどんなクラスメイトにもそうやって声をかけていたはずだけど、まさか私にまで声をかけてくれるなんて思っていなかった。
その瞬間から私にはブン太くんが特別になった。
ブン太くんは素直で、明るくて、そして優しかった。だから彼の周りは自然と人が集まっている。
私はそれをずっと遠巻きに見ていた。そんな小さな淡い自分だけの恋だった。
だから同じ私立の中学校に入れたことは奇跡に思えた。なんの繋がりもなかった私たちだけど、初めて何か小さな繋がりが持てたように思えた。
クラスは離れてしまったけど、廊下で会うと度々話しかけてくれた。日々の挨拶から購買の美味しいお菓子の話、そんなたわいのない内容だったけど私はたまらなく嬉しかった。
大好き。彼が通り過ぎたあと、背中にそっと呟く。私には彼だけが輝いて見える。

中学最初のバレンタインに勇気を出してチョコレートを渡した。「これ、もらって」としか言えなかったし、手紙もつけられなかった。
けれど次の日、「あれ、本命?」と聞かれ、頷けば彼は笑って、「じゃあ俺と付き合うぜ」と言った。信じられなかった。

何故彼がこんな私と付き合ってくれているのかわからない。彼みたいに何か特別秀でてるもが私にはないことを自分が一番よく知っている。
けれど、彼が私を選んでくれた。それは事実だ。そう自分に言い聞かせる。
そうじゃないと不安でせっかく繋いでくれたこの手を離してしまいそう。
付き合ってもう三つ季節が過ぎた。私は彼に「好きだ」とは言われたことがない。そんなこと思うのもきっと贅沢だ。


◇◆◇


「マジ、ごめん」
「…うん…」
「幸村がさ、昨日練習試合の後倒れたんだよ。それでバタバタしてて…でも、本当マジごめん」
次の日、朝一番にブン太くんがうちのクラスまで謝りに来てれた。
そういう事情なら仕方がない。いいよ、気にしないで。それより幸村くんは大丈夫なの?そんな会話を少しして、彼は自分のクラスへ帰っていった。
「テニス部、昨日幸村くんが倒れて大変だったんでしょう。それなのにあんなに謝らすとか酷くない?」
「ちょっと聞こえるよーアハハ」
もちろん聞こえてる。最近こんなことが増えてきた。
ブン太くんが夏に部活で新人戦に出た頃からだろうか。元よりブン太くんの周りはいつも賑やかだったが、最近はそれによく女子が加わっているのを見る。それと比例するように付き合っている私に対するやっかみも露骨になってきた。
ブン太くんに向けられる好意、それに隠れて嫉妬する醜い自分。それに加わった彼女たちから私に向けられる大ぴらな嫉妬。
私は結局すぐ根を上げてしまった。私はあの子とは違う。でもそれが普通の女の子だ。

人の噂も七十五日。いや、学生の噂はもっと早い。私たちが別れたことは瞬く間に広まり、そして瞬く間に何もなかったようになった。
ブン太くんはあいかわずテニスばかりのようだ。それがせめても救い。私は自分から手放したくせに、彼の髪色を目で追うことが止められずにいた。


◇◆◇


放課後、一人で図書室によった。まだ衣替えしたばかりだといいうのにとても暑い。年々夏が前倒しになっているような気がする。
もうすぐ中学生最後の夏がくる。まだ幸村くんは学校に来ていない。

帰る前にトイレに寄った。私が個室に入った後、誰かが騒がしくトイレに入ってきたようだ。激しい足跡と共に笑い声が響いている。
「てか、誰にも見られてないかな?」
「アハハ、大丈夫っしょ。あそこあんまり人通らないし」
「アレ見たらあの子泣くかな?」
「泣くでしょーいいきみ!」
「あんた、ほんっと性格悪っいーアハハ」
彼女たちの上履きをまた下品にパタパタと鳴らす足跡が過ぎたことを確信してから、個室から出た。
手を洗うための水道には黒い土が付いていた。だからピンっときた。
一般校舎からは離れた裏門にほど近い、けれど日のあたりはいいそこは植物を育てるのに適しているから花壇が何個かあったはずだ。

「やっぱり…」
予想したとおり、目の前の花壇は無残な姿になっていた。
花に詳しくない私でも知っている夏に咲くその大きな黄色い花は、まだふっくらとした蕾だったはずだったのに。
「どうしたの?」
後ろから急に声をかけられ、驚き振り向く。あの子だ。
「あ」
私越しに花壇を見たあの子は驚いている。けれどすぐに走り去っていってしまった。
もしかしてコレやったの私だと思われたかな、と頭をよぎる。それはとても不愉快だ。
でももしそうなら、さっき何か言うだろうし違うのかもしれない。
あの子泣くかな?と言っていたさっきの会話を思い出す。

ほどなくして彼女はバケツとスコップを持って帰ってきた。
彼女は花壇の前で腰をかがめ、手早く花を植え直しはじめたようだ。
彼女の表情は明るい。普段通り楽しげに花壇の手入れをしているようにさえ見える。
「そんなことしたら、また何かされるよ」
彼女たちが、これを見たらまた何かするのは目に見えてる。彼女たちが望むのはこの子の泣き顏だけだから。
それに気づかないこの子は馬鹿だ。
そう心の中で毒づいていることも知らず、彼女はにっこりとこちらに微笑んだ。
「そういうのはどうでもいいの。私はこの花の方が大切だから」
違う。この子は気づいていたんだ。彼女たちの悪意に。鈍感だったわけでも無神経だったわけでもない。
気づいていてもなお、彼を選んでいるんだ。
彼女の手がとても愛しそうに花に優しく触れる。彼女は何よりも自分の大事な人を大切にしている。その事実が私を容赦なく攻める。
私は彼より、自分を選んだ。彼が好きな気持ちより、自分を守ること選んだ。愚かなで弱いのは私の方だ。
そんなこと知りたくなかった。私もこの子のことを彼女たちのように蔑んでいたかった。
「大丈夫?」
彼女が私のことを覗き込む。泣いてることを悟られたくなくて、手で顔を隠し小さな声で大丈夫と言った。
花壇を元どおりにするには結構な時間がかかりそうだ。私は彼女の向かいに腰を下ろしなぎ倒されている花を起こした。
「手伝ってくれるの?」
「うん…」
そう言うとハイ、っと彼女がしていた軍手の片方を差し出された。
「手、汚れちゃうよ」
私は無言でそれを受け取った。
結局二人とも軍手をはめていない方の手は泥だらけになった。



私もこの子のように大切にしたかった。どうでもいいあんな人たちより、いつも明るくて優しい大好きな彼を選べばよかった。
「好き」だと一度も彼に言えていなかったことを思い出して、また涙が出た。


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