「じゃあ、よろしくお願いします」

 と頭を下げられ、丸井は「こちらこそ。これから一緒にやっていきましょう」ととびきりのスマイルをつくった。
 今日丸井が訪れたクライアントは老舗の和菓子屋だった。つい先日代替わりをして、それを機にしっかりとしたホームページを持ちたい、という相談だ。
立地的に観光客も見込めるので、利点は大いにある。むしろ今まで持っていなかったのが不思議に思えるが、先代にずっと反対されていたそうだ。

「『いい菓子を作ればいい。職人がそれ以外のことをするな』親父が言っとることもわかるんです。でも、せっかく作ったんやったらたくさんのひとに食べてもらいたいし、喜んでもらいたい。ウチの菓子はほんまに美味いんです」

 クライアントが打ち合わせでそう語っていたことを丸井は思い出す。
自分の仕事に誇りを持っていることを感じさせるいい言葉だった。
 丸井がクライアントと談笑しているその後ろではなぜか思いつめた表情でショーケースを見つめていた。

「どうかしましたか?」
「あ、いえ。本当に美味しそうだなって」
「ありがとうございます。もしよかったら、何点かお包みしましょうか」

 褒められて気をよくしたクライアントが「どれにします?」と話しを進める。
は恐縮していたが、丸井が先に「じゃあコレとコレ!」と豆大福と大きな栗の乗った鹿の子を指差せば、遠慮がちに「じゃあ……」と夏らしい水羊羹を選んだ。
 クライアントに礼を言って二人揃って店を出る。
店を出た途端ものすごい日差しの暴力にあった。

「お前、日傘持ってんならさしていいぞ」

 丸井がそう言ってもは誰かと並んでいるときは日傘をささなかった。
 すぐそこの駐車場まで歩くのも辛い。腕時計を確認すればちょうど十五時を指していた。
都合よく喫茶店の看板が見えて、丸井はを連行して入店した。

「おやつならさっき和菓子もらったじゃないですか」
「ソレはソレ、コレはコレ。ほら、お前もなんか頼めよ」

 メニューを押し付けられたはそれを開く前に「じゃあ、私はアイスコーヒーで」と返してきたので、丸井はメニューを自分で開いて再度に押し付けた。

「疲れてるときは甘いもんだろい。俺はクリームソーダ」
「冗談ですよね?」

 が驚いているあいだに店員が注文を取りに来たので、すかさず丸井はクリームソーダを頼んだ。
は慌ててメニューをめくり、季節のジェラートがなんなのかも聞かずにそれを頼む。
店員が去ったあと、は小さく息を吐いた。
の口数がいつも以上に少ないのは連日の猛暑のせいだけではないような気がした。
「なにかあったか?」と訊いたところではきっと「なにもないですよ」とかわすだけなのはわかりきっているので丸井は敢えてなにも訊かなかった。
訊かないかわりにクリームソーダだ。
その作戦は成功で、丸井につられて頼んだジェラートを一口口に入れたは「あ、美味しい」と呟いて目を細めて笑った。
 丸井がのことを気になりだしたのは随分前だった。
 慌ただしく行われた歓送迎会。安いという理由で選んだらしい店はハズレで、みんな自動的に運ばれてくるコースのつまみには早々に手をつけるのをやめ、酒ばっかりを煽っていた。
そんな中では黙々と自分の目の前に置かれた料理を静かに食べていたのが印象的だった。
そのあと仕事で関わるようになって、丸井はの誠実さに心惹かれ始めた。
仕事の出来栄えはさることながら、一歩先を読んで丸井たち営業が望むもの、ひいてはクライアントが望むものを作ってくれるは一流のデザイナーだった。
その優秀っぷりに周りがやっかんでも、素知らぬ顔で自分の仕事を黙々とこなす姿はいつかの居酒屋で見たと完全に一致する。
確かに可愛げはないかもしれないが、その真面目さが丸井にとってはいじらしく思えた。
「なぁ、」と丸井がに声をかけようとしたタイミングで丸井の携帯がそれを遮った。
画面に表示されている名前は『切原赤也』。無視だ、無視。
なのに着信を知らせるバイブレーションは鳴り止まない。

「出て大丈夫ですよ?」

 なかなか出ようとした丸井に気を使ってかが気を使った。丸井はしぶしぶ携帯を片手に席を外した。

「悪ぃ、なんかあの馬鹿がまたトラブったみたいでさ、俺先会社戻るわ。お前、ゆっくり食ってけよ」
「あの馬鹿って切原くんですか?」
「そ。他にいねぇだろい、あんな馬鹿」
「仲良いですよね。羨ましい」
「じゃあ、お前のとこの後輩と交換してくれ」

 丸井は鞄と脱いでいたスーツの上着を持ち、伝票を掴んだ。
「あ、お金、」と言いかけたに丸井が「あのさ、」と被せる。
 今言わなかったら絶対後悔する。それだけは確かだった。

「今日夜空いてる?」
「何時からですか? 十八時までの打ち合わせが一本ありますけど、そのあとだったら大丈夫ですよ」
「や、仕事の話じゃなくて。ほら、あのエロサイト、一段落しただろい。お前のおかげで契約も続行できたし、記念にどっかでパァッとやろうぜ」
「いいですね、打ち上げ。でも、今日ですか? 急ですね?」
「このあいだ言ってたウチの会社の近くの焼肉、今夜なら予約取れそうだからさ。お前、一回食ってみたいって言ってただろい」

 がきょとんとした顔をした。それがパァと花が咲いたような笑顔に変わる。
「覚えてくれてたんですね。わぁ、やったぁー! 今夜は焼肉だぁ!」とはしゃいでみせるは純粋に焼肉を喜んでいるというより丸井のために喜んでみせているのであろうことは丸井自身もわかっていた。
それでもいい、と思う。今は。
にとって、そうさせるぐらいには自分の価値があるという確かな証拠だ。

「じゃ、またあとで詳しい時間連絡するわ」
「仁王さんには私から言っておきましょうか?」
「あーいい、いい。俺からしとく」

 丸井はの分と自分の分、両方の支払いを済ませて店を出た。
出た瞬間また日差しが容赦なく降り注いだが、午後の仕事も頑張ろうと思えたのはの笑顔のおかげだった。


◇◆◇


 予約は初めから入れていた。を誘えなかったらそれまでで自分一人で食べるつもりだった。
 は約束の時間のちょうど五分前にやって来た。

「よ、お疲れ」
「お疲れ様です。あのあと切原くん大丈夫でした?」
「あー大丈夫、大丈夫」
「でも、このあいだ聞いたんですけど、切原くんも実は営業成績いいんですよね? 次世代エースって自分でも自慢してたし」
「それ自称な」

 丸井はメニューを開いて、に「なに食いたい?」と尋ねる。
「仁王さん待たなくていいんですか?」というに丸井は「仁王なら来ねぇよ」とボソッと答えた。

「えっ?! なんでですか??」

「まさか喧嘩!?」と驚くに、丸井はすかさず「アホか。んな子供みてぇなことしねぇよ」と返した。

「今日は、お前とふたりで話したかったの」

 丸井が決心して言ったそれもにはピンときていないようで不思議顔で返された。
丸井は思わず「だぁぁぁ」と声に出して頭を抱えた。

「お前、モテねぇだろい」
「……なんですかいきなり」
「ま、いいや。悪かったよ。こんな騙し討ちみたいなことして。けど、お前、俺が何度も誘うとしてんのに全然気づかねぇし、なんでかいっつも邪魔は入るし……まぁ、それはお前のせいじゃねぇんだけどさ。そんなことしてたら……って、しょうがねぇか、もう今更そんなこと言っても」

「どうかしたんですか?」というの問いに「俺、東京に戻ることになった」と丸井が答えた。

「あっ、え? おめでとうごいます! よかったですね!」

 は本心から喜んでいるようなので、わかっていたが丸井はそのことに少しだけショックを受けた。
でも、そんなことでは怯まない。一か八かで上等。先がわかってることはつまらない。

「でさ、お前も一緒に帰んねぇ?」

 丸井はの目を見て、はっきりと伝えた。
の笑顔にピシリとヒビが入った。

「いや、向こうの方が仕事もあるし、お前の腕も生かせるだろい」

 一度口をつぐんでから、「……てゆーのは口実で、本当は俺がお前と帰りてぇだけ」と丸井は正直に告白した。
その意味をが理解する頃まえに、店員がお通しのオイキムチを持ってきた。

「飲み物はお決まりでしょうか?」
「俺は生で。お前は?」
「あ、え、っと、どうしよ……あ、同じので」

 店員が注文を復唱して去ったあと、は「……本気で言ってます?」と丸井に疑いの目を向けた。
そうだよな、そうなるよな、と丸井は苦笑しながら、割り箸を割ってキムチに手を伸ばす。
「こんなことで嘘言うほどろくでなしじゃねぇよ。ほら、とりあえず食おうぜ」と丸井が言うと、は静かに怒っているように無言で割り箸を割ってキムチに箸をつけた。
 もうなにも言わない、あとはの答えが出るのを辛抱強く待つだけ、そう誓っていたのに、帰り際丸井はに「考えてくれよな」と念を押してしまった。
自分の必死さを格好悪いと思うがそれも含めて本気なんだとに伝わってほしいと思う。
そもそも本気じゃなかったら転勤が決まっているのに告白なんかしやしない。
 仕事上での信頼関係はできていた。
そのボーダーラインを飛び越えて自分の方へきてくれるなら、丸井はを全身全霊で受けとけようと決めていた。


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