パーティーが終わり、顧客をタクシーに乗せ見送り終わったらしい丸井に声をかけようとしたが別の人物に先を越されてしまった。
なにやら丸井と親しげに話しているその人物が社長の幸村であると気付き、は足を止める。
しかし、の存在に丸井より先に気付いた幸村がにも「やあ」と気さくに声をかけてきた。
未だかつて社長である幸村とこんな風に面と向かって言葉を交わしたことなかったは背筋を整え緊張気味に「お疲れさまです」とできるかぎり丁寧に挨拶を返した。

さん、だよね?」

 は思わず「え」と声を出して驚くと、「ごめん、ごめん、驚かせて」と幸村は笑った。

「柳にね優秀な人材が入ったって君のこと聞いていたから」

 は咄嗟に羞恥心で自分の頬が熱くなるのを感じた。
 スーツの上からでもわかるくらいにがっしりした体格の男がタクシーを停め、「幸村」と社長を呼んでいる。
幸村はそれに「わかったよ、真田。今行く」とおざなりに答えると、には「これからもよろしくね」、丸井には「じゃあまた近いうち」とそれぞれに声をかけてから、タクシーに乗り込んだ。
はもう一度深くお辞儀をして、丸井は片手で手を振ってそれを見送る。

「さすが社長。ボディガードなんて付いてるんですね」
「んなわけねぇだろい。あれは秘書」
「え、秘書!?」

 驚くをよそに丸井は「つーかさ」と不満げにに口を尖らせた。

「お前、柳ともなんかあんの?」
「丸井さんこそ社長と親しかったなんて知りませんでした」
「高校の同級生なんだよ。あ、つっても別にコネ入社とかじゃねぇぞ。幸村くんが社長になったの俺が入社した後だし。つーか、お前誤魔化すんじゃねぇぞ。ったく、うちの会社の男何人たぶらかしてんだよ」
「人聞きの悪いこと言わないでください。誰もたぶらかしてなんかいません」
「お前隙多いんだよ。だからすぐに男が寄ってくんの。わかってんのかよ」
「そんなことありません」
「自覚ないからヤべぇんだって」
「丸井さんだっていろんな女の子からキャーキャー言われてるじゃないですか。ひとのこと言えないです」

「俺はわかってやってるからいいの」という自分勝手な丸井についムキになり言い返しそうになった言葉をは一旦飲み込んだ。
こんなことを言いに来たんじゃない。そう思い直す。

「一緒に帰るってどういうことですか?」

 はまっすぐ丸井を見つめた。

「私は仕事どうすればいいんですか? 会社辞めて俺に着いて来いってことですか? 女なんかどうせ結婚したり出産したら仕事辞めるかもしれないんだからキャリアなんてどうだっていいってことですか? 女の方が男の都合に合わせるのが当たり前ですか? どういう気持ちで丸井さんが私に『一緒に帰りたい』って言ってくれたのか全然わかりません」

 丸井が後ろで頭を掻く。めんどくさそうにも、照れているようにも見えた。

「そんなつもりで言ったんじゃねぇよ。確かにお前が仕事辞めて俺に着いてくるって選択肢もあるけどよ、それはあくまで選択肢の一つで、お前がそうしたくなければしなくていいし、逆に俺が本社行くのやめるって選択肢も究極この会社自体辞めるって選択肢もあるって話。店の話だってそうだよ。案外フラットな気持ちで考えられればさ、いろんな選択肢が見えてくんだよ。だから、お前はお前で自分が本当にしたいようすればいいってこと。俺はお前に“俺”って選択肢がるってことが言いたかっただけ」

 丸井の応えはシンプルでの頑なな心にもスッと入ってきた。けど、の意思を固めるにはまだ弱い。
「……もっと強引に私を説得してくださいよ」とが懇願すると丸井はあっさりと「ヤだよ」とそれを断った。

「不安に思うことがあったらさ、さっきみたいになんでも訊けよ。何回だって何万回だって答えてやるからさ。でも俺は、お前を説得したいわけじゃねぇんだよ」

 あくまでに選ばせる、ということらしい。
「……丸井さんのイジワル」とが抗議すると「なんでだよ」と丸井が笑った。
 丸井は自分を信頼してくれている。だから、選択を待ってくれている。
ずっと自分に自信のなかったの背を丸井が押してくれる。
 は大きく息を吸ってから、

「東京へは帰りません」

 と、きっぱりと告げた。
 大事なもの、大事にしたいもの、譲れないもの。愛されようとするためだけにそれらを捨てたら今度こそ自分にはなにも残らなくなる。
自分の可能性をもう少しだけ信じてみよう。丸井がそうしてくれたように。
 は丸井が言った通り自分ために答えを出した。
そして、「でも」と言葉を続ける。

「丸井さんのことは好きです」

「そんな選択肢はりますか?」と訊けば、丸井は迷うことなく「おう」と笑って応えてくれた。