「本当にすみません」と頭を下げる塚本のとなりで、はすでに現地に着いているはずの財前に急いで電話をかけた。
電話口を手で押さえて「やっぱりノベルティーだけが全部こっちに来てるみたいです」と白石に報告する。

「冊子の方は確認してたんですけど、まさかノベルティーが別小口になって会社こっちに届いてるなんて思わなくて……」

 塚本は泣き出す寸前だ。
電話を切ったが慌てて間に入る。

「すみませんでした。私もきちんとチェックすべきでした」

「先輩は悪くないです」と言いかけた塚本を遮って、白石が「ほんまやで」と予想外に低い声を出した。

「ミスはしゃあない。誰にでもある。せやけど、それをカバーしてもらうために自分を補佐につけたんやろ」

 まったくもってその通りだ。は「はい」と項垂れるしかない。
白石は短く息を吐いてから、「とりあえず持てる分だけ車に乗せて現場行くわ」とポケットから自分車のキーを取り出した。
塚本が「えっ、私はなにをしたら……」とさらに白石を苛つかせるような発言をしたので、は頭を抱えたくなる。

「免許持っとるか?」
「あ、ハイ」
「せやったら社用車借りて後から来てな」

 白石の顔には「それくらい自分で考えろ」と書いてあるようにには見えた。
失ってしまった信頼はきっともう元どおりには戻せない。時間は巻き戻らない。
けれど、今はあれやこれを考えて落ち込むんでいる場合じゃない。今すべきことをしなくては。
は塚本を促して、台車を借りて会社の倉庫に届いてしまったノベルティーが入った段ボールを白石の車に運びこむのを一緒に手伝った。
 途中まではなんの問題もなく進んでいたはずだった。
白石がたてたスケジュールから大幅にズレることもなく冊子は校了までいったし、急遽追加発注を受けたノベルティーグッズもどうにか間に合わせた。
自分の仕事はこれで終わり。どこかにそんな気の緩みがあったのかもしれない。
プライベートのごたごたがまったく関係していないともいいきれなかった。
そして、今回の事態となる。
 イベント当日に必要なものはすべて会場となる場所へすでに納品されていた。
あとは冊子とノベルティーだけ。別々の出荷先からイベント前日に会場に納品される手はずになっていたのが、ノベルティーグッズだけがスタンドヘヴンに届いてしまったようだ。
ノベルティーグッズは届き次第冊子と一緒に袋詰めされる予定になっていたが、もちろんノベルティーグッズがスタンドヘヴンにある以上それも行われていないことになる。
 現在の時刻は七時十二分。イベント開始時間まであと二時間もない。
とにかく急いでノベルティーグッズを運びださなければならない。
一足先に白石を送り出し、は塚本と二人で今度は社用車に荷物を積み込んだ。
古いワゴン車の荷台はすっかり重くなり重心が傾いて運転しづらそうだ。
なんとか残りのすべてを乗せきり、が助手席に乗り込もうとすると、塚本が「えっ私が運転するんですか!?」と声を上げて驚いた。

「塚本さん免許持ってるんだよね?」
「あ、持ってはいるんですけど、ペーパーで自信なくて……」

 何故それを今言うっ! という言葉をはグっと堪えて、「できるだけサポートするから頑張って運転してもらえる? 申し訳ないんだけど、私免許持ってないから塚本さんにお願いするしかないの」と努めて冷静に告げた。
それでやっと塚本は「わかりました」としぶしぶ運転席に乗り込んだ。


 休日の早朝なので道はそれほど混んでいない。これなら時間に間に合いそうだ。
ほっとしたのも束の間、今現地に着いたという白石の電話をが受けている最中に、ガツンッと車全体に衝撃が走り、車体が大きくバウンドして急停車した。
電話越しに悲鳴を聞いた白石が「どないしたんやっ?!」と慌てる。
一瞬なにが起きたのかにもわからなかったが、後ろを振り向くと積んであった段ボールがのすぐ後ろまで倒れかけていた。
急いで車から降りて車体の後方を確認すると見事な凹みができていた。
原因明らかで、信号待ちでの後方車の脇見運転だった。
白石には「状況を整理してまたすぐかけなおします」とし、はとりあえず警察に電話しようとする。
すると、降りてきた後方車の運転手の若い男が青ざめた様子でそれを止めた。

「怪我ないんやろ? せっやったら警察は呼ばんでもええんちゃう?」
「でも、とりあえず……」
「とりあえずでおまわりさんの仕事増やしたらアカンって」

 どうも様子がおかしいと思いよくよく話を聞くと、どうやら彼はこの事故がバレれば免停になるらしく必死だった。
免停になれば仕事ができないそれは困る、と泣きつかれる。
でも、こちらは社用車だ。一社員であるが勝手に対処していいものなのか。
それより今は一刻も早くに荷物を届けなければならないのに。
「次なんかあったときは俺呼んでや。全速力で助けに行ったるで」
 咄嗟に謙也の顔が浮かんだ。
は藁にもすがる思いで謙也に電話をかけた。



「災難やったな。怪我ないか? 運ぶんはコレだけか?」

 謙也は乗って来た自分の車にテキパキと荷物を積み直し、ついでに後方車の運転手とも話をつけてくれた。
 朝早いにも関わらず謙也すぐにの電話に出てくれた。
そして状況を説明すると本当にすぐに来てくれた。
 警察が来るというので、誰かここに残らなければならない。
本来なら運転手である塚本が残るべきであるが、完全に気が動転してしまっている塚本をここに独りで残していくのは不安が残る。
申し訳ないが荷物は謙也に預けて、は塚本と一緒に残った。
警察が来て、調書のための受け答えをしたのはやはりで、上司への状況説明や保険会社等への連絡もすべてが行った。
事故車輌を保険会社が手配するレッカー車に乗せ、安心する暇もなく急いで電車で現地へ向かう。
現地ではすでにイベントが始まっており、裏に用意されたテントの中で財前や今日のために雇ったアルバイトの子がせっせと袋詰めの作業をしていた。

「ごめん、今どういう状況?」
「午前はどうにか回とったんスけど、客増えて来たんでそろそろペース上げなキツイっスね」

 はアルバイトのシフト表を確認しながら、配布に当たってる数名をテントに呼び戻すように指示した。
そして、塚本にも袋詰めの作業に参加してもらう。
  は袋詰めが終わったものから配布場所各地に台車で届けに回った。
テントを出るときにクライアントに頭を下げている白石の姿が見えたが、はあえてそれ以上見ないようにして先を急いだ。
 本当に目まぐるしい一日だった。
けれど、袋詰めもなんとか終わり、イベントも無事終了。
午後になって人員に余裕が出たタイミングで塚本には念のために病院に行ってもらっていた。
保険会社の指示なのでも受診しなくてはならないのだが正直なところめんどくさい。それより早く家に帰って一人になりたかった。
はテントの隅で今日の始末書を書いている白石に「すみません、お先に失礼します」と声をかけた。「病院行かなあかんもんな」と返す白石はもういつもの白石でそれがかえってをいたたまれなくさせる。
 タクシーを拾おうか、電車に乗ろうか。近くの病院もわからない。
スマートフォンで調べれば簡単に情報は出るだろうが、それを整理するにはやっぱり脳みそがいる。朝からなにも食べず動きっぱなしのにはそのエネルギーがもう残されていなかった。
 土曜の夕暮れの繁華街に面している通りはうっかり飛び出せば轢かれてしまいそうなほど車が溢れていた。
がフラッと一歩足を踏み出しかけたところで、通りの向こうのガードレールに腰をかけて座っている謙也がこちらに向かって大きく手を振っているのを見つけてハッとした。

「お疲れさん!」
「どうしたんですか? てっきりもう帰ったんだとばっかり……、てゆーか、今日は本当にありがとうございました。お礼は改めてさせてください」
「礼なんてええねん。そんなことよりきっと疲れてるやろなと思って待っててん」

「車で送ったるで」と言われて、は「でも、病院行かないと行けなくて」と申し訳なく応える。

「せやったら、ウチ来るか?」
「え?」

 謙也は自分から言いだしたくせになぜか言いにくそうにしながら後ろ手で金髪頭を掻いた。

「あー……、ウチのオトンここの近所で診療所やっとんねん」

 そういえば以前謙也が自分の家族は医者ばかりだと言っていたことをはすっかり忘れていた。


「大変やったね。せやけど不幸中の幸いや。どこも大事にはなっとらんで」

 昔ながらの町のお医者さんといった感じの院内は古くて色褪せているけれどきちんと整理整頓はなされていて嫌な感じはしなかった。
きっとここはたくさんの地元のひとに愛されてきた場所なのだろう。
謙也の父親は謙也そっくり(厳密にいえば逆なのだが)の笑顔で診療してくれた。
 病院を出るとすでに陽は沈みきっており、空にはポツリポツリと浮かぶ星が心細そうに一つ二つ瞬いていた。

「今日は本当にありがとうございました」

 が改めて礼を言うと、「困ったときはお互い様やろ」となんのてらいもない笑顔が返ってくる。
 謙也はいつも変わらない。いつも変わらない、ということがどんなにすごいことか。にはそれが痛いほどわかる。
 はずっと謙也のような人間になりたかった。いつも笑顔で朗らかで、それがときに眩しすぎることもあるけれど、暗い影を圧倒的な光で消し去ってくれる太陽のような存在。だからきっと謙也は誰からも愛される。
もそうありたくて笑った顔を貼り付けているけど、所詮はそれは中身が伴わないハリボテで、追い詰められると簡単にボロが出る。今日みたいに。は自分の未熟さを嫌という程思い知った。

「家まで送るな。今、車取ってくるわ」
「あ、大丈夫です。ここなら駅から近いですし。それに車、お父さんから借りてくれたんですよね。私を送ったあとまたここに返しに来なきゃいけないなんて手間かけさせられません」

 どうやら謙也は車を借りていたことをに隠しておきたかったようで「バレっとったんか」と微妙に落ち込んでいた。
その様子がなんだか“男の子”といった感じではその可愛さに吹き出してしまい、速攻「なに笑っとんねん」とツッコみが入る。

「もし今度、謙也さんが困ったときは私が必ず飛んで行きますね」

 やくそく、と言っては小指を差し出した。
 はじめて触れた謙也の手はやはり大きく、そして暖かかった。