<The afternoon of July.8 / by Seiichi.Y>

 ずぶ濡れで放心状態のの手を引いて自宅のマンションへ連れ帰る。
新しいバスタオルとフェイスタオルを出して、適当に女の子でも着られそうな服を見繕って、廊下に突っ立ったままのに押し付けた。

「シャワー浴びな」
「えっ、わっ、きゃあ!」

 初めて抵抗らしい抵抗を見せたの背中を無理矢理押して、有無を言わさず風呂場に放り込む。
程なくして観念したのか、浴室から水音が聞こえてきたので、自分にも新しいタオルを出して軽く濡れた髪や顔を拭いた。
真新しいタオルはゴワゴワと固くあまり水気を吸わない。クリーニングから返ってきた方のタオルをにも渡してあげればよかったとソファーに身体を沈めながら反省した。



「ねぇ、って仁王のこと好きなの?」

 中学最後の夏休みが明けて新学期を迎えて間も無くの頃。となりにいた柳にふと尋ねてみた。
見下ろした窓の外には、がいて、その視線の先を追うと派手な銀髪が目に入る。

「さぁな」

 柳のらしくない曖昧な返答に冷たい視線を送ると、サラリと笑顔でかわされた。
柳が持ち歩いてるノートにはもっとっもらしい確率計算ばかりだが、その中にテニスとは直接関係なさそうなゴシップも意外と紛れていることは知っていた。
柳が答えを知りながら、はぐらかしていることは明白だ。

「まぁ、なんでもいいけど」

 部活に支障をきたさないならね、と隙なく付け加えた。
その話題はそれで終わり、新しいトレーニングメニューの話に移る。
 それにしても。
よりによって仁王か、と柳と別れてからもう一度窓の外を見下ろしながら、ひとり眉をひそめた。
 馬鹿だな。もっと自分に合った男を選べばいいのに。
仁王はいつも決まって本人に似たその場しのぎを繋いで生きているような軽薄な女を選ぶ。その方がいろいろと手っ取り早いからだろう。
そんなことをしたって、心の隙間が望むもので満たされるわけはないのに。
 は馬鹿な女じゃない。
時が経てば自然と夢から覚めて、自分に相応しい新たな相手を見つけるだろう。
そう結論づけ、カーテンを閉めて自分の視界からも仁王も閉めだした。

 気がつけば、それからさらに三度の夏が過ぎた。
部活は既に引退済み。そろそろ手に出来た肉刺よりペンだこが目立ってきた。もうすぐ内部進学試験が控えていた。
 柳は国立理系一本、柳生は私立医学部、丸井は専門、ジャッカルは家業を継ぐそうだ。
俺と真田と仁王、それからが内部進学希望組。
四人それぞれ志望学部は違うが、キャンパスは皆ここから約徒歩五分の湘南キャンパスだった。
 仁王は既に学校近くで独り暮らしをすることに決めているらしい。
引っ越しが終わったら押しかけようと丸井と赤也が嬉々として算段する輪の中にもいたのを覚えている。
 は結局計六年間、テニス部マネージャーをきっちりと勤め上げた。
洗濯や掃除、備品の手入れ、怪我の応急処置、あげればきりのない雑用を率先してこなしてくれた彼女はマネージャーとしてよく働いてくれたと思う。
真面目で、しっかり者で、大概のことには「大丈夫、大丈夫!」と大らかに笑う彼女は精神的にも部員たちを支えていたに違いない。
彼女は最後まで皆のマネージャーであり続けた。
あまりにも公平すぎる態度のせいで、彼女が仁王を好きだということはもうほとんど忘れかけていたくらいだ。
 なのに、卒業式のあの日。
たまたま部室でが仁王の頬にキスをしているところを目撃してしまった。
見たくもない光景なのに目が離せない。それはそれは愛おしそうに仁王を見つめているの表情は、そのまま切り取って額縁に納めたいくらい美しく、儚く、切なげで、胸が強く締め付けられた。
 馬鹿だな。やっぱりそう思う。
でもそれと同時に、愛おしいな、とも思う自分が存在していた。



 脱衣所のドアが開いてが顔を出した。

「……ねぇ」
「何? ドライヤー?」
「違う。いや、それもそうなんだけど、ねぇ、コレって、」
「ドライヤーなら確か玄関だったかな」
「え、なんでドライヤーが玄関にあるの?」
「さっき靴乾かしたから」
「あぁ……って、だから違うってば! コ、レ!」

 たまらずが自分が着ているTシャツを主張させるように前に伸ばす。

「……貸してもらっといてなんなんだけど、もっと他のない?」

 彼女が着ているTシャツは赤地に黒い筆文字で「らーめん桑原」とデカデカと書かれていた。
ジャッカルが店を受け継いだ記念にジャッカルの父親が浮かれて配ったノベルティだ。袖を通すことなくしまわれていたそれは今日初めて下ろした物だ。

「似合ってる似合ってる、最高! どう見てもラーメン屋の店員だよ」

 アハハッと一頻り笑う俺にはわかりやすく不貞腐れる。その様子がまるで子供のようで、それにもまた笑えた。
ご機嫌をとるように撫でた彼女の髪はまだ濡れていて、微かによく知ったシャンプーの香りがする。
このままここに閉じ込めてしまいたい、という衝動を隠して、俺はに変わらぬ笑顔を向けた。

 どうか涙を拭いて。
 おまえのそんな顔、もう見たくないんだ。

04.
愚かな女と男の話