<The evening of July.8 / by Bunta.M>

 たまたま駅前で赤也とに会った。
幸村くんのところで飲んでたらしい。なんだよ、呼べよ。まぁ、今日一日中ずっと学校でチョコレートをテンパリングしてたからそんな暇なかったけど。
 が駅の改札をくぐったのを確かめてから、赤也を引きずってラーメン屋に入る。もちろんジャッカルの店だ。
 ジャッカルは高校を卒業すると親父さんの店を継いだ。親父さんは早々に隠居でもするのかと思ったら、新たな道を模索しに単身ニューヨークへ渡ったらしい。どこまでも自由だ。そして、ジャッカルは幸か不幸かそういうタイプと縁深い。

「いつものシクヨロ!」
「あ、俺は麺バリカタで」

 食券をバイトの奴に渡して、手持ち無沙汰になったので学校から持ち帰った自作のチョコレートを食いながら待った。赤也が「え、ラーメン食う前にチョコっスか?」と俺に疑わしげな視線をよこす。

「やんねーよ」
「いや、いらないっス」

 ラーメンが運ばれてくるまでの約五分で、計七粒のチョコレートを胃袋に収めた。あとは弟たちの分、と残りのチョコレートをしまう。弟たちはもうだいぶ大きくなったが、こうやって何かあるとアイツらの分まで取り置いてしまう習慣はなかなか抜けない。


先輩って幸村部長のこと好きなんスかね」

 赤也が「お待ちどうさまです」とやってきたラーメンの麺をほぐしながら、俺に訊く。
俺は麺を咀嚼しながら、「バーカ」と赤也のチャーシューを掻っ攫った。赤也が「ああ、俺の!」と情けない声を出す。

「おまえ、幸村くん家で食ってきたんだろぃ!」
「そうっスけど、ラーメン屋に来たらラーメン食うっしょ! 普通に!」
「幸村くん家で何食った?」
「えっと、なんかサラダみたいなやつとー、刺身とー、唐揚とー、天ぷらとー、あ! あと米食いたいっつったら先輩がおにぎり作ってくれた」

 子供のように指折数える赤也に「やっぱ食ってんじゃねぇか」とツッコんで、最後のチャーシューも奪ってやった。
「あぁあ!」とまた赤也が喚いたので、ジャッカルが厨房から「うるせぇ!」と顔を出す。

先輩、最近よく幸村部長のとこ通ってるみたいなんスよね」

 赤也は「なんか怪しくないっスか」とニヤついていた。
俺は「ふーん」と適当な相槌を打って、目の前のラーメンをひたすらすする。腹減ってんだよ、マジで。
そんな俺の反応がイマイチ不服らしく、赤也はあからさまに不貞腐れたように唇を尖らせた。

「先輩、こんな時間にこんなん食ってるとまた太るっスよ」
「うっせぇ!」
「イダダダダダダッ! 割箸でほっぺつまむのやめて! 俺、チャーシューじゃない!」

 バァカ。
 が通ってるんじゃなくて、幸村くんが呼び出してるんだろぃ。
 そもそも赤也は根本を取り違えてるんだ。
 ほんとコイツと真田はびっくりするくらい情緒面に関する察しが悪い。まぁ、それはそれで余計な心配事ができなくていいのかもしれないが。

 赤也と別れたあと、仁王に一緒に飲もうぜと連絡を取ったが、風邪だと断られる。しかも、そのあとは既読無視。
その次の日の昼は、仁王が風邪らしいから見舞いに行けとに連絡して、その報告を待ったが音沙汰はなし。
 今までだったらちょっと足を伸ばせば、仁王にもにももっと簡単に会えた。
六年間それが当たり前だったから、このもどかしくて面倒な距離に余計苛立つ。
 たくっ、こっちは心配してやってんだから、返信くらいしろぃ!
今日も今日とてチョコレートをテンパリングしながら、毒づいた。
 結局、どちらとも連絡がつかぬまま日が暮れてしまった。面倒だが学校帰りに仁王の家へ寄ることにする。
 仁王は部活を引退するとみるみる痩せていった。本人いわく「筋肉は使わんと落ちるもんじゃ」らしい。まったく羨ましい体質だ。コンチクショー。
ただ、仁王は独り暮らしをするようになってからさらに痩せた。いや、やつれた。
仁王は元から食が細いが、今やちゃんと固形物を口にしてるのかさえ怪しい。
食に対する興味が薄いのも理解できないが、生に対する執着がまるでないのはもっと理解できない。
 コイツ、このまま死ぬんじゃねぇの?
そんな疑問すら湧いてくる。
だから、ほっとけない。今までずっと一緒にいた仲間だし、もし万が一仁王になんかあったりでもしたら、が大変なことになりそうなので、それは避けてやりたかった。
 適当に薬や冷却シート、それから缶詰やレトルトのお粥を買い込む。
 駅の北口。徒歩十二分。築三年のワンルームアパート。オートロックや宅配ボックスなんて便利な物はないが、学生の独り暮らしには十分な物件だ。
 エレベーターに乗り、まっすぐ三〇二号室へ向かった。
ドアチャイムを鳴らす。……応答なし。
もっかい鳴らす。……やっぱり応答なし。
チッとたまらず舌を鳴らす。
寝てんのか、病院行ってんのか、居留守使ってんのか、知らねぇけど、もう勝手にしろぃ。
 手にしていた看病グッズはこの時点でただの荷物でしかなくなったので、ドアノブにでも引っ掛けて置いていこう。そう思って、ドアノブに触れると軽い感触とともに玄関ドアが開いてしまった。
 ハ? カギかけてないとか、どんだけ不用心なんだよ。
 薄っすらと何か得体の知れない悪い予感が汗になって、背筋に流れた。
半開きになったドアに手をかけ、部屋の中をうかがう。薄暗くてよく見えない。
一歩足を踏み入れて、部屋の中に入ったところで何かに蹴つまずいた。

「ッテーなぁ!」

 顔をしかめながら振り返ると、自分の嫌な予感が当たってしまったことに気づく。

「おいっ! しっかりしろ、仁王! おいって! 死ぬな! おいっ!」

 玄関先に転がっていた仁王の身体は、一瞬触れただけでも発熱していることがわかるほど熱が高かった。
慌てて、ヒロシに電話をかける。運良く二コールで出てくれた。

「落ち着いてください、丸井君。まず、呼吸と意識があるか否かを確かめてください」
「お、おう。呼吸はある。でもスッゲェ荒い。あとは意識? 意識は……おいっ仁王! おいっ!」
「下手に身体を動かさないでください」
「あ、わかった。あと意識ねぇぞ」
「そうですか。なら速やかに救急車を呼んでください」
「えっ」
「念のためです。おそらく風邪を拗らせたのでしょう。ただ意識がないのなら救急車は呼ぶべきです。番号はわかりますか?」

 柳生の落ち着いた対応のおかげで冷静さが徐々に戻ってきた。むしろ、もうなんでこんなに狼狽えたんだが、と反省できるほどまでには回復した。
「バカにすんな!」と応えてから、電話を切り、救急車を呼ぶ。
それから大した時間もかからず救急車が到着し、仁王は担架で運ばれた。一応俺もそれについていく。
病院に着いて、仁王が処置室から無事出てきたのを見届けるとその日一日分の疲れが一気に身体に押し寄せる感覚に襲われた。

 ヒロシの見立て通り、仁王はただの風邪だった。
点滴を受けながら固そうな病院のベッドで眠る仁王は解熱剤のおかげですっかり熱が引いたようだ。人の気も知らず、小憎らしいほどスヤスヤと眠っている。
しばらくベッドのとなりにパイプ椅子を持ってきて、ペットボトルのお茶を飲みながら過ごしていたが、はて、これで仁王が目を覚ましたとき、男の俺が枕元にいるってどうなの? といささか気色悪くなり、病室を出た。
 通話可能なロビーまで出て、に電話する。なかなか出ない。三回ほどかけ直してやっと繋がった。
なんだか寝ぼけているようなに仁王が倒れたことを伝えると、その声色は一変する。

「えっ! 何それ! え、大丈夫なの? え、どこ? どこの病院?」
「金井総合病院。慌てなくても、ただの——っておい!」

 そこでプツンッと通話が一方的に切れた。はぁ、と溜息をつく。
おそらくはここが病院だということも忘れて猪かのごとく猛烈なスピードで仁王の病室に突っ込むであろう。
それを阻止するため、しぶしぶロビーへ降りた。
 しかし、売店でお菓子を物色している間に猪を取り逃がす。
慌てて追うが、目の前でが乗ったエレベーターが閉まり、もう絶対に追いつけないことを悟るとあとはもうゆっくりと仁王の病室へ向かうことにした。
 エレベーターを降り、ナースステーションの前を通って角を曲がると、廊下にはすでに誰かさんの泣き声が大きく響いていた。
「誰か亡くなったのかねぇ」と俺のそばを通った婆ちゃんが、手を合わせてお経を唱えている。
呆れた顔で仁王の病室を覗けば、床に座り込んで子供のように声をあげて泣いているとそれをあやすようにの頭を撫でている仁王がいた。
 が嗚咽交じりに「無事でよかったぁ」と声を絞り出すのが聞こえて、やっぱりは仁王のことが好きなんだよな、と改めて思った。

06.
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