<The evening of July.9 / by Bunta.M>

 一向に泣き止まないの首根っこを掴んで、ラーメン屋に連れてきた。もちろんジャッカルの店だ。
はラーメンが目の前に来てもまだ鼻をズビズビといわせていた。

「食えよ。伸びんぞ」
「今、無理ぃ」
「とりあえず、鼻かめ。そんで麺食え」
「だから、無理ぃ」
「いいから、食え!」

 テーブルに置いてあった箱ティッシュから二、三枚ティッシュを抜き取り、の鼻に押し当てる。
は観念したようで自分で鼻をかんでから、黙ってラーメンをすすり始めた。

「幸村にね、」

 ふたりそろってもくもくとラーメンを完食したあと、はぼそっと話し出した。
俯いてるから、まるでどんぶりに向かってしゃべってるみたいだ。そのどんぶりの少し残ってるスープにはの情けない顔が写ってる。

「好きだって、言われ……アレ? 言われてない」
「ハ? どういうことだよ?」
「アレ?」
「ちゃんと聞いてやるから、ゆっくり話せ」

 腹が満ちれば、少しは落ち着くだろうと思ってここに連れてきたが、どうやらの混乱は仁王のせいだけじゃないらしい。
 幸村くんか……。

「あ、つーか、その前にそろそろツッコんでもいい?」
「へ?」
「おまえいつからそんな体張って笑いとりにいくようになったわけ?」

 そう言ってが着ている赤いTシャツを指差す。
「らーめん桑原」とデカデカと書かれたそれは間違っても若い女が外へ着て行くような服じゃない。俺ですら寝る時とコンビニに行くときくらいしか着たことない。

「あっ! 違うの! これには訳があって! えっと、だから幸村が、」
「あーハイハイ。で、幸村くんがどうしたって?」

 話が戻るとはまた俯いてしまった。
そして、まるで自白する犯人のように「あのね」から始まったその話の内容は、「幸村」の名前を聞いて俺がなんとなく予測した展開とほぼ一致した。
全て話し終えたは口をへの字に曲げて、俺を下から見つめる。

「私、……どうしたらいい?」
「おまえはどうしたいんだよ」

 みるみるうちにの瞳に涙が浮かぶ。

「あー泣くな、泣くな。俺が泣かしてるみてぇだろぃ!」

 慌てて箱ティッシュを箱ごとに押し付ける。
女が泣いてるのを見るのは嫌いだし、それが普段滅多に泣かないだとなおさらだ。
は箱ティッシュを子供が不安なときにぬいぐるみを抱きしめるようにぎゅうっと抱きかかえながら、微かな声で「あのね、私、仁王のことが好きなの」と言った。
それを聞いて、「知ってる」と言わなかったのは俺の優しさ以外の何物でもない。



 学校近くのナイター設備があるストリートコートをフェンス越しに覗く。
どのコートも大学生のテニスサークルのような集まりで埋まっているようだ。お遊びに近いそれは、とても楽しそうで、少し羨ましくなった。
 ラケット持って来ればよかった。いや、待て待て俺はここにわざわざ何しに来た。
 程なくして、一番奥のコートで真田と打ち合っていた幸村くんが俺に気づく。
そう、俺は幸村くんに会いに来たんだ。
「おう」と片手を上げてから、俺は幸村くんたちのいる方へ向かった。


「丸井が俺に連絡くれるなんて珍しいね」

 コート脇の石段に腰を下ろした幸村くんが無邪気な顔で俺を見上げる。
先ほどまでここにいた柳は、俺が来ると幸村くんの代わりにコートへ向かっていった。
すぐに真田と柳の打ち合いがはじまり、容赦のないそれに明らかに周りの奴らは引いていた。

「久しぶりにテニスしたくなった?」
「あ、いや、今日はそういうんじゃなくてさ、」

 なんとなく気不味くて、頭を掻く。
どう話しを切り出そうか。そんな風に迷っていると、幸村くんの方から「のこと?」と助け船を出してくれた。察しが良くてありがたい。

「おう」
「あいつ、おまえに泣きついたんだ」

 幸村くんの爽やかな笑顔が、ぐにゃりと歪む。鼻で笑った幸村くんは「まぁ、そうだよね。赤也じゃ力不足だし、仁王は当事者だもんね」と続けた。

「……なぁ、もうちょっと待ってやれねぇの?」
「俺、十分待ったと思うけど」

 俺の問いに即答する幸村くん。
たぶん、俺が〈ちょっと今日付き合ってくんね?〉という連絡を入れたときから、この会話を想定していたんだろう。
「十分待った」。確かに。でも、ここまで待てたならあと少しくらい待ってやってもいいんじゃないか、とも思ってしまう。
 幸村くんだってわかってると思ってた。
の性格からして、ちゃんと自分で納得できなきゃ一生引きずるタイプだって。
だからこそ、幸村くんだって今まで何も言わずに見守っていたんじゃないか、と。
 別に仁王とどうしてもくっつけたいわけじゃない。むしろ、仁王の悪癖を考えれば、幸村くんと付き合った方がには合ってるんじゃないかとすら思う。
ただ、これは外野の意見であって、恋愛なんて当人同士が好きにすればいい。
 だから本当は、他人の恋愛に口出しするなんてこんなしち面倒くさいこと、普段なら絶対しない主義だ。
本人にも「自分で考えろ」と突き放した態度をとった。
でも、泣きながら「どうしよう」と俺に頼るを思い出したら、何もせずにはいられなかった。

「あんまさ、追い詰めて泣かせるようなことすんなよ」

 好きだったら、もっと相手のことを思いやってやってもいいだろ。
恋愛初心者のを待つのは、巣立とうと羽根をぎこちなく開く雛鳥を見守るようにもどかしくて歯痒いものかもしれないが、それでも好きだったら待つべきだと思う。
飛び立つ前に、鳥籠に入れてしまったら、きっともう一生自分の力で飛び立てなくなる。

「誰が一番泣かせてると思う?」
「それはさ、……そうだけどよ。でも、」
「もう、いいよ。丸井が仁王の味方だってことはわかったからさ」

 俺の言葉を力づくで押しのけるような投げやりな言葉に、カチンッときた。

「なんだよそれ! 俺はどっちの味方でもねぇよ! つーか、なら俺はの味方だよ!」

 なんだよ、味方って。子供の喧嘩か。
急に幸村くんが幼稚に見える。

「ずっと言わなかったけどさ、」

 幸村くんが「何?」と俺を睨んだ。
俺も負けじと睨み返す。

「幸村くんはが自分の思い通りにならねぇから、気にいらねぇだけだろぃ!」

 俺の怒鳴り声が奥コートまで響き渡り、真田が「なんだ! 何事だ!」とこちらへやってくる。
「なんでもねぇよ!」と幸村くんに怒鳴った声と同じボリュームで返してから、俺は頭に血を昇らせたままの勢いで歩き出した。
「おい、丸井!」と俺を呼び止める真田の声が聞こえ続けたがそんなの無視だ。

 駅まで帰る道の途中で、あまりにもむしゃくしゃして、「あぁあ! クソ!」と周りの目も気にせず思いっきり頭を掻きむしった。
そんな俺をなだめるような潮騒が聞こえきて、たまらず防砂林の合間に見える海に向かって「チクショー!」と叫んだ。

 何が一番腹立つって、自分ならどうにかしてやれると思い上がっていたことだ。

07.
失敗ヒーローショー