「えーーいっ! 気が散るっ!!」

 机の上のペンやらノートやらが一斉に数センチ飛び上がった。
ついでに周りにいた関係のない人間まで肩をビクつかせられたのだからいい迷惑だ。
なのに真田を怒らせている張本人であるは「急に大きな声出してどうしたの?」ときたもんだ。

「弦一郎、落ち着け。ここが何処だか忘れたのか」

 柳に注意を受け、我に返った真田は自分が非難の的になっていることに気づき、気まずそうに椅子に座りなおした。
ここは学校の図書室。定期テスト前なので案外ひとも多い。立海は一応進学校なのだから当然か。
定期テスト一週間前は部活動が中止になる。強豪男子テニス部だってその例外ではない。

「ねぇねぇ真田! 今日は部活ないんでしょう。デートしよっ!!」
「バカもんっ! なんの為の休みだと思っているっ! 俺はこれから蓮二たちと学校の図書室で勉強だ」

「じゃあ私も」と着いてきたははなから勉強する気などなかったらしい。
真田の前の席を陣取るやいなや教科書もノートも広げず、ひたすら真田に熱い視線を送り続けた。
「邪魔はしないから」とは言うが、こんな目の前でまじまじと穴が空くほど見つめられたら、さすがの真田でも集中できるわけがない。
それでさきほどついに、我慢の限界に達した真田が怒りを爆発させたというわけだ。
さんは勉強しなくてもいいのかい?」と幸村に訊かれたは「うん」と悪びれもせず答えて、さらに真田の怒りの炎に油を注ぐ。

「勉学は学生の本分だ。それを蔑ろにするなど言語道断っ!」
「別に蔑ろにしてるわけじゃないよ。でも、勉強はいつでもできるけど、真田と一緒にいられるのは限られた時間しかないんだもん」
「それを蔑ろにしていると言うのだっ! ノートを開けっ! 筆記用具を持てっ!! 然もなくばここから出て行けっ!!!」

 どんどんヒートアップしてまた声が大きくなる真田を「まぁまぁ」と柳生が宥める。
このままでいけば図書室を追い出されるのは真田の方だ。
真田の命令には素直なが「ノートと筆記用具、ね」と一応は勉強を始める姿勢を見せたので、真田もしぶしぶ勉強を再開させた。
しばらくはカリカリカリッと筆記用具が擦れる音やハラリッと教科書や参考書のページをめくる音が静かに響く図書館らしい空間になった。
けれどその静かさがかえって不気味だ。
何やら真剣にペンを走らせている。絶対ろくなことをしていない。
よせばいいのに幸村が「なに書いてるの?」とのルーズリーフを覗き込んだ。
〈声が大きい〉、〈胸板が厚い〉、〈黒い帽子が似合ってる〉——……タイトルは〈真田の好きなところ〉。

「己、まだわからんのかーーっ!!」

 わかっていないのは真田だ。その場にいたテニス部がまとめて図書室から追い出される羽目となる。


「どうしてくれるんスかっ副部長!! 俺、柳さんに教えてもらわないと絶対赤点なのに!!」

 と、喚く赤也を「そ、そもそもお前は普段から勉強しないから試験前に蓮二に泣きつくことになるのだっ!」と真田が叱る。とんだとばっちりだ。
わぁわぁぎゃあぁぎゃあぁとキリがない。そろそろ柳あたりが本気でキレそうだ。

「じゃあ、こういうことにしようぜ」

 と丸井が割って入った。

「次の定期テストの総合順位で勝負して、勝った方が負けた方の言うことなんでも一つ聞く」

 さっそく「やるやるやるーっ!!」とが食いついた。
さん、真田に何お願いするの?」と幸村が訊ねると、「デートっ! 真田とデートがしたい!!」とが即答した。
だが、真田は「俺はやらんぞそんなくだらん賭け」と頑なだ。

、真田とのデートがかかってるんだったら真面目に勉強するよな?」

 が赤べこみたいに首を縦に揺らす。
「だとよ」と丸井が真田を促せば、「む、しかし……」と悩み始める。あともうひと押し。

「真田、これは賭けじゃなくて勝負だよ。勝負から逃げるなんて皇帝の名に傷がつくんじゃないかい?」

 さすが幸村。真田の扱いが上手い。
真田が「よかろう。その勝負受けてたってやるっ!!」とメラメラと闘志の炎を燃え上がらせたので無事着火完了である。

「んじゃあ、お前は自分んち帰って勉強しろ、な」

 が帰り、一番ほっとしたのは赤点がかかってる赤也だ。

「ちなみに真田、勝ったらさんになんて言うつもりなんだい?」
「金輪際俺に構うなと言うつもりだ」

「厳しいなぁ」と言う幸村のとなりで、「なんにせよ真田君もいつもに増してしっかり勉強しなくてはなりませんね」と柳生が続けた。

「無論、獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす」

 と、すでに勝負に勝った気でいる真田を「そうではないぞ弦一郎」と柳が窘めた。

は前回、前々回と共に総合順位はお前より上だ」
「何っ!?」
「そうですね。ご本人のご希望で特進クラスには属していませんが、学力は確実に真田君より上でしょうね」

 やっと嵌められたことに気づいた真田が「お、お前ら謀りおったなっ!!」と叫んだところで時すでに遅し。
「つーか、外見で勝手に判断したお前が悪いんだろい」と丸井が指摘すれば、ぐうの音も出ない。
幸村が「はい、じゃあ俺たちも解散」と、有無を言わさずこの場を強制的に治めた。



 そして、一週間後テストの結果が張り出される日がやってくる。
立海では各教科トップ十名に加えて総合順位三十名までの名前が廊下に張り出されることになっている。ちなみにこの順位に柳や柳生が所属する特進クラスは含まれていない。

「惜しかったねさん」


 総合順位 十四位 真田弦一郎
 総合順位 十五位 



 丸井はとなりで順位表を見上げてるの表情をそっと窺った。
「ちぇ、負けちゃったぁ。デート楽しみにしてたのになぁ」と一応は悔しそうではあるがそこにあまり落胆の色は見受けられない。
お前なぁ、ひとがせっかく——と丸井の方が憤りたくなる。

「でも約束は約束だからねしょうがないね」

 幸村が廊下の真ん中で高笑いしながら踏ん反り返っている真田を「おーいっ」と呼びつけた。

「『勝った方が負けた方の言うことなんでも一つ聞く』だったよね、丸井。真田、さんに早く言ったら。もう決まってるんだろ」

 幸村に促され、真田がの前に立つ。
身長差の関係でが真田を見上げるかたちとなった。
の瞳が一途に真田を映す。まったく濁りのないその眼差しに、最初は自分の勝利に気を良くしてた真田も居たたまれなくなったらしい。
その結果、

「……その、なんだ、これからも真面目に勉強をしろ」

 と、なんとも格好のつかないものになる。
幸村が「あれ? そうだったっけ?」と真田を揶揄えば、「ええいっ、気が変わったのだ」と真田が下手に誤魔化した。

「わざとだろうな」

 と、遠巻きに見守っていた柳が静かにフッと笑った。
となりに立っていた柳生が「そうでしょうね」とそれに同意する。

さんの最終目的は真田君に勝つことではありませんから、これはこれで賢い判断かもしれません」
「試合に勝って勝負に負けるとはこのことか。弦一郎は随分と厄介な女に惚れられたのかもしれないな」

 当のは「真田のとなりに名前が載ったの記念に撮っておこう」と腕を伸ばして張り紙を携帯のカメラで撮影しているところだった。