真田の怒号がコートに響き渡る。
怒られているのはやっぱり赤也だ。赤也も赤也で適当に聞いておけばいいのに、いちいちつっかかるから真田もヒートアップするのだ、と丸井は思う。
「それにしても今日は一段と厳しいな」とジャッカルも同情するほどだ。
視線に気づいたのか、「おい、お前ら何を休んでいる!!」と矛先が丸井たちに代わり、二人は「ゲッ」と肩をすくめた。

「ったく、なんなんだよ、今日のアイツ!」

 朝練の終え、部室で支度をしていると自然と真田の話題になった。真田の機嫌の悪さをここにいる全員が感じ取っていたようだ。
ちなみに当の真田は部室の外でまだ赤也を叱っていた。赤也、ご愁傷様。

「確かに。今日の真田君はらしくありませんでしたね」

 それを聞いて幸村が「実はさ」とおかしそうに話し出そうとしたときに部室の扉が開く。
一同の視線が入ってきた真田に集まったが、真田はそれを蹴散らすように無言で自分のロッカーを開けた。
その様子に触らぬ神に祟りなしと口を噤んだ部員だが、神の子幸村は構わず「あ、それでね」と話を進める。

「このあいだの強歩大会でさん四つ葉のクローバー探してただろ?」
「幸村ァっ!!」

 他の部員は真田の声にギョッとしたが、幸村は御構い無しに先を続けた。

「見つからなくて結構落ち込んでたんでしょ?」
「うん、まぁ」
「珍しく肩を落としてらっしゃいましたね」

 と丸井と柳生が答える。

「で、たまたま、たまたまね、四つ葉のクローバーの栽培キットっていうのを佐助くんが持ってたらしくて……あ、今はそういうのが売ってるんだって、すごいよね。あ、それで事情を話してそれを譲ってもらって、さんにプレゼントしてあげたんだけど……」

 ね、真田、と話を振ると、真田の顔が一層険しくなる。
幸村以外は話の展開はよくわからずまだ首を傾げている状態だ。
「それはさぞ喜ばれたんじゃありませんか?」と柳生が控えめに問う。

「それがさ、さん、『こういうことじゃない』って真顔でさ」

 その場面を想像し、ある者は真田の手前笑いを堪え、ある者は哀れみの視線を真田に向けた。
 四つ葉のクローバーはその希少価値から見つければ幸運が訪れるという伝説が生まれた。
だから、人為的に操作したタネを育ててそれで四つ葉を得たとしても、果たしてそれは幸運の証なのか確かに怪しい。
が『こういうことじゃない』と言ったのもわかる。
しかし、ただ純粋に良かれと思ってそれを渡した真田にも同情の余地はあった。
幸村はたまたまを強調したがおそらくそれは真田自身がために買い求めたものだろう。
そう考えると今まであれほど頑なだったに対する態度にも何かしらの変化があったのかもしれないと察することもできる。
そんなことで当たり散らされるのは勘弁だが、まぁ何はともあれ平和な話だ。
 そんな和やかな空気を断ち切るようにバタンッ、とロッカーが乱暴に閉まる音がした。閉めたのは丸井だ。

「つーかさ、自分がやったもんならなんでも喜ぶと思ってたわけ? それってちょっとあいつのことバカにしすぎじゃねぇ?」

 丸井は反論しようとした真田を無視してさっさと部室から出て行く。
出入口で鉢合わせ赤也に激しく打つかるもそれも無視だ。
ジャッカルも「ほら、アイツとも仲良いからさ」と必死にフォローを入れて、慌てて後を追うように部室から出て行く。
「え、何? なんで丸井先輩キレてんの??」と間の悪い赤也だけが蚊帳の外だった。



 自分が何故こんなに苛立っているのか。丸井は自分でもよくわからなかった。
いや、わからないフリをしていたというのが正しい。
 休み時間、騒がしい教室でいつもだったら自分も騒がしい輪の中にいるのだが、今日はそういう気になれない。
丸井は自分の席に座ったままふとを見た。
もいつもメンバーとはつるまずひとり自分の席に座って何やら一生懸命机に向かっていた。

「懲りねぇな、お前も」

 丸井はの席まで出向き、に話しかける。
の机の上には見覚えのあるルーズリーフ。いつぞや図書室で書いていたものをまだ書き続けていたらしい。
えーなになに、〈態度も大きい〉ってそれはもはや悪口である。

「この前真田にね、『何故相手が俺なんだ。ただの憧れではないのか。だとすれば百年先も応えられぬ』って言われちゃってさ」
「“憧れ”って……。素でその発想にたどりつくあいつほんとスゲェな。つーか、前は好きになるのに理由なんていらないみたいなこと言ってなかったっけ?」
「それは他人に対してね。真田本人は別だよ。真田には私の気持ち知ってほしいし、わかってほしいから伝える努力はしようと思って。でも難しい。どんなに好きかはいくらでも言えるんだけど、なんで好きかはうまく言葉にできないんだよね」

 眉間にシワを寄せ唸りながら、書いては消し書いては消し。ルーズリーフはだいぶくたびれていた。
それだけでが真田をどんなに想っているのか嫌でもわかる。
どんなに言葉を重ねるより今のこの姿を真田に見せる方が何倍も説得力がある気がした。
“理由”なんてちっぽけなことを気にしていることが馬鹿らしいくらいの“好き”の大きさを知れるだろう。

「おーい、。ちょっといいかぁ」

 担任がを呼び出したので、がペンを置いて廊下へ出ていった。
それと入れちがうように幸村が丸井たちのクラスに入ってくる。
「あれ? さんは?」と訊かれ、丸井は「今さっき出てった」と教える。
幸村はの机に置きっぱなしになっていたルーズリーフを見て「コレまだ書いてたんだ」と可笑しそうに笑った。

「丸井ってさんと仲良いのかい?」

 いや、と丸井は答えてから「ま、でも伝言預かるくらいならできるぜ」と付け加える。
幸村は「う〜ん、伝言かぁ」と焦らすようにつぶやいた。

「……幸村くんはさ、のことほんとはどう思ってんの?」

 きょとんとした幸村が「え? どういう意味だい?」と訊き返してくる。

「いや、なんつーか、幸村くんの立場からしたらの存在って結構鬱陶しいみたいなとこねぇのかなって。現に真田はさ、の影響を少なからず受けてるみてぇじゃん?」
「ああ、そういうことか。ふふ、確かにそのようだね」

「邪魔とか、そんな風に思ってねぇかなって……」と丸井は訊くと、幸村は微笑んだまま「そうだなぁ」としばし考えるような素ぶりを見せた。

「これがもし物語だったら、俺たちは悲願の三連覇を叶え幕を下ろせばハッピーエンドだ。でもさ、実際はそうじゃない。勝っても負けても明日はきて、俺たちはそのあとも生きていかなきゃならない。俺たちはさ、良くも悪くもただの高校生だ。テニスだけをしていればいいってわけにもいかないだろ?」

 勉強はさして得意ではないし、友人関係には恵まれてる方だが、面倒なことが一切ないわけじゃない。
家に帰ったら帰ったで弟たちの面倒を見なければならず、そうした日々の中で起こるトラブルを全部ひっくるめてうるせぇと投げ出して、ラケットを振ることだけに集中できたら。そう思ったことは一度や二度じゃない。
それくらい真剣な気持ちでテニスをしている自信と自覚が丸井にはあった。
けれど、テニス以外のすべてを切り捨てることはやはりできなかった。
悲願の三連覇。確かにそうだけど、それを自分のすべてにできるほど丸井は潔くはなれない。

「幸村くんもテニス以外で悩むこととかあんの?」
「あるよ。俺も普通の高校二年生だからね」

「例えば?」と遠慮がちに丸井は訊いてみたが、そこは「内緒」とやはりはぐらかされる。
でも、案外幸村も自分と同じだと思えば少し気が楽になった。
 が教室に戻ってきたので幸村はに声をかける。

「コレ俺のおすすめの肥料。もし良かったら使って」

 用が済んだらしい幸村は「じゃあね、さん」と爽やかに去っていった。
学校一の王子様がわざわざ自分を訪ねてきたうえにプレゼントまで寄越してきたというのに、は特にはしゃぐでもなく袋の中身をさっそく検分していた。

「なぁ」

 丸井は尻ポケットから財布を抜き、その中から四つ折りにされた折り紙を取り出しす。
折りたたまれたそれをそっと開くと——

「わっ! どうしたのコレ!?」

 と予想通りが食いついた。

「このあいだ弟たちと公園行ったときたまたま見つけたんだよ」
「え、なに、自慢?」
「ちげぇよっ!!」

 なんでそうなるんだよっ! と丸井は憤慨する。
それでも「やるよ」と折紙ごとに差し出した。
一、二、三、四。可愛らしいハート型の葉が確かに四つ並んだクローバー。
の願う幸せは聞かなくてもわかる。

「ありがとう、丸井。大切にする」

 おう、と応えて丸井は自分の気持ちをまるごと飲み込んだ。