一学年六百人以上なのだから、自分の名前を見つけるだけでも一苦労だ。
だが年に一度のクラス替え。それも高校生活最後の年。浮足立つのもわからなくはない。

「ぎゃあっ!!」

「急に大声出すなよ」とビビる丸井のとなりでは「だってぇ」とこの世の終わりとばかりの顔で叫んでいる。聞かなくても理由はだいたい察しがつく。

「つーか、お前そもそも理系選択なんだから、文系の真田とクラス一緒になるわけねぇだろい」
「ワンチャンあるかと思って……」

 相変わらずおかしな女だ。
 は「ちょっと私先生に直訴してくるっ!」と止める間もなく廊下を駆けていった。おそらく職員室にたどり着く前に教員かはたまた熱心な風紀委員に捕まるに違いない。
 仁王は改めてクラス替えのプリントを眺めた。そして、一人口元に笑みを浮かべた。
 ——面白い一年になりそうじゃ。



 髪型を軽く整えてネクタイをきちんと締め直してからノックする。「失礼します」と断を入れてから扉を開けた。
先に中にいたがこちらを振り向く。

「これはこれはさん。資料室で会うなんて奇遇ですね」
「これ整理しといてくれって担任に押し付けられたの。クラス替えのことで直訴しにいったのに『そんなに元気が有り余ってるならこれよろしく』って」

「ヒドイよね」と不貞腐れてるに「お手伝いしますよ」と柳生は優しく声をかけた。

「それでクラスは希望通り変更してもらえたんですか?」
「ダメだって。頭堅いよね。一人くらいクラス変わったって大した問題にならなそうなのに」
「一人を許すとキリがありませんからね」
「でも、私以外替えてくれってなんて言ってる人いなかったよ」

 それはそうだろうと内心思ったが柳生は笑顔を崩さなかった。
 がどこまで本気なのか。こうやって直接会話をしてみてもイマイチ掴めない。
いってみればのアピールは大げさすぎてときどき白々しいのだ。
だから、つい“裏”を疑いたくなる。
 とりあえずまずは何気ない会話から探りでもいれてみるかとそれとなく会話を続けようと柳生が再び口を開こうとした瞬間、——
ぐわん、ぐわん、と床が大きく横揺れをした。柳生は書類棚がの方に向かって倒れかかってるのに気づき、咄嗟に右腕でそれを受けとめる。
揺れは程なくしておさまったが倒れかかった棚から飛び出た書類がそこらへんに散乱してしまっていた。ただ、どうやら建て付けが悪かったのはこの棚だけだったらしく、他はほとんど揺れる前と変わりない。
 ひとまず胸をなでおろすと、腕の中にいると思った以上に至近距離で目が合った。
どちらも無言で視線だけが交差する。
ふと、悪戯心が芽生え、

「逃げなくてよろしいのですか?」

 と吐息で誘い、視線で追い詰めてみた。
だが、はそれでも動かない。むしろ大きな瞳でじっと見据えられる。
先に視線を逸らしたのは柳生だった。
柳生は再度棚が倒れてこないかを確認してを解放してから、「もう大丈夫みたいですね」と何事もなかったかのように振る舞った。

「助けてくれてありがとう、仁王

 名前を呼ばれた柳生——に変装した仁王はをまじまじと見かえした。

「なんじゃ気づいとったんか」
「うん」
「俺と柳生の変装を見分けられる女は俺か柳生に惚れてるってのがセオリーなんじゃがのう」

 は「あーあ、仕事が増えちゃった」と棚から落ちた資料を拾いはじめた。
仁王のことは無視することにしたらしい。
大した女だ。
さっきあと数秒でも逃げるのが遅かったら平手打ちでも食らっていたのかもしれない、と仁王は肩を竦める。
下手にこちらに手を出すのはやめた方がいいかもれない。それより今度はあっちだ。
仁王の中にはさきほどまでとは別の新たな好奇心が生まれていた。
ニヤッと口元だけで笑って、とっておきのシナリオを頭の中で完成させる。

「んじゃ、俺はそろそろお暇するとするかの、っつ」

 仁王は顔を歪めて右腕をさすった。
もさすがにそれは無視できなかったらしく、「どうかしたの?」と怪訝そうに仁王の方を窺った。

「……もしかしてさっき私を庇ったとき?」
「気にすんな。俺が勝手にやったことじゃき。でも、これじゃあ部活はしばらく出れんかもしれんのう」

 が「えっ」と固まる。
仁王はこれでも立海テニス部のレギュラーだ。試合はすぐには控えていないとはいえ、練習できないとあれば今後に支障が出るかもしれない。悲願の三連覇が露と消える。自分の所為で真田の夢が潰えるかもしれいとなればも冷静さを欠くかもしれない——仁王の読みはビンゴ。

「びょ、病院に行こう。今から、今すぐ!」
「まぁ落ち着きんしゃい」
「だって!!」
「それより、このこと真田が知ったらどう思うかのう……?」

 は押し黙った。
「……脅す気?」とずいぶん怖い顔で睨まれたが、今度はこっちが無視してやる。
まぁ少し可哀想な気もしないでもないが、上手くことが進めばにとっても決して悪い話にはならないだろう。ここは耐えてもらうことにする。

「俺も怪我のことは正直バレたくない。どっかの誰かさんにどやされるのは御免だからのう。運良く俺とお前は同じクラスじゃ。他の奴にバレんように協力してくれるじゃろ?」

 仁王は自分の人差し指をの唇に押し当てて、意味ありげに笑った。

「これは俺とお前さんだけの秘密じゃ」