「真田君が来ました!!」

 その声に赤也が思わず振り返るとその隙を狙われて危うくポイントを落としかけた。
それを見た真田が「何をやっている、赤也っ!!」と一喝する。
褒められこそすれ、怒られる筋合いはない。時間稼ぎなんて性に合わない戦い方までしたっていうのに。
ぶつくさ垂れながら赤也は黒いリストバンドで額の汗を一度拭った。そして、攻撃の照準を合わせるように対戦相手に不敵な笑みを送る。
さぁ、ここからだ。
赤也のスマッシュが見事に相手コートに決まり、歓声が起こった。


「随分と早かったね」

 淡々と準備をはじめた真田の上に幸村が作った色濃い影が被る。

「で、結果は——」
「試合はしていない。手塚には俺からきちんと断りを入れてきた」
「……せっかく俺が段取ってやったのに。人の親切はありがたく受け取りなよ」

 真意を見定るかのように真田が幸村をじっと見据えた。
幸村はそれを黙って受け止める。

「……お前は後悔してないのかい?」
「何をだ」
「あのとき……手塚との試合で真っ向勝負を捨てたこと」
「していない」
「……まったく?」
「ああ」
「一ミリも?」
「ああ」

 しびれを切らした真田が「お前は俺になにを言わせたいのだ」と幸村に正面から疑問を打つけた。
その鈍感さにはほとほと呆れ、いっそ身勝手にも恨めしくすら思う。
詰ってくれたら、罵ってくれたら、糾弾してくれたら、そしたら——

「俺は怒っているぞ。精市」

 と、柳が突然二人の間に割って入った。

「何故俺に相談もなくこんな無謀なことをした。これはお前らだけの問題ではないんだぞ」

 いつになく迫力のある柳に蹴落とされ、幸村は「あ、うん、ごめん」と反射的に謝罪の言葉を口にしていた。
 ——ごめん。
 それは幸村が、ずっと真田に言いたくて言えなかった言葉。
子どもだって言えるその簡単な言葉がいつまでも喉をつかえて出てこなかったのはつまらない自尊心プライドのせいだ。
自分の過ちを認めるのが嫌だった。過ちを認めて“下”になるのが嫌だった。
真田とは対等でいたい。だって友だちだから。
馬鹿な話だ。真田がそんなことで幸村を見下すわけがないと幸村が一番知っているのに。

「はぁ、ったくここは保育園かよ」

 丸井は心底呆れかえってる様子でベンチの背もたれに仰け反る。けれど、「あ、そういえばこの前幸村くんのフランス土産お前の分まで食っちまったの俺だわ。ごめん」とちゃっかり便乗してジャッカルに謝った。丸井らしい気の使い方である。
「知ってたよ。お前の他に誰がいるんだよ」とジャッカルも丸井の意図を汲み笑う。いいコンビだ。
流れに乗り、今度は柳生が「貴方も今のうちに何か言いたいことがあれば言っておいた方がいいんじゃありませんか? この流れであれば多少のことは許されるかもしれませんよ」と柳生が仁王に冗談めかし視線を送りったのち、おもむろに「では、特にないようなので私から」と立ち上がり自分から仁王の前に立った。

「私をテニス部に誘ってくださりありがとうございました。貴方のおかげで何ものにも代えがたい素晴らしい経験ができました」

 柳生が紳士らしく微笑み、「ありがとうございました」と仁王に手を差し出す。

「……相変わらず空気を読まん奴やのう」

 詐欺師も不意打ちには弱いらしい。
仁王は差し出された柳生の手をパシンッと叩くように打って返した。照れ隠しである。
 ここにいるのは皆仲間なのだ。
夕日に照らされ真田と誓い合った言葉はすでに二人だけのものではなくなっていた。
一緒にテニスをしよう、と言ってくれる仲間が幸村にはこんなにいる。
なんて心強いのだろう。
 幸村は真田ともう一度向かい合った。
しかし、幸村が「真田、」と口を開きかけたところで

「ゲームセットウォンバイ立海 7−5!!」

 と、コールがかかる。
 試合を終えた赤也が「つーか、先輩たち途中から俺の試合全然見てなかったっスよね!」と怒りながら戻ってくるのを皆で迎えた。

「それほどお前を信頼していたということだ」
「絶ってぇうそっ! 俺抜きで何楽しそうに話してたんスかっ!!」
「大した話ではありませんよ。さ、そういえば今日はまだ円陣を組んでいませんでしたね。全員揃ったことですし、気合いを入れ直しましょうか」

「そうだね」と「そうだな」と有無を言わせず先輩たちが赤也を取り囲む。
肩を組み、頭を突き合わせ、これがこのメンバーでの最後の円陣だ。
真田が、皆が、変わらない信頼を幸村に向ける。幸村ははっきりと頷いてそれに応えた。

「負けてはならぬ必ず勝て!! それが我ら常勝立海大!!」

 これは呪いなんかじゃない。誓いだ。

「イエッサー!!」

 同じ旗のもと闘い続けてきた何よりの証に八つの力強い声が見事に揃った。

「なんでこのタイミングで円陣? ちょっと誤魔化さないでくださいよっ!!」

 ぎゃあぎゃあまだ喚く赤也の頭を真田が無言で押さえつけた。
うるさいと叱られる。そう思った瞬間、そのまま力任せに頭を撫でられた赤也は「?」をいっぱい浮かべる。
「良くやった」という真田の言葉を赤也が理解した頃には真田の背中はもうコートに向かっているところだった。
 皇帝・真田弦一郎、神の子・幸村精市。その名に恥じぬ闘いを終え、仲間が待つベンチに帰還する。
そして、幸村の腕には輝く優勝杯が収められた。



「あ、やっと出たな。もしもし、お前今どこにいんの? ハ?」

 二言三言交わして、丸井はため息とともに通話を切る。
戻ってきた丸井に「さんなんだって?」と幸村が声をかけた。

「アイツ帰ったって。もう新横着いたってよ」
「えーさん日帰りなの?」

 今年の大会は九州で行われた。選手や応援団は学校が用意してくれた宿に泊まっていたが、は一足先に一人で帰ったらしい。
大会が終わった瞬間にでも真田に突進してくるかと思ったのだが……
 幸村は応援スタンドにいたの姿を思い出した。
まっすぐ前を向き、静かに真田を見守っていたあの瞳。もっときゃあきゃあと騒がしくなると思っていたから意外だった。
けれど、その姿を見て幸村は確信した。
確かには行動こそ極端で誤解を受けやすいが、それは目に見える表面上の部分であり、内にある真田に対する想いは確かなものに見えた。
どんなときも正面から真田と向き合おうとするはとても誠実な人間だ。
になら、真田を安心して任せられる——幸村はそう思う。
 宿の計らいでささやかな祝いの場が設けられていた。
テーブルの上には所狭しと食べ物が並び、それを端から丸井が吸い込んでいく。仁王は隙あらば赤也やジャッカルにイタズラをしかけ、真田の怒鳴り声が響く。柳と柳生は酒を酌み交わすように煎茶を飲んでいた。騒がしくて楽しい宴だ。

「もっと早く誘ってあげればよかったね」
「……アイツは部外者だろう」
「そんな堅いこと言って。でもまぁ、あれだね、明日帰ったら真田の家の前で待ってたりしてね、さん」

 幸村が「どうするんだい? もう逃げる口実なくなっちゃったわけけど」と真田の様子を窺った。
約束の三連覇は果たされた。もう誤魔化しは通用しないだろう。
なにより真田自身が秘めておけないだろう。自分の想いを。

「逃げる気などはない。真っ向勝負だ」

 なんとも真田らしい回答に幸村は声に出して笑ってしまった。
 そして、今度こそ友人の恋を心から応援すると胸に誓った。