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 私は昔からめんどくさがりだった。
これはおそらく母譲りの性格だろう。母の口癖も「めんどくさい」だったのを覚えている。
 めんどくさい、めんどくさい、そう言いながら母は女手一つで私を育ててくれた。
うんと小さい頃は寂しい思いもしたような気もするけど、それはもう忘れてしまった。
 めんどくさい、めんどくさい、あぁあ疲れた。今日の夕飯なぁに? と疲れて帰ってくる母親に、まずは手洗いうがいをさせて、その間に作ったご飯を食卓に並べるのが私の役目。
 母はそんな口癖とは裏腹に溌剌で笑顔が似合うひとだった。
母のもう一つの口癖である「まぁいっか」は諦めたというより全部丸ごと受けとめたという感じで、それを聞くと私も「まぁいいか」と思える安心さがあった。
 母娘二人わりと上手く暮らせていたと思う。
 そんな日常が一変したのは三年前の春。私が中学三年生になったばかりのときだ。
母が突然職場で倒れ、そのまま入院した。

「ねぇ、担当の先生と会った? かっこよくない? しかもアンタと同い年の息子さんがいるんだって!」
「はいはい」
「絶対息子もイケメンよ。アンタ、ちょっと狙ってみれば」

 そんな冗談を言っていた数日後に母は病院で呆気なく亡くなった。末期の癌だったそうだ。
母は自分の病状を知って自分が死んだあと私が困らないようにいろいろメモ書きを残してくれた。
そういうところはアバウトな性格に反して笑ってしまうくらい貴重面だ。
そのメモに沿って親戚や知人に連絡を取り、葬儀の準備が進んでいく。
 お葬式にやってきた親戚は何か困ったことはないか、大丈夫かと訊く口でこれみよがしに父の悪口を言っていた。
 母と父が離婚したのは私が二つの頃で私は父をほとんど覚えていない。
母は父のことをことさら語ることはなかったけど、聞けば普通に教えてくれた。
「どんなひとだったの?」という漠然とした私の問いに、「優しいだけのひとだったわねぇ」と母は笑って答えたくれたのを覚えている。
「とっても優しいんだけどほんとに優しいだけなの。笑っちゃうくらいに」と。
父のことを語る母は昔を懐かしむような親しみを込めた柔らかい表情だったが、同時にそれがすでに過去であることも物語っていた。
だから、不思議な感覚だったが、幼いながらに私も離婚は仕方のないことだったんだろうと気持ちに整理がついていた。
 だが、親戚の言葉を借りれば、それは確かにひどい男だった。
離婚の原因は父の浮気だったらしい。幼い我が子もろとも妻を追い出し、資産家のくせに慰謝料や養育費も寄越さない。血も涙もない人間。
母から聞いていた人物像とはだいぶ異なる。
どちらが本当の父なんだろう。
葬儀の席で薄ぼんやりとそんなことを考えた。
 私を誰が引き取るかでは相当揉めたらしい。
どういう経緯でそうなったかわからないが、何故か父が私を引き取ることになった。
離婚して十数年。それから一度も会っていない父と暮らすことに対して不安や抵抗感がないわけがない。だが、何も言わなかった。
声を上げて自分の意見を主張する気概が正直そのときの私には残っていなかった。私はやっぱり母に似てめんどくさがりなのだ。
そうして、私は父に引き取られることになった。
 父は一見して穏やかなひとだった。
そうか、わかった、好きにしなさい。寛容というより無関心。父の優しさには心がない。

「慰謝料も養育費も君のお母さんは受け取ってくれなくてね。君たち親子には本当に申し訳ないことをしたと思っていたんだ」

 慈悲はあるがそれは愛ではなかった。「優しいだけのひと」、そう言った母の言葉が今の父の輪郭にピタリと重なった。
 おそらく私は積極的に引き取られたのではなく、押し付けられたのだろう。
だが、父は先祖代々の土地を持ち、会社をいくつも経営するようなひとだった。
食いぶちが一つ二つ増えたところで痛くもかゆくもないらしい。
 浮世離れした広い敷地内にあった倉を改装して私専用の離れを作ってくれた。
立海にはそのまま通わせてもらえるらしい。
私の日常は守られた。そう自分に言い聞かせて、自分の気持ちには蓋をした。
 それからの生活は静かなものだった。
母と二人で暮らしていたときも一人の時間は多かったが、料理やら洗濯やらやることがそれなりにあったので気にならなかった。だが、ここではそれら家事雑用はすべてお手伝いさんがやってくれる。
半端に余った時間をどう埋めようか。特に思いつかず自室のベッドに寝転ぶ日々。
 ベッドのすぐ側にある窓はちょうど母屋のリビングの窓と対面していた。
母屋には父の再婚相手とその子どもが住んでいる。
はじめに挨拶したきりでその後はほとんど顔すら合わせていない。
線の細い声の小さなひとだった。これからよろしくね、と言った声には親しみのカケラもなかったし、それを隠そうともしていなかった。
「恥知らずの恩知らず」。影でそう罵られているのを聞いても黙っていた。
離れといえどこんな大きなお屋敷に住まわせてもらい、私立の学校に通わせてもらっている。何不自由なく暮らす私は側からみればさぞ優雅に見えただろう。
文句を言えば罰が当たる。
またそうやって自分の気持ちに蓋をした。
けど、どんなに自分にそう言い聞かせても肚からは激しい怒りが湧いていた。
私を捨てたのも父。私を引き取ると決めたのも父。
大人の身勝手な都合に振り回され、それに従えば文句を言われる。そんなのは理不尽だ。
とやかく言われる筋合いはない。だって私は何も悪くない。そう叫んでやりたかった。
 他人には、そんなに今の環境が不満ならすべて捨てて自分の足で歩けと言われるだろう。
わかってる。その贅沢を享受してる時点で私はすでに文句を言う資格を失ってしまっている。甘えてる。その通り。それもわかってる。
なんだかんだといっても結局は現実的な折衷案に落ち着く自分は根本的に小狡いのだ。
 前にも後ろにも道はない。ただただ沈んでいくような日々。
 窓もカーテンも開ける気がしなかった。そうして季節すら閉め出した自分の部屋はいつだって薄暗くて寒々しい。

 あの日も暇だったのだ。
どうせ家に帰ったところですることもない。
何に対しても心が動かなかった。
もともとこれといった趣味はないし、部活動もしていない。勉強も授業を聞いていれば困らない程度には出来た。
最後に恋をしたのはいつだったか覚えていない。
 何かをはじめるのに好奇心よりめんどくささが勝ってしまう。
それが自分の本来の性分なのか、今の環境のせいなのかは微妙なところだ。

「せっかくですしさんも観ていかれませんか?」

 と柳生に誘われて断らなかったのも嵐の中傘をさして帰るのが億劫だったからだ。
 暗幕の引かれた教室でスクリーンに映し出された画面を眺める。見始めるとそれなりに楽しめた。
いちいち喚いてる真田が面白い。たかがテニス、たかが部活。なのに何故そんなに熱くなれるのか——

『向こうに入らんかーーーーっ!!』

 真田の雄叫びとともに雷が落ちた。
同時に私の心臓も雷に打たれたように跳ねる。
耳の奥で轟々と潮騒のような血の流れる音が響いていて止まらない。
 様子のおかしい私を柳生が気を遣って外に連れ出してくれた。
やっとの少し落ち着いたところで、私はさっきの試合の結果を祈るような気持ちで尋ねる。

「真田君が勝ちましたよ。彼は気迫でボールをも入れる男です」

 それを聞いた瞬間、またも私の心には感情の波が押し寄せた。
 何を賭けてどんなドラマを背負い彼があのコートに立っていたかなんて私は知らない。
あの試合、あの一瞬を映像で見ただけ。それだけ。
でも、それだけで十分だと思った。
私は真田に恋をした。
 それから、私は変わった。変わろうと思った。
まず、もう少し素直になってみることにする。いや、素直とは少し違うかもしれない。
自分の欲に忠実になってみる。そんな感じだろうか。
 私の「めんどくさい」、「まぁいいか」は自分に対する諦めだった。
「どうせ」といつまでいじけているなんて子どものすることだ。私はもうそれほど子どもではない。
 真田に恋をしてからの日々はとにかく楽しかった。
相手に自分の気持ちが伝わらず悩むこともあったが、そういう試行錯誤すら楽しい。楽しいことが嬉しかった。

「お前は今の状況から逃げるためにこういうこと書いてないか?」

 だから担任にそう指摘されたとき、反論できなかった自分に失望した。
この期に及んで私は自分の気持ちすら利用して、置かれた現状からただ逃げ出したかっただけなのだろうか。
ちがうっ! と心が叫ぶのに、「違う」とは言えなかった。
これじゃあ自分の言葉など無力であると黙っていた昔の自分となんにも変わらない。
 真田、だいすき。嘘じゃないよ。ほんとだよ。
独りは淋しくてつまらないけど、だから恋をしたわけじゃない。
愛は生活の必需品じゃないことを私は知ってる。そんなものなくたって日々は惰性で過ぎてくよ。
真田が好きだから、好きになったんだよ。好きの理由が“好き”じゃ説得力ないのかな。
でも、私は真田を説得したいわけじゃなかったんだ。ただ、自分の素直な気持ちを伝えたかっただけなんだ。
そして、それを信じてありのまま受けとめてほしかっただけなんだ。
真田だったら受け止めてくれるんじゃないかって、あの瞬間思ってしまった。ただそれだけなんだ。
 あぁ、逢いたいな。真田に逢いたい。もうずっと逢ってない気がする。
 カーテンがたなびく気配がして目が覚めた。
重たい瞼を開けるとそこには真田がいた。なんて幸せで酷い夢なんだろう。

「逢いたかった」

 と素直に漏れた言葉は夢の中なら彼に届いただろうか。


◇◆◇


「すまいない、急に抱きしめて」

 ハッと我に帰り真田はの身体を放す。
はふにゃふにゃと何か言ったがよくわからなかった。まだ熱で朦朧としているようだ。
 真田が「病院には行ったのか?」と訊くとは首を横に振った。
 とりあえずの身体をもう一度ベッドに寝かせ、部屋の換気をしようと再び窓に手をかけたところで、がそれをやんわりと制した。
怪訝に思ったが、あえて理由は問わなかった。
 ただ、ここは病人にはいささか酷な環境に思えた。
「ちょっと待っていろ」とに残してから、離れを出て母屋に向かう。
「何か御用でしょうか」と出てきた手伝いに「のご家族の方はご在宅でしょうか」と尋ねた。
その声を聞いてか、奥から子どもが飛び出してきた。まだ小学生低学年くらいのあどけない顔をした男児だ。
「奥様」と手伝いが声をかけるとやっと大人が出てきた。
品のいい感じの女で、真田が突然訪ねたことを詫びると「いいえ」と微笑んだ。

……いや、おたくのさんが熱を出しています。ご存知でしょうか」
「あら、そうなの。それは大変。すぐにお医者様を呼びましょう」

 鷹揚にそう言って手伝いに指示を出す。
 ああ、こういう家庭なのだな、と真田はそのとき悟った。
 の部屋の窓は丁度母屋に向いていた。がカーテンを開けたがらなかった理由に今気づく。

「それには及びません。それよりをうちで預かりたいのですが宜しいでしょうか」

 普通なら断られるであろう申し出もすんなり受け入れられた。
 真田は自宅に連絡を入れ、今から病人を連れて帰るから客間に布団を敷いておいてほしいと母に頼む。
真田の母は驚いていたようだが、多くは訊かずに「わかった」と了承してくれた。
 母が手配してくれたタクシーにを背負って乗り込む。
家に着くと、敷いておいてもらった布団にをすぐに寝かせ、かかりつけの医者を呼んでもらった。
 部屋を出る際、真田はがはじめて真田家を訪れたとき、「私、特にあの縁側が気に入っちゃったなぁ」と言っていたのをふと思い出す。
真田は閉めかけていた障子を薄く開けたままにし、静かに部屋をあとにした。
 後悔なら山ほどある。おざなりにしてしまっていた過去の言葉一つひとつに今更寄り添ったところでもう遅過ぎるかもしれない。
でも、思い返せば思い返すほど真田の心はへの愛しい想いでいっぱいになった。