○駅にて

「わっごめんっ! つい感極まっちゃって!」

 と慌てては手塚の胸を押し返して密着していた身体を離した。

「いや、なにも問題はない。むしろ——」

 もう少しこのままでいさせてくれ、と痺れるような甘く低い声で囁かれたは再び手塚の腕の中に収まっていた。幸せすぎてまた涙が溢れそうになる。

 どれくらいそうしていただろうか。体感時間では永遠に思えた時間でも時計の針はたいして進んでいないだろう。だが、はハッとして自分の腕時計を見た。

「終電っ!」

 時計の針はギリギリ日を跨いでいない。幸いこのホテルは駅からも近いので終電に間に合う。

「……帰るのか?」
「うん、明日仕事だし。それに手塚も明日日本離れるんだもんね?」
「……ああ」
「今日は突然ごめんね」
「いや、お互いの意思が確認できてよかった」

 見送りを申し出されたが、は丁重にそれを断った。
手を振って別れを告げ、笑顔でさよならする。

 は足早にホテルを出て駅に向かった。終電に乗るためという理由もあるが、それよりなにより高揚する心が走り出しそうになる身体を止められない。

 きっとあのままホテルの部屋にいたら“そういうこと”になっていたかもしれない。
決してそれが嫌だったわけではないが心の準備というものがある。
それに化粧はどうするんだ問題、替えの下着問題、さらにつっこんだことをいえば体毛問題などなど困ることは無数にあった。
間違っても手塚に変な姿は見られたくない、という乙女心がに二の足を踏ませた。
十五歳からまったく上がらぬままの恋愛経験値が仇となる。

 でも、と駅のホームに着いてからはふと思い返した。
抱きしめられたときのしっかりとした腕の感触、手塚のほんの少しだけ汗を感じる首筋の匂い、そして「好きだ」と言ってくれた耳に心地よく響く声。
あんなに色濃く手塚の存在を感じたのははじめてだった。

 ——キスくらいしておけばよかったかな……

 なんてね、きゃーっと一人勝手に照れる。
つい数時間前まで別れを覚悟していたなんて思えないほどの脳内は完全にお花畑状態だった。
きっと側から見れば深夜に駅のホームでひとり百面相をしているは立派な酔っ払いに見えただろう。