※鳳→宍戸を思わせる描写アリ

 渋ると宍戸が促し、嫌がる日吉を岳人とジローが引きずっていた。
 陽が暮れて大分経つ。昼過ぎに降った雪が路肩に残っているせいか底冷えする寒さだ。
しかし、大晦日の境内は祭りのような賑わいをみせていた。


「うぇ、小吉ぃ〜」

 がガーンッと絵に描いたように落ち込むのをとなりの日吉が小馬鹿にしたように鼻で嗤った。
それに対してがイーッと歯をむき出しにすれば、日吉が嫌味を言う。がまた……。無意味なエンドレスループ。よく飽きないものだ。

「ね、はどうだった?」

 日吉にあっかんべぇをしたのおみくじを勝手に覗き、「あ、大吉だ! ズルい!」と叫んだ。
「ちょっと、もっかい引いてくる!」というの襟元を掴み止めてあげたのはの親切心だ。

「何度もやったって意味ないでしょ」
「そういうは?」
「引いてません」
「なんで?」

 は「そういう無駄なことするの嫌いなの。どうせ買うなら宝くじの方がまだまし」と答えた。は「夢がないなぁ」と不満げに言う。
おみくじと宝くじ。夢があるなしの話で分けるなら、夢があるのは断然宝くじの方だ。
がそう言っても、は納得しない。「でも、楽しいのに」と拗ねる。

「宍戸も引かないの?」

 のとなりで甘酒を飲んでいた宍戸にが訊いた。
 宍戸もと同様おみくじは引いていなかった。

「占いとかそういうのダセェだろ」
「宍戸のダサい、ダサくないの基準よくわかんない」
「ああ? とにかく、俺は自分の人生は自分で切り拓いていきてぇんだよ! 道案内なんかいらねぇっつの」

 ここに長太郎がいれば、「宍戸さん、男らしいです!」と褒め称えるところだろう。
残念ながら、長太郎は今日はここにはいないので、「好き! 好き! 大好き! 亮ちゃんのそういうところ本当好き!」とだけが盛大に拍手を送って、宍戸に抱きついた。
今度はが「あーまたはじまった」と呆れる役になる。

「おい、!」

 少し離れたところで電話をしていた岳人が苛立ちながら戻ってきた。
「なぁに?」とがニヤニヤととぼける。

「お前、侑士にさっきの写真送っただろ?」

 がイタズラが見つかった子供のようにペロッと舌を出す。
 神社に着いたとき、岳人とジローと日吉がを囲うに撮った写真をはこっそり忍足に送信していた。

「ったく、めんどうなことすんじゃねぇよ」
「忍足なんだって?」
のことちゃんと送って帰れってよ。あと、ジロー! おい、ジロー!」

 勝手に屋台の並ぶ区画でくつろいでいたジローを岳人が大声で呼んだ。
「な〜に〜?」と気の無い返事が返ってくる。

「お前、に近づくなだってよ!」
「なんで俺限定?」
「自分の胸に手を当ててよく考えてみろ!」

「え〜全然わかんねぇC〜。ね〜、ちゃん」とちゃっかりの膝を枕にするジロー。間違いなく確信犯であり愉快犯だ。
「そういうとこだっつてんだろ!」といちいちツッコんで本当にやめさせようとする岳人はいい奴だ。

「今頃跡部はドイツか」

 宍戸が溢した言葉になんとなく皆夜空を見上げた。
 跡部は樺地を連れて終業式とともにプライベートジェットでドイツへと旅立っていた。
宿敵手塚に試合を挑みにいくらしい。
傍迷惑な話だが、跡部と同じくらいテニス馬鹿にみえる手塚は案外この訪問を喜ぶかもしれない。
 忍足は家族で本家のある大阪へ帰省。滝も年末年始は家族で海外旅行だという。長太郎も家族で過ごすとのことだ。
 除夜の鐘が鳴り始めた。今年も残りわずか十五分足らず。

「来年もまたよろしくね」

 の言葉に宍戸はぶっきら棒に「おう」とだけ返してキャップを被り直した。
 と宍戸は付き合い始めてもうすぐ一年と四カ月になる。
中三の夏、の方から告白した。
一度部活を理由に断られたが、はそれでもめげずに猛アタックをし続け、最後は宍戸が根負けしたような形で始まった付き合いも、今や校内公認カップルだ。
 宍戸は不器用ながらもを大切にしてくれている。
にはそれがわかるので、とても幸せだった。

 だから、おみくじは引かない。


◇◆◇


 その日、朝からの周囲は騒がしかった。
大方予想はついていたので動揺はない。
絡みつく視線を払いのけるようにしながら、はわざと堂々と廊下の真ん中を歩いて登校した。

「ちょ、ちょ、ちょ!」

 後ろから全速力で走ってきたの腕を掴んだ。
はそのままの腕を引っ張って、廊下の端に連れていく。

「し、し、宍戸が浮気したって!」
「うん」
「キ、キ、キ、キスしてたって! しかも学校で!」
「うん」
「『うん』って! え、嘘! デタラメじゃないの?」

 うん、とが頷けば、は自分のことでもないのに、この世の終わりを告げられたような顔になった。
ちょうどそこにも通りかかる。

「おはよう」
「おはよう」
「『おはよう』じゃないよっ! 、なんでそんな普通なの!?」

 ひとの噂などに関心のカケラもないは事情がまったく飲み込めていないのだろう。
ただの尋常じゃない様子に訝しげに首を傾げて、にその答えを視線で問う。
 は短い溜息を吐きてから、仕方なしに事の経緯をにもわかるように語り出した。

 話は単純だ。
 の恋人である宍戸亮は後輩(♀)から相談を受けていた。
恋の相談だ。
この段階で、もっと適任が他にいるだろう、という声が聞こえてきそうだが、その恋の相手というのが宍戸の後輩・鳳長太郎だったのだからしょうがない。
鳳といえば宍戸、宍戸といえば鳳。二人が特別親しい間柄であるということはこの学校の生徒なら誰でも知っていた。
後輩(♀)が宍戸を頼ったのもある一定の理解はできる。
 どうにか自分たちの間を取り持ってくれないか。
後輩(♀)は宍戸にそれは必死に頼み込んだらしい。
はじめのうち、宍戸も当人同士のことは当人同士でしろ、とその要求を突っぱねていたのだが、その後輩(♀)はめげずに「話を少し聞いいてくれるだけでもいいですから」と図々しくも健気に宍戸に訴え続けたのだ。
後輩(しかも、可愛い女子)に頼られて悪い気がする男はいない。
結局、宍戸は断りきれず、「話を聞くだけだからな」と念を押し、その後輩(♀)の相談相手になった。
頼りになる先輩、可愛い後輩の図のつもりだった。少なくとも宍戸の方は。後ろめたさなど微塵もない。だから、逆に自分の彼女であるには特に何もこの関係のことを説明していなかった。
 ちょうどそんな関係が一カ月弱続いた頃、宍戸は彼女に呼び出された。

「急に呼び出してすみません」
「長太郎となんかあったか?」
「そのことでちょっと……」
「どうしたんだよ。話だけなら聞いてやるっつってんだろ」

 宍戸がいつもと変わらぬ爽やかな笑顔で応えてやると、後輩(♀)は何を思ったか突然宍戸に抱きついた。
そして、その勢いで「好きです」と告げる。

「あ? 相手が違ぇだろ」

 宍戸は大いに狼狽えた。それもそうだ。ずっと別の相手が好きだと思っていたんだから。自分はただの相談相手だ。
宍戸は懸命に後輩(♀)を自分の身体から剥がそうとするが、逆に後輩(♀)は離れまいと必死にしがみついた。

「私、いつのまにか宍戸先輩のことが……っ!」
「ちょ、待て! 落ち着け!」
「落ち着いてます! 私、本気なんです!」

 後輩(♀)はその“本気”とやらを示したかったんだろう。
あろうことかその場で宍戸にキスをした。
 場所は放課後の昇降口。ともなれば目撃者も多いのは必然。
宍戸が後輩(♀)と白昼堂々学校でキスをしていた。そんな噂は瞬く間に広がった。
これが『宍戸亮が浮気した』という噂の真相だ。


「という訳だから、まぁ、厳密に言えば浮気じゃないんだよね。なんていうか、奇襲?」

 は事の顛末を語り終え、肩をすくめておどけてみせた。

「いやいやいやいや、ツッコミどころが多すぎるんですけど。その後輩怖すぎっ! てゆーか、浮気じゃないとしても、はそれ納得してるわけ?」
「まぁ、隙があったとはいえ本人の意思じゃないし、キスくらいで騒ぐのもなって」

 が堪らず「はぁ?」と語尾を上げ不快感を露わにしたのに対して、は「はぁ?」と語尾を下げて同意とも反意ともとれぬ曖昧な相槌をうつのみだった。
 予鈴が鳴り、廊下に溢れていた生徒がバラバラと慌ただしく各々の教室へと散っていく。

「お昼休み、ちゃんと話聞かせてよね」

 そう食い下がられてもさっき語ったこと以上に自分から語れることはもうない。
そう思いながらもは「ハイハイ」と適当に応じて、が自分のクラスに入っていくところをと見送った。
 は一年次は同じクラスだったが、二年次になって全員クラスが分かれてしまった。
それでもは同じテニス部のマネージャーだし、は忍足の彼女だ。なんだかんだと交流は続いていた。
ただクラスで浮かないためだけに集まったのではない。その思っているのは、皆同じだろう。

「本当にキスくらい?」

 が自分のクラスに入る間際にに訊ねた。
相変わらず表情筋を極力使わないの感情は読み取りづらい。
その大きな宝石みたいな瞳で見つめられると、同じ女のでも言葉に詰まるときがある。

「キスくらいでしょ。いちいち済んだこと気にしても仕方ないし。亮ちゃんも反省してるみたいだし」

 宍戸と本人とは話はついていた。
 ——もう絶対しない。
 は宍戸のその言葉を信じて、これまでと変わらなず交際を続けることを決めていた。

「忍足だってとしてるよ」

 の眉がかすかに動いたのをは見逃さなかった。
 とは、忍足が中学のときに付き合っていた同級生だ。要は元カノである。
 特段気にしている素振りを見せないだが、実際のところその存在は喉元に突き刺さった魚の小骨のような鬱陶しさだということは想像に容易い。
 は舌を出して戯けてから、自分のクラスの扉をくぐった。
 チラチラと向けられるクラスメイトの視線は、自分から「おはよう」と声をかけることでなぎはらった。