「まぁ、から直接聞いたわけじゃなくて私の勝手な想像だけど」とが付け足したので、しんみりとしていたがたまらず「えぇ!」と声をあげて脱力した。
そんな二人のとなりで謙也は黙ったままだった。
この子は自分の彼氏が将来医者になることを喜んでいないのか、との寝顔をそっと覗く。
の憶測がどこまで真実なのかわからないけれど、そもそもそういう考えもある、ということが謙也にとっては斬新だった。
高校までは親が医者であること、大学からは自分が医学生であること、それだけで寄ってくる女の子が謙也の周りたくさいんいた。
最初の頃こそその魂胆に気づけず、なんなら浮かれているくらいの謙也だったが、容赦ない後輩に「それモテとちゃいますよ」とキッパリバッサリ切り捨てられてからは、よくよく観察するようにはなっていた。
しかし、よくよく観察するようにしたところで、謙也のスキルでは女の子の野心を見抜けないことも多い。
白状すると、今まで痛い目にも合ってきた。
医者の家系。病院の跡取り。医者の卵。
そんなのはただのラベルだ。前者二つにいたっては謙也本人の資質でもなんでもない。
なのに甘い蜜に引き寄せられるように女の子は謙也の周りに寄ってくる。
純粋に自分自身を見てほしい謙也にとってそんな肩書きは邪魔だった。
ただ、それでも医者になる、という夢を変えようと思ったことはない。
たとえ女の子に振り回されても、自分が決めた将来を曲げるほどの理由にはなりえなかった。
いつかきっと先入観なしに自分自身を好きなってくれる子が現れる。
信じ願う気持ちが、今半分救われたような気がした。
でも、そのあともう半分はメラメラと静かに燃える青い炎のような嫉妬心に変わっていた。
同い年の従兄弟とはずっと比べられてきた。
幼い頃からのライバルだ。運動も、勉強も、部活も、将来の夢も。
コイツにだけは負けたくない。まるで競い合うのが当然のようにわざわざ同じ道を選んで生きてきた。そして、それはこれからもまだ続きそうだ。
けれど、本当は気づいていた。
認めたくない気持ちが懸命に気づかないフリを続けろと唆すけど、本音を言えばそれもそろそろ疲れてきていた。
運動も、勉強も、部活も、将来の夢も。そして、恋も。
本当に優秀なのは、いつだって侑士の方だ。
小学校五年生の夏。
謙也はドラックストアに走って衝動的に脱色剤を買った。自分の髪の毛を根元からド金髪に染め上げるために。
鏡に映った自分の黒髮が誰かそっくりで嫌で嫌でたまらなくなったからだ。
比べられて生きてきた。でも、誰よりも自分と侑士を比べていたのは謙也自身だった。
「……この子、めっちゃ侑士のこと好きなんやな」
自然と溢れた自分の言葉に胸が締め付けられる。
羨ましい、と思う自分を素直に認められないのは、まだ性懲りも無く残ってる意地みたいなものだ。
負けたくない。
そう思ってしまうことこそ幼稚なのだと、もう随分前からわかっているけれど。
「なんで謙也もおんねん」
背後から聞こえた声に振り向くと、しかめっ面の侑士が立っていた。
どうやらが呼んだらしい。
すぐにを連れて帰ろうとする侑士をが「まぁ、まぁ」と宥めて空いてる席に座らせ、手際よくビールを頼む。
「あ゛〜いいな〜どっかにいい出逢いないかな〜」
今度はいい感じに酔っ払ってきたがハイボール片手に天井を仰いだ。
は宍戸と付き合っているらしいし、は言わずもがな。この中で彼氏がいないのはだけということになる。
「てゆーか、いい加減日吉でよくない?」
の「ハ???」という素っ頓狂な声が響いた。
「え、なんで日吉????」
「だってずっと前からのこと好きじゃん。ねぇ?」
話を振られた侑士が微妙に濁した。その態度で逆にこの話の信憑性が増す。
「ないないないない」
「なんで? 日吉浮気しなさそうだし、いいんじゃない?」
「いや、そういう“ない”じゃなくて……」
「いい加減さ、跡部のことは忘れて次に進んだら」
今度は三人分の「え!!!」が響く。
自分が知らないのはともかく侑士も知らなかったようなので意外だった。
「えっ? なんで、知っ? えっ?」
「気づくわよ。そりゃ。何年一緒にいると思ってんのよ」
あのねー、と語り出すは完全に説教モード突入だ。もしかしたら、こっちも相当酔いが回っているのかもしれない。
「もし、今大洪水が起きたとして」
怖い顔をしたがを見据える。
「忍足は間違いなくを助けるし、も忍足を助ける。私も亮ちゃんを助けるし、亮ちゃんもたぶん私を助けてくれる」
「え、ここに宍戸いないし」というツッコミは許されず、いいから黙って聞けとは福々しているの頬をつねった。
「、このままだと死ぬわよ」
「なにそれ怖いっ!」
「だから、ちゃんと自分を助けてくれるひと、選びなよ」
「……選ぶって……そんな権利……」
言葉尻をあやふやにするをが「選ぶ権利あるの。てゆーか、義務」と容赦なく責めたてる。
「何が起きても絶対に自分を助けてくれるって信じられるひと、ちゃんと見つけなよ」
今にも泣きそうになったがグスッと鼻を鳴らし、「ハイボールお代わりくださーい!!」と叫んだ。
案の定、そのあとすぐはのとなりで伸びる結果となった。
「自分、ちょっとに厳しすぎへんか?」
残った三人で静かに酒を飲み交わしていると、侑士が嗜めるようにに言った。
侑士はチョコレートをつまみに赤ワインを飲んでいた。
「てゆーか、と同棲どんな感じ? ぶっちゃけって家事とかするの?」
「……まぁ、な」
「例えば?」
「朝コーヒー淹れたり」
「うん」
「……夜コーヒー淹れたり」
謙也は「コーヒー淹れたるだけかいっ!」と思わずツッコむ。
「そうは言うけどな、飯なんか外でいくらでも食えるし、掃除も洗濯もボタン一つでどうとでもなんねん。それより、忙しくて全然一緒におれんときでもなんも文句言わんでそっとコーヒー淹れてくれる方が何倍も沁みんねん」
「まぁ、確かにそういうの地味に大事だよね。忍足はさ、将来の夢? っていうか、こうなりたいとかちゃんとあって、それなりにやらなくちゃいけないことあって大変でさ。わかってるけど、そういうの我慢できない女って多いよ。“仕事と私、どっちが大事なの?”ってね」
「せやから、には感謝しとんねん」と、それはそれは優しい眼差しを傍らのに向けて侑士はワイングラスを傾けていた。
が「あーごちそうさま」と面白くなさそうにしたので、侑士は「お前が話振ったんやろ」と抗議した。
「はぁ〜いいな〜私も早く亮ちゃんと一緒に暮らした〜い」
「……まだ親父さんに宍戸のこと反対されとるんか?」
「ほんっと最悪、あのクソ親父」
が手元の酒を一気に煽り、グラスジョッキの底でテーブルを強く叩いた。
侑士が「家柄理由に宍戸とのこと父親に反対されてんねんて」と謙也に事情を話す。
「そういう話こそこいつらに相談したらええんちゃうん?」
「二人は本気で心配するじゃん。忍足は適当に聞いてくれるでしょ。それくらいが丁度いい」
「お前、俺のことどんだけ人でなしやと思おとんねん」
はぁ、と特大の溜息を吐いたは「こうでも言わなきゃ、いつまで経ってもはこうだよ」と張りのない声で話を戻した。
「悔しいじゃない。一生懸命頑張ってる人が幸せになれないのって」
が頬杖をついたままゆるゆる前のめりに倒れてゆく。すかさず侑士がグラスや皿を倒さぬように避けてやっていた。
気がつけば、女子は三人とも見事に潰れていた。
笑顔の裏で渦巻く思いはみんなある。
上手くいくことばかりじゃない。
それでも前に進むしかない、と必死にもがいて今に喰らいつける人間だけしか生き残っていけないような、今はそんな世の中なんだろうか。
しばらくすると今度は宍戸と日吉がやってきた。やはりが呼んだらしい。
「……なんで俺を呼んだんですか」
「だってこんな状態のひとりで帰らすわけいかないでしょ」
「あまりならいるじゃないですか」と自分を見た日吉にさすがの謙也も「オイ!」とツッコむ。
「……適当にタクシーに突っ込めばいいですか?」
「適当にそのへんのホテルにでも二人で突っ込めばいいんじゃないですか?」
日吉はの言葉を無視して、を叩き起こし、腕を担いで駅へと向かっていった。
侑士は大通りでタクシーを止めてを先に乗せていた。
「じゃあまたね、謙也くん」
すっかり復活したが「もう一軒!」と宍戸の腕を取り、夜の賑わう街へ消えていく。
時計の針はてっぺんをいくらか過ぎていた。今夜はネカフェかカラオケか。
ビルに囲まれた情報に溢れた街をぐるりと見渡した。ざっと見る限り一晩の宿なら困らないだろう。
何度訪れたってアウェイでどこかいけ好かない街だが、便利なことだけは認めていた。
「何しとんねん。早く乗りいや」
交差点の前で突っ立ったままの謙也を侑士が呼び寄せた。
「……ええんか?」
「しゃーないやろ」
助手席に謙也が乗り。後部座席には侑士とが乗った。
行き先を告げると、タクシー運転手は余計な言葉は発せず、車を発進させる。
謙也がバックミラー越しに二人を見ると、は侑士の腕を抱いて健やかに眠り続けているようだった。
何が起きても絶対に自分を助けてくれるって信じられるひと。
自分もいつかそんな子を見つけて「どうや! この子が俺の自慢の彼女やで!」と胸を張ってこの従兄弟に紹介できる日が来るだろうか。
いつのまにか嫉妬の炎は淡く優しいロウソクの灯のように落ち着いていた。
特別親しいわけではないけれど、今日久しぶりに会った彼女たちがみんな誰かのとなりで安心して眠りにつければいいな、と思った。
誰かの幸せを見返りなく願えた自分がちょっぴり大人になれたような気がして、謙也は「ふふん」と上機嫌で好きじゃなかった東京の明るい夜の街を眺めて笑った。