「うまくいってんの?」
「とりあえず生で」と店員に言いながら、なんのことなしに放った丸井のその言葉で向かいに座るの表情が一気に曇った。
「なんだよ」
「なんて言うか……」
「めでたく片想いが実ってやっと付き合ってんだろぃ?」
「そうなんだけど……」
煮え切らない態度のに丸井は訝しむも、自分の腹を満たす方が先決だ、と言わんばかりにちょうどビールジョッキを運んできた店員にの承諾もなしにつまみを次々と注文した。
「なんだよ。付き合って早々悩むってアレか? 柳、実はセックスめっちゃヘタとか?」
「違う! ……てゆーか、わかんない……」
「は? してねぇの?」
「……してない」
「なんで?」
「なんでって……」
が言い淀むうちにさっき丸井が注文した焼き鳥が来た。
ドンッ、ドンッ、と二皿。焼き鳥盛り合わせ塩とタレで計十串。
丸井はさっそく豚バラの串を一串取って、ひとりで食べ始めた。
「デートは?」
「した」
「そんで?」
「それだけ。家遠いし、遅くなると危ないからって、だいたいいつも夕方には解散する」
「解散って、お前、遠足かよ!」
帰りが遅くなって危ないなら柳が送ればいいし、夜が危ないならそれこそ朝まで一緒にいりゃあいいじゃねか。
相変わらずだが、丸井には柳の考えがよくわからない。
さらに言えば、今更と付き合いはじめたということ自体理解に苦しむ。
の気持ちなど、柳はとうの昔に知っていたはずだ。
知っていてもなお、柳はどうともしなかった。それが柳なりの答えなのだとばかり丸井は思っていたのだが……。
「お前から誘ってみれば?」
「ムリムリムリムリ! 未来永劫絶っ対、無理!」
丸井はめんどくせぇな、とばかりにこれ見よがしな溜息を吐いて、食べ終わった焼き鳥の串を捨てた。
そして、もうひと串と手が伸びる。
「……すきになって、すきになってもらって、付き合って。私の中ではそれがもうゴールみたいなもんだったんだよ」
にとってはやっとフルマラソンを走り終えたという感覚なのだろう。
ひと息を吐きたい気持ちもわかる。
だが、恋愛のゴールはそこじゃない。むしろスタートラインに立ったばかりだ。
これからは二人三脚で障害物リレー。種目が変わる。
はそれに上手く対処出来ず、苦しんでいるんだろう。
「『帰りたくない』って言葉が喉でつっかえちゃうの。我儘言って嫌われたらどうしようって……」
「それ言って嫌な顔されんだったら、別れた方がいいな」
「っそんな!」
「だってそうだろぃ。じゃあなにか? お前はこれから一生自分の言いたいことも言えず、柳の後ろただくっついて歩くだけか? それで満足か?」
「そ、れは……」
「じゃあ素直になれよ。『帰りたくない。もっと一緒にいたい。抱いてくれ』って」
が頭を抱えて唸りだした。その姿を見下げながら、丸井は焼き鳥を齧る。
の目の前に置かれたままのビールは手付かずのままほとんど泡が消えていた。
弱音や愚痴ばかりのはらしくない。丸井は単純にそう思う。そして、ますます柳のことがわからなくなる。
ここはお前がリードしてやるところだろぃ!
だが、しかし案外柳も……。
ブブッと振動音が鳴り丸井の携帯の画面が光った。仁王からだ。短いメッセージは開かずとも通知を一読するだけで事足りた。
「柳、俺らのことなんて言ってんの?」
「なんてって?」
「こうやって一緒に飲んだり遊んだりしてること」
「え? 別に何も?」
丸井の質問の意図がわからないが不思議そうに首を傾げながら、「そういえば飲み過ぎるなよ、とは言われたことあるかなぁ?」と付けたした。
「ま、いいや。とりあえず、俺も今日は帰るわ」
「えっ! なんで?」
「仁王来ねぇって」
「えっ? なんで? てゆーか、なんでそれで丸井まで帰るの?」
まだ焼き鳥は八串も残っているし、まで来ていないつまみもある。
戸惑うをよそに丸井は自分の財布から適当な額を抜いて、テーブルに置いて席を立った。
「ま、俺も他人の事言える立場じゃなねぇけどさ、お前はもっと相手の言葉の裏を読む訓練積んだ方がいいぞ」
「どういうこと?」
「もしかしたら柳だってお前と同じかもしれねぇって話」
「なにが?」
「つーかさ、わっかんねぇけど、普通付き合いたての今の期間が一番楽しいもんだろぃ。それが苦しいってことはお前、柳と合ってねぇんじゃねぇの?」
丸井はに八つ当たりされる前にさっさと居酒屋を後にした。
と仁王と丸井ときどき赤也。中学三年生のときに、と仁王と丸井は初めて同じクラスになり、それからなんだかんだと縁があり、大学三年になった今でもこうしてそれは続いていた。
男女の仲を超えた友情。と、いうわけではない。と、丸井は思っている。そして、仁王も。そう純粋に思っているのはおろらくだけだろう。赤也ですらのことを純粋に友人とはとらえていないはずだ。
場数が極端に少ないせいか、は未だ恋愛に対して、いや対人関係において初心すぎるところがある。
相手の言葉をそのままストレートに受け取って、それ以上の意味を探さないし、ましてや裏があるなんて思いもしない。
それはの美点かもしれないが、大きな欠点にもなっていた。
新宿の明るい夜の下で丸井は一息吐いた。
そして、自分の彼女に「飲み会中止。今から帰る」とメッセージを送った。
◇◆◇
期待と不安が入り混じる。その割合七対三。
カチッカチッとマウスをクリックして、はメールの受信ボックスを開いた。
胸に手を当てながら、祈るような思いで、画面に見入る。
ちょうどあの花見の日の前日には一通のメールを受け取っていた。
選考の結果 様の作品は二次審査を通過いたしました。
これより最終選考に入りますので、今しばらくお持ちください。
は脚本家を夢見ていた。
だから、付属の大学には進まず、実家からもやや離れた映像学部のある大学をわざわざ選んだ。
賞へ応募することは中学生の頃から続けていたが、最終選考まで残れたのはこれが初めてで、それだけに今回の二次審査通過で、今までの努力が八割くらい報わらような気にすらなっていた。
さらに、そこに柳のことが加わり、要は浮かれていたのだ。
良いこと続き。期待と不安の割合が七対三。期待の方が圧倒的に多いのはそんなことが理由だった。
【最終選考の結果のお知らせ】という件名を発見する。
マウスを握る手にも胸に当てた手にも力が籠った。
カチッカチッとダブルクリック。
文面を読み終えたは静かにノートパソコンを閉じた。
〈仁王雅治クン、応答せよ〉
〈嫌じゃ〉
〈なんで今日来なかったの?〉
〈金欠〉
〈うそ〉
〈ほんと〉
〈私ひとりで焼き鳥八本も食べるはめになったんですけど〉
〈知らん〉
〈ねぇ、これから飲もうよ〉
仁王なら簡単に誘えるのに、とは独り暗い自分のアパートで携帯を片手に机に突っ伏していた。
選考結果は言わずもがな。
だから、今日はパーッと丸井たちと騒ごうと思っていたのに。
独りの家へ帰れば、侘しさが増した。どうにも堪えきれず、は携帯を手に取る。
慰めてほしいとまでは言わない。ただ、誰かに一緒にいてほしかった。
そう
一番最初に思い浮かんだ顔はすでに首を横に振って打ち消していた。
仁王からの返信すら止まった。
いよいよ気落ちしたは、這うように台所へ向かい一升瓶を引っ張り出す。
ずっと大切にしていた大吟醸。すでに仁王の手によって開けられたそれは二割ほど減っていた。
何か祝い事があったときのためにとっておいた酒だったのに。
ああ、もう自棄酒だ! と言わんばかりに一升瓶のまま酒を煽ろうとした瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
まさか、——
「よう」
「……よう」
飄々と現れた仁王はの手に一升瓶があることを笑った。
夜の高速を仁王の背中にしがみ付きながら駆ける。
仁王がバイクの免許を持っていることは知っていたが、乗っているところを見たのはこれが初めてだ。
自転車の二人乗りとはわけが違う。初めは怖くて楽しむ余裕など持てなかっただが、徐々に身体がスピードにも慣れてきた。
肌に当たる夜風は冷たいが、湿った心を乾かすには丁度良かった。
「海の馬鹿野郎ーーーーっ!!」
着いた入江でが思いっきりそう叫ぶと、「そんなこと本当に叫んどる奴初めて見た」と仁王はまた笑った。
足元には打ち捨てられた流木や海藻が散乱しており、湘南の浜は正直言うと三時間弱もかけてわざわざ出向くほど美しくはない。
けれど、慣れ親しんだ懐かしい場所はを優しく迎えてくれる。なにより独りじゃない。それだけで今は充分だった。
そのまま浜辺を気がすむまで散歩する。
それに付き合ってくれた仁王は最後までに「どうかしたのか」とは訊いてこなかった。
今までは丸井や赤也の明るさに救われたこともあったが、仁王の寡黙さに癒されることも多かったと改めて感謝した。
「私も免許取ろうかな」
白み始めた空の下、バイクのタンデムシートをペシッペシッと叩きながら、は呟いてみる。
「なんじゃ、柳のとこにいつでも行けるようにか?」と仁王がニヤニヤと揶揄うと、はやおら首を横に振った。
「仁王がさ、もしなんかあって凹んだときには、私が後ろ乗せてあげられたらいいかなって」
何を馬鹿なことを、とでも言いたげに仁王はやや乱暴にヘルメットをに放ってよこした。
「期待せんで待っとくナリ」
は元気良く「うん!」と返事をしてから、バイクに跨る。
行きと同じ道を通ってるはずなのに、帰りの景色は随分違って見えた。
昇った陽が人々の暮らしを照らし、同時に影も作る。
努力すれば報われる。
それを信じる気持ちと疑う気持ちは今も半々だけれど、自分は「よく頑張ったね」と努力を認めてもらうだけでは満足しないことはわかった。
欲しいのは結果だ。
ランニングウェアに身を包んだ同い年くらいの女の子が駆けているのを追い越した。
背筋が伸びていてとても美しいフォームだった。
は大きく息を吸い、自分の背筋も伸ばしてみる。
「頑張るぞー! おー!」と叫んだら、信号待ちで追いついた女の子に「頑張ってね」と言われて恥ずかしくなった。