が〈お花見に行こう!〉と突然言い出したので、一氏はおかしいとは思っていた。
〈アホか。桜なんかもうとっくの昔に散っとるわ〉
〈じゃあピクニック!〉
〈なんでわざわざ外で仲良しこよししなあかんねん!〉
携帯の画面上で延々に続く対立。既読マークもいつのまにか一つ減っている。財前だ。
小春が〈アラ、ええやない。たまには外も♡〉と側に旗を上げてしまったので一氏もしぶしぶオーケーはしたが、本心としてはまだ納得がいっていない。悪い予感しかしないからだ。
なんでこんなことをが突然言い出したのか——ピクニック当日、少し遅れてやってきたの後ろにデザイン部の新人・塚本梢を見つけて、一氏はツッコむことも忘れてただただ呆れかえってしまった。
「まだこっちに来たばっかりで友達も少ないし、早く職場のひととも仲良くなりたいんだって。いいよね」
が誰の目も見ず早口でそう言いながら、テキパキとした手つきで持ってきたものを並べていく。
「これ、みんな塚本さんが作ってきてくれたんだよ」と出されたのは、気合いは入っているが個性の感じられないおかずばかりだ。
塚本が「どうぞ」と手拭き代わりのウェットテッシュを配る。財前は不機嫌なことを隠そうともしていなかった。
「じゃあ乾杯しようか!」
そんな見え見えの取り繕いに「そうね!」「そうしましょう!」と応じたのは小春と塚本だけ。
「とりあえず、合わせましょ」と小春が一氏に耳打ちしたので、一氏はしょうがなく乾杯に応じてやった。
は相変わらず誰の目も正面から見よとしていないくせに誰のためのものかわからない笑顔をつくっていた。
初めて顔を合わせたときから、一氏はが気に食わなかった。
東京出身で美大卒。大手広告代理店に三年勤務したのち、ウチに転職。
“華麗な経歴を鼻にかけない私”を演じながら、「よろしくお願いします」と朝礼時にみんなの前で頭を下げて、歓迎の拍手で迎えられているははっきり言って一氏の一番嫌いなタイプの女だ。
グリットに流し込んだいかにもアカデミックに見えるのデザインも気に食わなかった。
一氏から言わせれば、手が早いのは認めるが小綺麗にまとまっているだけで面白味がまったく感じられないデザインだ。
だが、無難を好む上司やクライアントからは概ね高評価ときている。いけすかない。
〈そないなこと言うて。ちゃん慣れてへん土地で不安も多いと思うから面倒見てあげてや〉
なんであんな女の肩なんか持つんや小春〜と嘆けば、電話越しからでもはっきりとわかるくらいの盛大なため息をつかれる。
小春が大阪支店から本社に移動になって早半年。一氏としては毎週末にでも会いに飛んで行きたいところだが、それは小春から禁止されていた。
「逢えない時間が愛を育てるんやで」と言われれば涙を飲んで我慢するしかない。
小春と一氏は高校の先輩後輩だ。その出会いから今まで、こんなに長い間離れたことはない。
一氏が寂しさでどうにかなってしまいそうなのに対して、小春はまったくそんな素振りをみせないのがまた悲しい。
自分にはあまり関心を寄せてくれないくせにのことばかり小春が心配するので、一氏はがより一層憎たらしくなった。
は小春の心配通り、いつまで経っても職場に馴染むことはなかった。
はあまり自分のことを、ことさら自分の過去を話したがらなかった。
前の職場の話、東京の話、友達や家族の話、そういったことについて話を振られるとはあからさまに答えを濁す。
話したくないのなら、適当に嘘をついて誤魔化すという選択肢がにはないらしい。
せっかくよかれと話を振ってる方からしてみれば、その頑なさが鼻につく。
物珍しさでの周りに群がっていた、特に女が退散するのは早かった。
「あ〜じゃあコレ、サン頼むわ」
馴染まなかった理由はそれだけじゃない。
これまで年功序列式に上がっていた賞与が営業職と同じく出来高制になった。
スタンドヘヴンは取締役が代替わりをして、ここ数年で支店を持つほどまでに成長はしたが、まだまだ知名度も低く、社員層も薄い。
デザイナーやプログラマーの八割が専門学校出身者だった。
専門卒は技術的レベルが高くて即戦力になる。逆に大卒ははじめの数年はほとんど使えない。
だが、どういうわけかある年数をすぎるとそれがひっくり返る。
この業界は日々進化していて、それにはついていかなければならない。“学び方”そのものを習得している大卒は強かった。
全員が全員そういうわけではない。貪欲に新しいものを追い求める専門卒もいるし、為体に自分が持ってる知識を食いつぶしているだけの大卒もいる。
でも、やはり上を見上げたとき、自分たちの上で輝いている星々はその出身校の欄に決まった大学名が記載されていた。
美大卒であり、経験値の高いのところには黙っていても仕事が集まっていく。
営業も成績を伸ばすことに必死なので、手が早くて技術の高いデザイナーと組みたがるのはいたしかたない。
本来なら営業部部長、デザイン部部長をそれぞれ通して回ってくることになっている仕事が、営業担当から直接デザイナーにくることも多くなった。
営業成績ナンバーワンの丸井は早い時期からの能力を買っていて、自分が取ってきた仕事の多くをに回していた。
利益は案件によってまちまちだ。営業は相手によって利益率を操作して交渉する。
だから、一概には言えないが、仕事量は賞与の額に比例した。
多くの仕事をこなして、多くの賞与をもらう。当然のことのように思えるが、そもそも与えられる仕事量に個人差があれば、やっかみのネタになる。
通常、部長は部下それぞれの仕事量を把握して、適切に仕事を割り振る立場にあるのだが、デザイン部の部長は自分の忙しさにかまけてそれを怠る無能だった。
そんなに仕事が好きならこれもどうぞ、と開き直って自分の仕事を押し付けてくる同僚がいるなか、が誰かに仕事を押し付けることはなかった。
は与えられた仕事を黙々とこなすだけ。そんな態度も意地の悪い見方をすれば、くだらないことに足を取られているやつらを馬鹿にしているようにも見えてくる。
溝は深まるばかりで、修復しようとする人間はいない。なにより、自身が周りの人間に対して無頓着だった。
一氏は自分の学生時代を思い出した。
一氏は自分がよしと思ったものだけをよしとする性格で、自分がよしとするならば、周りが何を言おうと御構いなしだった。
その気の強さは敵を多く生むが、そんなこと一氏にとってどうでもよかった。
わかるひとだけがわかってくれればいい。
そう思っていたら、いつもまにかひとりぼっちでなっていた。
そんな一氏を見出してくれたのが小春だ。
「アナタ素敵よ。でも、もっと素敵になれると思うの」
突然そう話しかけてきたオカマに一氏は当然ながら心を開かなかった。
でも、「アナタは素晴らしい」と褒められ続け、半ば乗せられるかたちで提案通りに振舞ってみると徐々に周りにひとが増えはじめた。
「今までだってずっとユウくんは素晴らしい才能を持っていたのよ。ただそれを伝える技術が足りひんかったのね。アカンで。そないな才能自分だけで独り占めしたら」
それ以来小春は一氏にとってなくてはならない唯一無二の特別な存在となった。
今更だが、一氏は小春が自分にを託した理由がわかったような気がした。
思い立ったが吉日。一氏は予備校時代の後輩で偶然今も同じ会社にいる財前を伴って、仕事終わりのを引っ捕まえ有無を言わさずお笑いのライブハウスに連行した。大阪いうたらコレやろ、と。
それを皮切りに一氏はをあれやこれと連れ回した。
が会社では見せないような顔で笑い、酔っ払い、一氏のツッコミに「痛い!」と反論するようになったのはそれからまたしばらく経ってからのことだ。
いってみればは極度の人見知りだったといえるであろう。
◇◆◇
塚本は財前が送ることになった。
飲み足りない残りのメンバーは近くのショットバーに立ち寄ることにする。
が一番最初に一杯目を飲み干し、早々にだらしなくテーブルに突っ伏した。
阿呆だ。超が付くほどの阿呆である。
「まぁ、なんとなく想像はつくけどね〜」
「お疲れ様」と小春がを労った。
が「小春ちゃん〜〜」と情けない声を出す。
そもそもが塚本に対して苦手意識を持っていたのは知っていた。そんな相手をわざわざ休日に誘ったのには何か事情があるからだろう。そこまでは想像がつくが、そこから先は一氏にはまったくわからなかった。
しかし、小春は何かを察しているようで、よしよしとの頭を撫でて甘やかしながら「まったくしょうがないわね、この子は」と目だけで一氏にそっと語りかけてくる。
「他人の恋路の心配もええけど、自分の方は大丈夫なんかしら?」
が重たそうに顔を上げて首を傾げた。
「柳クン。今大阪に来とるんやろ?」
慌ててがテーブルに脚を派手にぶつけた。その拍子にグラスが倒れて、中身が溢れた。
が「きゃあ」と喚き、小春が「おしぼりくださ〜い」と冷静に対処する。
もらったおしぼりで二人がテーブルや服を拭くなか、わけがわかっていない一氏だけが「柳がなんやねん」と叫んでいるが、二人はまったく聞いていなかった。
「もう、ほんと小春ちゃん怖い。どこまで知ってるの?」
「一通りのことは知っとるで〜。あんなええ男フるなんて、ちゃん早まったんとちゃう?」
「ハ? お前あのエリートフったんか! つーか、付き合うてたんか!」と言う一氏の言葉はまたも無視される。
「だって、告白されたときにはもう大阪行くの決まってたし……」
「ええやないの。遠恋でもなんでも」
「ねぇ」と笑う小春に一氏も「なぁ」と微笑み返した。ふたりの世界だ。
は「ごちそうさまデース」と嫌味ったらしく言った。
そこに塚本を送ってきた財前が戻ってくる。
「え、なんで返ってきたの!」と驚くは財前に一睨みされると一瞬で静かになった。
「で、なんで柳クンじゃあかんかったん?」
「なんの話っスか」と訊く財前に「コイツが身の程知らずにも本社のエリートをフったちゅう話や」と一氏がの代わりに答えてやる。
が一氏を睨むが、一氏は負けずに睨み返して対抗する。
ため息を吐いて、睨み合いの勝負から先に降りたのはだ。
「あかんくないです。なんにも。柳さんはなんにも悪くない」
悪いのは全部私です——と続きそうな物言いに一氏は顔をしかめた。
「ほな、タイミングが悪かったんかもしれへんわね」と言ってやれる小春は心が広い。
が「今日はごめんね」と財前に謝った。「反省してるんやったらここ奢ってください」と応えるている財前はちゃっかりしているが、本当のところはきっともうを許しているんだろう。
だが、何に対してが財前に謝ったのか、何に対して財前がを許したのか、依然としてわかっていないのはこの中で一氏一人だけだ。
おもしろくない。全然おもしろくない。
けれど、本当なら早く小春とふたりっきりになりたいところなのに、こんなところでこんな風にこのメンツで騒いでいるのも悪くないと思ってしまっている自分がいることにも気づいていた。
友達ってなろうと思ってなるもんじゃないのよね。そんなことを一氏に教えてくれたのもまたいつかの小春だった。