※描写少なめですが卑猥 フィクションであることを念頭に置いて閲覧は自己責任でお願いします

 昨夜の記憶が途中から曖昧だった。テキーラ五杯はさすがに無謀だったかなとは重い頭でぼんやりと考える。
酔って記憶を失くすなんて産まれてはじめてのことだった。
 は二日酔いの身体を引きずってキッチンで水を飲み、そのままずるずるとフローリングの床に寝そべった。
出かけるまでにはまだ時間がある。シャワーを浴びて、化粧をして、それから……と段取りを確認しながら、やっぱり行くのやめようかな、とぐずぐずしている自分が情けなくて嫌いだ。
 それでも支度を終えて、いざ出かけようとしたときに家の鍵がどこにもないことに気がついた。
迷った挙句鍵はかけずに家を出る。この家に大したものがないことは自分が一番よく知っているだろ、だから大丈夫とは自分に言い聞かせた。
 は時間通りに指定された場所に着いた。
 晴天に恵まれ、天井がガラス張りになっている人工的なチャペルは日差しが眩しい。
 は母や親族に囲まれて、妹の結婚式に参列していた。
の実家は関東だが、相手の実家が大阪らしく、結婚後は大阪で一緒に暮らすとのことで式はこっちで挙げることにしたらしい。
 式と披露宴の間の待ち時間に、母の姉から「大変だったわね。でもちゃん美人なんだから、また次があるわ」と話しかけられた以外は直接に何か言う親戚はいなかった。
もちろん自身も自ら何か話すことはない。

「ちょっと!」

 披露宴も終わり、が式場のホテルから去ろうとすると、母がそれを引き止めた。

「……何? もう全部終わったでしょう?」
「そうだとしても、そんな風に逃げるように帰るなんてみっともないでしょう」

「ただでさえ……」と大きくため息を吐く母をは冷めた目で見下ろしていた。
このひとにとって自分はどんなに月日が経とうとも満足のいかないの恥ずかしい娘のままなのだろう。
掴まれた腕から目に見えない得体の知れない毒が廻る。
は一刻も早くここから、母から、逃れたい、と思った。なのに、肝心の身体が思うように動かない。

「謙也! ちょ、待ちやって!」
「なんやねん侑士!」
「お前なにやっとんねん。適当に受け流すとか……他にいくらでもかわしようあったやろ」
「なんやねん! お前もじいさんの味方か!」

 が驚いていると、視線を察したのか、やっと忍足がに気がついた。
 そこにタクシーが一台停まる。
忍足は半ば無理やり口論していた相手を押しのけて、タクシーに乗った。
そして、半身を乗り出して「乗るか?」とにも声をかけた。
は戸惑ったものの、「知り合いなの?」と訊く母を無視して、振り返らずタクシーに乗り込んだ。
母が追いかけてくる気配を察して、「とりえあず出してください」とは運転手に告げた。
運転手は何も言わず、ドアを閉めてタクシーを発進させた。


「スーツ似合ってますね」

 と、が声をかけると「そうか?」と忍足が力なく笑った。

「自分も綺麗な格好しとるやん。結婚式か?」
「はい。妹の。さっき一緒にいたのは……母です。変なとこ見せちゃってすみませんでした」
「ああ、ええって。こっちもやし。俺は親族の集まりやってん。たまにあんねんじいさんの気まぐれで。んで、さっき一緒におったんは従兄弟」
「へぇ。親族の集まりでホテルってすごいですね。もしかしなくても忍足さんの家ってすっごいお金持ちなんですか?」

 は何気なくそう口にしてしまったが、忍足の眉間に寄ったシワを見て、しまった、と後悔をした。
と忍足が出会ったのはつい最近だ。そのとき連絡先を交換して、何度かたわいもないやりとりをしたことがあるくらいの仲でしかない。
大して親しい間柄でもないのに、品定めするような下品な言い方をしてしまった自分をは恥じた。
慌てて「ごめんなさい」と謝る。
忍足はのその反応に逆に驚き、「あーちゃうねん、ちゃうねん。ええって、ええって」といつもの人好きする笑顔に戻った。

「ウチの一家揃って医者やねん。さっきの眼鏡の従兄弟も、弟も、ついでにオトンもじいさんもやで」
「すごいですね」
「ほんまやで。阿呆みたいな話やろ。伝統芸能かっちゅう話や」

「まーそれで」と話を続ける忍足はワックスできちっとセットされていた金髪を無造作に崩した。

「俺みたいな奴は、なんちゅうか簡単にいえば異分子やな。オトンとかオカンは昔から俺の好きにすればええ言うて好きにさせてくれてたけど、じいさんが医者以外人間ちゃうっちゅう頑固もんで。ほんでさっきも、『三十過ぎてまだちゃらんぽらんしよるんか!』って怒鳴られて、こっちもカッチーンきてそのまま放り出してきたっちゅうところやな」

「……なにやってるんやろな」と吐きながら忍足はネクタイを緩めた。俯いた忍足は叱られたあとの子どものようでは見ていられなかった。
「難しいですね、家族って」とが呟くと、「そやな」と忍足がしみじみと応える。
 タクシーは梅田駅に着ついていた。

「家まで送ってかんでええんか?」
「大丈夫です。あ、はい、これお金」
「ええって」
「そういうわけには……」

 渋るに忍足は「ほな、今度はもっと楽しいことに付き合うてや」と提案をして、自分はそのままタクシーで去っていった。
「すぐ連絡するわ」は有言実行され、が家に着く頃には忍足からのメッセージが届いていた。
鞄を漁り鍵を探しながら、〈今度の土曜暇か?〉の誘いに〈大丈夫です〉とはすぐに返信した。
そういえば鍵はなかったんだと思い出し、〈ほな決まりやな! 大阪案内したるわ!〉という元気なメッセージに、〈楽しみにしています〉と打ちながら、鍵のかかっていない部屋に入った。
 きっと普段の自分だったらこんなにすんなりと誘いには乗らなかっただろうな、とを思う。
 自分からは絶対に明かさなかったであろう秘密をすでに半分知られているような状態が逆ににとっては気楽だったのかもしれない。
それに今日の出来事で、忍足に対して少なからずシンパシーを感じたのも確かだ。
 引き出物やらの荷物を降ろして、は床に直接置かれているマットレスに座り込んだ。
嫌なことを思い出しかけたところで、〈“忍足サン”やなくて“謙也”でええで!〉と忍足——もとい謙也からメッセージが届く。
はフゥと一つ深呼吸をして、窓を開けて部屋の換気をするような気持ちで、謙也に返すメッセージを考えた。


◇◆◇


「よかったっスね。その人、医者の息子っスよ」

 休憩ブースでコーヒー片手に携帯を見ていたら、背後から突然声をかけられたのでは肩を飛び上がらせた。

「あ、財前くんか。財前くんは子供の頃テニスクラブで謙也さんと一緒だったんでしょ?」
「……まぁ。なんスか?」
「いや、財前くんとテニスってあんま結びつかないなぁって」
「アンタと謙也サンも俺んなかでは全然結びつきませんけどね。せいぜい本性バレへんように気いつけた方がええんちゃいます?」

 相変わらずの口のきき方にはべぇっと舌を出した。財前はそんな子供じみたの行動には取り合わず、自動販売機で炭酸飲料水を買っていた。

「あ、ねぇ! 忘れるところだった! 鍵!」

「財前くんが持ってるんだよね?」とが訊くと「……まぁ」と途端に機嫌が悪くなった。
なんだかよくわからないが、「返してね」とが手を差し出すと、しぶしぶっといった体でそこに鍵が一つ置かれる。

「なんかすごく怒ってる? 迷惑かけてごめんね?」
「別に。ただその年で意識飛ばすほど酔うやなんてほんまドン引きっスわ」

 四つも年下の男の子にそう言われれば平謝りするしかない。むしろ何故鍵を持って帰ったのか多少文句を言ってもいい立場にも思えたが、下手に刺激しても後々厄介になることはわかるので踏みとどまった。
結局、三百円越えのコンビニスイーツを三個つ奢らされる羽目になったので、金輪際財前の前で泥酔するのはやめようとは自分に固く誓った。


「先輩、これ見てもらえますか?」

 財前から返してもらった鍵を鞄にしまっていると、となりのデスクの塚本が声をかけてきた。
 塚本にはすでに「もう協力はできない」としっかりと伝えていた。どうせうまく橋渡しができないことは証明されていたし、なによりはこれ以上友人である財前に嫌な思いをさせたくなかったからだ。
 荒はあるがもう少し詰めれば問題はないだろう。「このまま進めて大丈夫だよ」とはデザインラフを塚本に返した。
 塚本はが協力できないと伝えてからも変わらず感じのよい後輩のままだった。

「そうだ。今日、飲み会があるんですけど、先輩も一緒に行きませんか?」
「え?」
「今、同期が新人研修の付き添いでこっちに来てて、せっかくだからみんなで飲もうって話てて」
「うん?」
「財前さんも誘ったら来てくれるって言ってくれたんです!」
「え、ほんと!?」

「協力とかなしで、一緒にいてくれるだけでいいんで、お願いできませんか?」とお願いされると断りづらい。
「……じゃあわかった。顔出すね」とはそれくらいならと請負うことにした。
 しかし、財前がこういう飲み会に顔を出すと言ったということがにわかに信じられず、は首を捻る。
歓送迎会のようなオフィシャルな飲み会ですらほとんど普段は顔を出さない財前は親しい決まった人間としかそういう約束をしない。
この間は外野がゾロゾロいた手前あんな態度だったが、塚本のこと自体を嫌ってのことではないかもしれない。
そうだとすれば、俄然自分の重荷も減る。に希望が見えたところで——

「財前なら、風邪気味や言うて帰ったで」

 居酒屋の入口で鉢合わせた白石の言葉でその期待は見事に打ち砕かれた。

「やっぱり」
「ん?」
「あ、いえ、なんでもないです。てゆーか、なんで白石さんがいるんですか?」
「後輩に呼ばれてん」

 すでに座敷についていた女の子たちが白石を見つけて一斉に立ちがって黄色い声で出迎えをした。
そういうことか、とは悟る。
はササッと白石から離れて塚本のとなりに席をとった。
「財前くん、来ないみたいだね」と耳打ちすると塚本は「せっかく先輩にも来てもらったのですみません」としょげていた。
 チェーン店の居酒屋の座敷。ざっと見まわす限りほとんどが塚本と同期かそれ前後の若者たちだ。
はこの場で浮かないように適度に飲んだのち、頃合いを見て退散しようと思う。
しかし——

「飲んで飲んで飲んで、飲んでー! ハイ! 先輩いい飲みっぷり!」

 気がつけばかなりの量の酒を飲まされていた。
酒がほとんど飲めないという塚本のかわりに注がれた酒を全部が飲んでいたからだ。
目の前に座った本社の人事という男たちは明らかに塚本を酔わせようとしていてタチが悪い。
なんとか二時間、塚本を守りきったが、も限界だった。
こんなに楽しくないお酒は久しぶりだ。

「ねぇ、てゆーか、梢大丈夫?」

 帰り際、手洗いに立ち寄ると、話し声が個室の外から聞こえてくる。塚本とその同僚たちだ。
「でもさ、ウケるよね。梢の先輩」と自分の話をされてることに気づいてはそのまま個室に籠らざるをえなくなった。

「お前じゃねぇよっていうね」
「そうそう。男たちみんな梢のこと酔わそうとしてんのに、何自分が飲んじゃってるのって感じ」
「梢、いじめられたりとかしてない?」

 甲高い笑い声が完全の聞こえなくなるのを待っては個室から出た。
手を洗って口紅を直して……。何をやっているんだろう、とはため息を吐く。
せめても救いは塚本本人が悪口に便乗していなかったことだけだ。
 二軒目に行くという若者たちから予定通りそっと離れ、はひとり駅へと向かって通りを歩いた。
幾分か行ったところで、ふいに後ろから腕を掴まれて、驚いて振り返るとそこにはここまで走って追いかけてきたであろう白石がいた。

「大丈夫か?」
「え? なにがですか?」
「いや、結構飲んどったみたいやから」
「ああ、大丈夫——」

 と、応えようとした瞬間は吐き気がこみ上げて口元を押さえた。立って歩いたことで酔いが急激に回ったらしい。
「大丈夫か?」と尋ねる白石に首を横に振るので精一杯だ。
白石に抱きかかえられ道路の端まで連れていかれたが、どうしても道端で吐きたくなくては首を横に振り続けた。
しばらくして、埒があかないと悟ったのか、白石はそのままの肩を抱えて別の場所へ移動させた。
連れ込まれた場所の雰囲気ではどこに連れ込まれたか途中で気づいたがそんなことを気にしている余裕はなく、部屋に入った途端、白石を突き飛ばすようにしてトイレへ駆け込んだ。
嘔吐している間トイレのレバーを何度も捻る。背後でトイレのドアが開く気配がしたので、「開けないで!」と叫んでまた吐いた。
 幸い胃の中身を丸ごと吐き出すとかなり楽にはなった。
洗面台で口を濯ぎついでに、ガラス張りの大きな風呂をちらりと見て本日何度目になるかわからないため息を吐く。
 部屋に戻るとショッキングピンクの大きなソファに一人座る白石の後頭部が見えた。

「すみません。ありがとうございました」
「もう大丈夫なんか?」
「……ハイ。おかげさまでスッキリしました」

「そうか」と振り向いた白石は一瞬ここがどこだか忘れてしまえるほどいつもどおりの健全な笑みを浮かべていた。
道端で吐きたくなかったのためにたまたま一番近くにあった手頃な場所に駆け込んでくれたのであろう。
 キラキラと艶めくサテンの生地が安っぽいベッドに腰を下ろしながらは身体の力を抜いて目を閉じた。
吐ききったことで身体の調子は回復したが、メンタルがごっそり削られていた。
ぐずっと鼻をすするとまるで泣いているみたいだ。
 白石がソファから立ち上がった気配がして、はそっと薄目を開けた。

「ほな、俺はもう行くな」

 そのときのには目の前を横切る白石の姿がスローモーションで見えた。
 喉が渇いて水に手を伸ばすように、の手が自然と白石に伸びる。
 も自分が何故そんなことをしているのかわからなかった。は白石がベッドの上に置いてある受話器を持ち上げてフロントに連絡が繋がる前に、それを抜き取って再び元の位置に戻し、そして、そのまま白石の手を引いて「帰っちゃうんですか?」と滑らかに誘いの言葉を口にしていた。
 女が欲情するとき、それは大抵淋しいときだ。
 白石は誘いのままにの身体を後ろのベッドに優しく押し倒した。
「自分は大切にしなきゃあかんで」と説教でもされるかと思ったがさすがにそこまでの堅物ではないらしい。
 白石のスーッと通った鼻筋がの首元に触れた。

「なぁ、これなんの匂いなん?」
「え、なにか臭いますか?」
「いや、ちゃうくて。ええ匂いやから。ずっと気になっててん」

 ずっと、とはいつからのことを指しているんだろう。しかし、そんなこと考える間も与えないとばかりに愛撫はどんどん激しくなった。
早々に暴かれて触れ合う肌が熱い。見た目ではわからないが、実は白石も相当酔っているのかもしれない、と今になっては気づく。
 どういうわけか白石はの身体の構造をよく知っていた。いや、違う。女の身体の構造をよく知っていた。それなら説明がつく。
「ここやろ?」と言われたところは確かにここ、、だったし、「ほな、これはどうや?」と試されたところは自身すらまだ知らなかった深い快楽へと繋がっている場所だった。
そんな行為が明け方近くまで続き、「もうムリ」というの再三の願いが聞き入れられる頃には二人とも汗だくだった。
 こんなことになるなんて思ってもみなかった。
自分がこんなにも淫らになれることをはじめて知ったは、それが少しだけ怖くなる。
白石によって作り変えられた自分の新しい身体とこの先どうやって折り合いをつけて生きていけばいいのか悩ましい。
最後までキスだけはしてくれなかったことなんてきっと些細な問題でしかない。