「白石蔵ノ介です。千歳とは中学の同級生で……あっ」
目の前で正座していたイケメンが慌てて自分のかばんを探り、写真付きの学生証を名刺のように提示してくれた。これが彼が今できる最大限の怪しくないですよというパフォーマンスなのだろう。彼の真面目さが垣間見れて好印象。彼はK大学の薬学部生だった。
「えっと、わたしはです。千里とは大学の同級生で……」
わたしも彼の誠実さに応えるため、自分の学生証を提示した。高校卒業直後に撮った照明写真は今より少しふっくらとしていて恥ずかしいがしかたない。差し出した学生証をなぜか千里がひょいっと奪い、「むぞらしか」と笑って、わたしに返した。いや、あなたに見せるために出したんじゃないんですが?
白石くんが「ほんまごめん邪魔するつもりはなかってん!」とわたしに謝り、「ちゅーか千歳! 俺はちゃんと事前に連絡いれたで」と千里に怒った。でも、しょうがない。彼のスマホはいまや日本にあるかもわからないと説明すれば、白石くんは「またか」と肩を落とした。
ちょうどそのタイミングでくぐもったスマホのバイブレーションが部屋に小さな音で響く。
わたしと白石くんが慌てて自分のスマホを確認するもお互い自分のものではなく首を傾げた。
え? と思いみんなで耳をすます。どうやら音の発信源は押し入れからだ。襖を開ければ、使い古されてところどころ布が擦り切れかかっているバッグパックがごろんと転がり出る。底がガムテープのようなもので補強されているあたりかばんとしてはギリギリの品物だった。それを千里がガサゴソ漁る。中身をすべてひっくり返すと、自身の存在をこれでもかと主張するように震えるスマホが現れた。「あったばい」と喜ぶ千里を見て、わたしと白石くんははぁ、っと特大のため息をついた。
「もしもし──」
「もしもしっじゃねえ! 千歳、おまえ今どこいんだよ!」
千里が通話に出たとたんスピーカーフォンでもないのに相手の大きな声がわたしにも白石くんにも届く。
「家ばい。どぎゃんしたと?」
そのあとの会話はさすがに聞き取れなかったが、受け答えをする千里を見るにどうも同級生に呼び出されているようだった。
通話を終えた千里に「大丈夫?」と聞く。たぶん絶対大丈夫じゃないやつ。
「午後の授業グループ課題だったばってん、プレゼンの練習あったん忘れとってはらかかれたったい」
お湯を沸かしてのんびりコーヒーを淹れようとしている千里を「早よ行け!」「早く行きなよ!」と叱る白石くんとわたしの声が重なった。
バタバタと支度をして三人で千里の部屋を出る。
「は学校行かんと?」
「行きません。授業ないし、用事もないもん。ほら、みんな待ってるんだから早く行かなきゃ」
気が進まないらしい彼がわたしを道連れにしようとしているが、わたしがついていったところでなにも解決しないのでお断りだ。正直千里と同じグループになっている子たちには同情する。まだ粘ろうとする千里の大きな背中を押して「じゃあね!」とわたしは千里を見送った。
「ちゃんは帰りは電車なん?」
「あ、うん」
白石くんが「ほな、こっちやな」と学校とは反対の駅の方へ向かって歩き出した。本当はここからだといったん学校に行ってバスに乗った方が楽なのだが、流れで白石くんの横に並んで駅まで歩くことになる。
「ちゃんも大変やな。千歳とはいつからなん?」
「あ、昨日がはじめてで」
ん? この受け答えなんか変だな? ハッとして横をみればイケメンがまたわかりやすく顔を真っ赤にしていた。その熱がわたしにも伝染する。
「違う! ほんとは三回目で! いや、これもなんか違うな……えっと、泊まったのが三回目で……」
だめだ。これではさらに墓穴だ。どう軌道修正すればいいか混乱していると、白石くんが空気を読んで「仲ええんやな」と笑ってこの話を終わらせてくれた。顔に似合わず男女の仲には初心だが、細やかな気遣いが自然にできるタイプのようだ。千里とはまったくと言っていいほどタイプが違うが、彼は彼で間違いなくモテるのだろう。このアイドル顔負けの顔面なら誰もがたどりつく感想だろうけど。それにしても整った顔立ちだ。隣に並ぶことすら気が引ける。
「白石くんは……あっ」
「ん?」
「いや、えっと……千里と同じ中学ってことは、わたし年下かもって。今更だけど。ごめんなさい、流れで普通にタメ口で話してた」
白石くんが「ええよ、そんなん気にせんで」と笑ってくれたので、そのお言葉に甘える。うちの学校は二浪くらいまでならザラにいて、同学年だと普通に敬語なんて使わない文化だけど、それが他でもあたりまえに通じるわけじゃない。就活前に直さなきゃと肝に銘じつつ、なんとなく気になっていたことを白石くんに尋ねる。
「白石くんは千里と同じ中学校なんだよね? 白石くんも熊本出身?」
それにしてはコテコテの関西弁だ。
「あーちゃうちゃう。あいつ出身は熊本やけど、中学の途中から大阪やねん」
「へー……そうなんだったんだ」
「俺は高校も同じで、もう付き合い的には長なるな。ああ、でも、そういえばクラスはいっぺんも同じになったことないわ」
「え、じゃあなんで仲良くなったの?」
「部活が同じやってん」
「え? 部活??」
わたしの驚きようが面白かったようで、「ちゃん素直やなあ」と白石くんが笑った。だって『部活』って。
「千里が真面目に部活してるとこなんか全然想像つかない……」
「まぁ、真面目とは言い難いかもしれへんけどな」
「やっぱり。え、でも、え? 何部?」
白石くんが「テニス部」と答えて、わたしはそれにさらに衝撃を受けた。テニス部。爽やかの極みみたいな白石くんはすごくよく似合うけど、正直千里は……。たしかに身体は無駄な贅肉もなく引き締まっていたけど……っと昨夜のことがよみがえり、顔が赤くなるまえに咳払いで誤魔化した。
「俺が部長やったから世話役みたいになっててん。あいつ、しょっちゅう消えるから探すの苦労したわ」
「中学校からずっと仲良いってすごいね」
「……まぁあもう腐れ縁ちゅう感じやな。あいつ無駄に独り暮らし長いくせに全然生活力あらへんやろ? ほっとくとカップラーメンばっかりやからときどきこうやって抜き打ち検査しに来てんねん」
先に彼が乗る電車がホームに到着してそれ見送ると無意識にふぅと息が漏れた。実を言うと昨夜から怒涛の展開に脳みそがパンク寸前だった。ちょっと整理したい。順を追って、と昨日のできことを順に思い出していくと、すぐさま「きゃあ!」と叫び出して暴れまわりたくなるほど気持ちが昂る。
千里はひとの眼をじっと見つめる癖があった。目が合うとにこっと笑ってキスしてくる。何度も。何度も。確かな愛の言葉こそなかったが、充分に愛の伝わってくる行為だと思った。幸せだった。
でも、今日、白石くんに会って、改めて思ったのは、わたしは千里のことをまだほとんどなんにも知らないんだな、ということだ。パンフレットに載せてあるような断片的な当たり障りのないプロフィールくらいしか彼の過去をわたしは知らない。熊本出身という話も直接聞いたわけではないし、大阪に住んでいたこともさっきまで知らなかった。だからなんだと言われたらそれまでだけど、見つめあって身体を許し合ったことで縮められたと思っていた距離がまた一気に遠のいていくような虚しさを感じた。
今すぐ千里にまた会いたくなって、一瞬引き返して学校へ行こうかと迷ったけどやめた。せめて明日にしよう。というか、わたしも新学期の課題に手をつけなければ。未練を断ち切って平日で空いてる真昼間の電車に乗り込んだ。
せめて明日にしよう。そう気楽に思ってた。
でも、会えなかった。そして、その次の日も。その次の次の日も。