「はぁ〜〜〜っ」

 と、うっかり口から魂が出そうになる。

 温泉最高〜! 日本酒最高〜! 日本に生まれてよかった〜! そんなことをしみじみ思いながら、わたしは草津の温泉で羽を伸ばしていた。

 一月に後期の課題の提出が終わり、そのまま科が主催する有志展の準備に追われて、やっとそれらすべてが終わったのが三月。美大は受験期間が長いため、それに合わせて春休みも長い。展示自体は三月の第三周目の日曜日に無事終わり、じゃあ新学期までの間に旅行へ行こう! となったのはその展示の打ち上げの飲み屋で誰かが言い出したからだ。もう三年後期となれば気心も知れた仲間同士。よし行こう行こう! とすんなりと予定が決まっていった。男子三人女子五人。もともと美大は女子率が高いから、おかしな比率ではない。二十歳そこらの男女が入り混じっての旅行と聞くと、世間一般からは少し白い目で見られそうではあるが、そこに色恋はまったくなかった。仲がいい、よくしゃべっている、一緒に帰っている、高校生までそんな些細なことでも噂を立てられたものだが、ここではそんなことはまずない。なんでだろう? と首を傾げたが、いい意味で他人に興味のない人間が多いんだな、という結論にいたる。

 温泉でほかほかになった体を旅館備え付けの浴衣で包み、他の子が風呂から上がってくるまで売店で暇を潰した。

 千里になにを買っていこうか。やっぱりお酒かな。いや、でも一升瓶を持ち帰るのは重いぞ。なんて思いながら、店内を歩いていると、思いっきりひととぶつかってしまった。慌てて謝ると、一緒に来ている仲間内の男子だった。

「なに、まだ呑みたりないわけ?」
「いや、違うって。お土産」

「あー……工芸の?」と言われてよくご存じでと返した。いつのまにかわたしが千里と付き合っていることは周知の事実になっていた。別にいいけど。

 こっちなら持ち帰りやすいかな、とミニボトルが並んだ冷蔵コーナーに移動する。透明な扉の前にいかにも観光地らしいソフトクリームのポスターが貼ってあるのが目について「あー、美味しそう」と独り言が漏れた。お土産用のお酒のミニボトルと選んで、お会計に持っていくと、「ソフトクリーム二つ」と横から声が入った。

「え、食べるの?」
「え、食べねぇの?」

 食べようぜ、と誘われてソフトクリームを二人で食べた。そのとき盛大なくしゃみをしてしまい、漫画みたいにソフトクリームに顔を突っ込んでしまったまさにその瞬間の写真を千里が今見ていた。「たいぎゃむぞらしか」と大いに笑ってくれたので、ある意味清々しい。

 温泉から帰ってきて、お土産を渡したいという口実のもと、久しぶりに千里の部屋に来ていた。旅のお土産話を補足するような形でみんなが撮った写真を千里に見せていたが、先に厳選しておくべきだったかもと後悔。千里には見せられないひどい変顔の写真があったかもと急に心配になり、それとなく彼の手から自分のスマホを返してもらう。

「楽しか旅行みたいでよかったばい。ばってん、こん写真撮ったんな誰?」
「ん? 一緒に行ってた友達だよ?」

 わたしの手元にあったスマホを千里がスルッと抜き取っていく。何枚か写真をスライドさせると、はいとまた返してくれた。え、なに?

「どうかした?」
「こん写真ほしか」

 と、さっきのソフトクリームまみれの写真を指さす。ぜーーーーったい嫌だ。

「あ、そうだ。えっと、コレもお土産」

 お酒を買ったのとは別のときに他のお土産も買っていた。ギリギリまで渡そうか迷ったけど、買ったんだから渡してしまおうと腹をくくる。

「鈴?」

 小さな紙袋を逆さにふると、組紐に小さな鈴が二つついた飾りが千里の手のひらに落ちた。濃紺と銀鼠の色合いは渋いけど、ちょっとかわいすぎるかな? 千里の好みがよくわからなくて選ぶのにとても苦労したのだ。

「ほら、千里、お財布とかスマホとかいろんなものしょっちゅう落としてなくしちゃうでしょ? だから、落としたときに音が鳴れば気がつきやすいかな? って」

 ね、と言ってチリンと鈴を鳴らした。小さな音なので実際に気づくかどうかあやしいが、まあ気持ちの問題だ。

「なくしたら一番困るものにつけて」と鈴を千里に返した。

 千里が、とん、と人差し指でわたしの首に触れる。

「やったら、ここに付けよごたる」

 欲を孕んだ瞳がわたしを誘うもんだから頬が熱くなる。もう何度も何度も交わしてきたが、わたしはまだ千里のスイッチがどこにあるかときどきわからない。

 猫みたいに体を持ち上げられて体の上に乗せられた。鈴を付けたいと言われた首に千里の唇が押し当てられる。手はいつの間にか腰に添えられていた。

「んんっ」
「今日もむぞらしか声ったい」
「ねぇ……だめっ、絶対今となりにひといる」

 千里は角部屋で、となりは一つしかない。その一つはどうやら夜勤で働くおじさんらしい。

 だから夜泊まるときは、少し物音に気を付けるくらいでなんとかなるが、今日みたいに真っ昼間はそうもいかない。現に薄い壁の向こうからはテレビの音が漏れ聞こえてきているではないか。そっちからの音が聞こえるなら、こっちからの音も同じように聞こえてしまうはずだ。

 せめて、夜になってから、と拒むと千里が珍しく渋い顔をする。そんなにしたかったのか。まぁ久しぶりだしね。わたしも同じ気持ちではあるが、やっぱりおとなりのしかもおじさんに行為を勘付かれるのは嫌だった。

「しょんなか」

 千里はやっと諦めてくれて、わたしを自分の腹からどかして立ち上がった。そして、玄関で下駄を履きはじめる。え?

 わたしが唖然としていると、にっこり笑って、わたしを手招きで呼び寄せた。

 最寄り駅からJRで移動して、新横浜で新幹線に乗った。その間わたしは「え? え?」の連続である。

 着いたのは温泉地熱海からもう少し南にくだった半島の先。なかなか趣のある旅館だった。

「あ、ねぇ、とても今更なんだけど、ここおいくら?」

 ここまでの旅費も千里がまとめて切符を買ってくれていたので、まだ未清算。もろもろを合わせると財布の中身で足りるかあやしかった。

 わたしはいわゆる貧乏学生という括りには入らないとは思うが、それでも有り余っているわけでは決していない。しかもここしばらく多忙でバイトもあまり入れず、みんなと旅行にも行ってしまっていた。来月からは卒業制作展の集金がはじまるし、就職活動も本格化するからなにかと入り用だ。余裕はほとんどない。

「金はよか。俺が来たくて来ただけったい」
「でも……。ねぇ、ずっと聞きたかったんだけど、千里ってバイトとかしてるの?」

 わりとずっと気になっていたことをやっと口にできた。千里はわたしと出会う前から長期で海外に行くことも多かったし、いまでも前ほど長い期間ではないがちょこちょこどこかへ行っている。その軍資金がどこから湧いてくるのか常々不思議だったのだ。行き先のほとんどがヨーロッパやアメリカみたいな人気の高い観光スポットではないにしても旅費も含めて数日滞在したら、まぁまぁの金額になると思う。それを一体どうやって工面しているのか。ずっと怖くて聞けなかったことだ。実は実家が裕福で……、いやそれもなんか嫌だな。

「バイトは性に合わなかね」

 だよね、と納得。大学生ができるバイトなんて自分の時間をお金に変えるようなバイトが多い。時間にルーズかつ、縛られることが嫌いな千里にはまず無理だ。 じゃあ、いったいどうやって? そんな視線を千里に向けると、千里はハハハッと軽やかに笑った。

「え、なに、悪いこととかしてないよね?」
「法は犯しとらん」
「こわいこわい。なに?」
「あー……俺は運が良かけん、わりとどうとでもなるたい」

 運、というキーワードでなんとなく察しがついた。つまり……

「……ギャンブル」
「そん言い方もあるったいね。ばってん、なかなか面白かよ? 馬は走る姿もきれかし、食ってもうまか」

 安心していいんだが、心配した方がいいんだか、微妙なラインだ。

「楽しくなか?」

 千里がちょっと困ったように首を傾げながらわたしを見た。はぁ、とため息が出る。その顔、わたし弱いんだよ。知っててやってない?

 それにもうここまで来てしまっていて、楽しまないのももったいない気がした。なんてもっともらしい理由を自分のために用意してから、「一緒に旅行うれしい!」と千里に抱きついた。

 ほどほどで湯から上がった。もともとのぼせやすい体質で肌が赤くなりやすいから、前回のみんなとの旅行同様入浴時間は短めにした。ただ、このあと千里と顔を合わせると思うと、ケアには自然と時間がかかってしまった。バッグに入れていたいつものお泊まりセットで肌を潤し、髪の毛には丁寧にブローを施す。正直、もう何度も夜をともにして、素顔なんて見慣れているかもしれないが、それでもいつも恋人の前ではかわいくありたいと思うのが女心だ。

 浴衣に着崩れはないか姿見で確認してから、女湯の暖簾をくぐって外に出た。千里のことだきっとそこらへんをふらふら散歩しているだろう。そう思っていたから、女湯のまえに置いてあるソファーに同じく浴衣を着流した千里が座っていたから驚いた。

「ごめん、ここで待ってると思わなくて」
「良かよ」

 慌てて駆け寄ると、千里が立ち上がる。

 白地に紺の縞模様の浴衣は、千里の浅黒い肌をより一層引き締めて見せ、とてもよく似合っていたが、いかんせん寸足らずだった。露わになっている筋張った腕も足も寒そうで、こんなところで待たせてしまったことがもうしわけなくなる。

「そこらへん散歩ばしよ思うたばってん寒かね。部屋戻るばい」

 そんまえに、と千里が売店の前で立ち止まった。そこにはなんだか見覚えのあるポスターが。嫌な予感。

「おばちゃん、ひとつ」と千里が注文して、案の定それはわたしに手渡された。珍しく、いやはじめて千里がスマホをわたしに向けている。じとーーっとわたしが睨んでも千里は全然気にしない。こうなったら絶対くしゃみなんかしてなるものか、と固く誓ってからソフトクリームにかぶりついた。

 旅館館内はほどよく暖かく、ソフトクリームはみるみるうち溶けていった。ソフトクリーム片手に自分たちの部屋まで歩き出したが、部屋に着くまえにだいぶ溶けてしまった。なんとか上の渦巻き状の部分は食べ終きったが、コーンの中にはまだ半溶けの状態のものが残っていた。それもなんとか頬張ろうとすると、ペキャッとコーンが割れて底からどろっとした液体がこぼれた。慌てるわたしを笑いながら、千里が部屋の戸を開ける。

 溶けた冷たい液体が腕を伝った。片手にコーンを包んでいた紙ごみ、もう片手にスプーン。そんな状態で浴衣のそでにシミがつかないように必死に腕を上げていると、パシャッと音がした。

「なんで撮るの! 撮るんじゃなくて助けて!」

「むぞらしか」って千里はいつもそれだ。もう、と怒ると、「は怒ってもむぞらしか」と笑う。それからわたしの手首を掴んだ。もともと上がっていた腕をぐいっとさらに引き上げて肘近くまで伝っていた溶け残りをザラっとした舌で舐め上げる。ひゃっと変な声が出て、慌てて口を閉じると、千里が「となりに客はいなか」とわたしの耳元で囁いた。

「んふっ! ……っんん!」

 自分も本当はソフトクリームを食べたかったんじゃないかと疑うほど、千里はまだ甘い味が残っているだろうわたしの咥内を執拗に舌で掻き乱した。

 くちゅっぐちゅうっと淫らな水音が羞恥心を煽る。激しいのに優しくて、すぐにぽーっとなってしまった。

「色っぽかね」と千里がわたしの首から胸元にかけてつーっと指先を滑らせた。いつのまにかわたしの浴衣は大きくはだけていて下着のレースが顔を出していた。

「恥ずかしっ……んっ」

 部屋に戻ると二組の敷布団が襖の向こうにすでに敷かれた状態になっていて、すぐにそこに雪崩込んだ。

 千里はわたしを自分の上に乗せて、キスを再開する。千里の大きな手のひらがわたしの首の後ろを支えて固定した。千里の柔らかくて熱い舌がわたしの唇を舐めてその先を誘う。おずおずと口を開けば、舌先を優しく吸われるようなキスをされた。そこからまたどんどん激しくなっていく。飲み下しきれなかったどちらのともわからない唾液が唇の端を伝ってこぼれ落ちた。

 だいぶほぐれてそろそろ……と思ったのに、ちゅっちゅっちゅっとまた啄むようなキスに戻った。キスの合間にわたしの反応を確かめるように千里がわたしの眼を見つめながらニヤニヤと意地悪く笑っている。わたしの気持ちなんかお見通しだといわんばかりなのに、焦ったいキスしかしてくれない。

「どぎゃんしたと?」
「い、意地悪しないで……」
「意地悪なんかしとらんばい。そんともはもっとほかにしてほしかこつあると?」

 千里のもうひとつの手のひらがわたしの太ももをつたい、布越しの尻をなで腰にまわった。

 それだけでわたしはびくっと体をしならせてしまった。恥ずかしくて恥ずかしくてこんなはしたない姿好きな人には一番見られたくないのに、見られていると思うと体の奥から熱が込み上げて溢れた液体が下着を汚していく。なにをしてほしいか。耳を舐めて、首に噛みついて、乳首を摘んで、クリトリスを擦ってほしい。でも、たぶん、一番してほしいことは──

「『好き』って言って?」

 千里の眼が静かに驚く。でも、すぐにそれは緩んだ微笑みに変わり、ちゅーっと音が鳴るようなキスをたっぷりされてから、「愛しとるとよ」と囁かれた。

 うれしくて、恥ずかしくて、顔がにやける。千里も同じ気持ちなのか、目が合うとふたりで声も出さずに笑い合った。

には敵わんばい」

 後ろに押し倒されて、耳を舐められた。かと思ったら、すぐ首に移り、手のひらは乳房に添えられる。チリッとした痛みが走っても最初はなにをされたのかわからなかった。チリッ、チリッと肌の表面に焼きごてを当てたように痛みが数回走る。キスマークをつけられてると理解できたのは、もう浴衣ではけして隠せない場所に何個も花を咲かせられた後だった。

「え、な、え? なに? なんで?」

 そんなことはじめてで普通に驚く。

「俺んもんっていう印」

 困るからやめてと言うべきなのに、うそはつけなかった。やめてほしくない。もっともっとわたしを独占してほしい。

 チリッとまた痛みが走る。今度は左胸だった。「痛か?」と聞かれたが、首を横に振った。

「もっと、して?」

 今日のわたしは大胆だ。

 またキスされて、うっとりしているうちに薄膜に包まれた固い物がわたしの中に突き挿れられた。

 千里には珍しく早急な動きだ。いつもなら挿れてから自分の形を覚え込ませるようにじわじわと時間をかけるのに、今夜は挿れてからすぐに動き始めた。わたしの片脚をあげより深く刺さるようにして、胸を大きな手のひらでわし掴む。はっ……、はっ……、という千里の濡れた吐息を漏らすのを見ながら、わたしも応えるように一生懸命腰を動かした。もっと、もっと、もっと、もっと……。痛みも快楽も、ぜんぶごちゃ混ぜになって、最後は白く弾け飛んだ。

「あのね」

 と暗闇に投げかけた。

 浴衣なんかとうに意味をなさなくなっていたので、お互い素肌のまま掛け布団をかけていた。せっかく二組布団がしかれているというのに、一組は敷かれたまま綺麗な状態なので、朝中居さんが片付けに来る前に適度に乱しておかねばなんて情けないことが浮かぶ。

「卒業したら、一緒に住まない?」

 ん? と千里が甘い声を出しながら、わたしを抱きしめた。素肌が擦れて心地いい。

「これから就活でキツくなると思うから、頑張るためにもご褒美 (にんじん)がほしくて……」

「一緒に住まんね?」と言われたときは本当に急で驚いて困ってしまったが、嬉しくなかったわけじゃない。一緒に住めたら。わたしもそう思う。もっとずっと一緒にいたい。そんな気持ちがだんだん強くなり、変わらないものになった。

 どうかな? という気持ちをこめて千里の表情をうかがう。いつもどおりにこにこっと微笑んでいた。

はどぎゃんとこに住みたか?」
「えっと……、駅前に遅くまでやってるスーパーとドラックストアがあって、あ、本屋もあるとうれしいな。それから、パン屋さんも! 休みの日の朝とか、ちょっと贅沢して焼きたてのおいしいパンで朝ごはんできたら幸せでしょ! あとね……」

 延々と理想を語ったあと、「千里は?」と隣を見た。千里がわたしの頭を優しく撫でてくれる。

がいたらどこでもよか」

 おやすみのキスはまだほんの少しソフトクリームの香りがした。