「キミの作品からはこだわりが見えてこないんだよね。キミじゃなきゃっていう強みはある?」
答えられなかった。
筆記や一次面接はクリアできても、実技で落とされる日々が続き、疲弊が貯まる。
自分に特別輝く才能がないのはわかっていたから、他でカバーしようと努力を重ねてきたつもりだったが、そんな姑息なメッキはすぐに見破られ剥がされる。
毎日毎日少しずつ体が重くなっていくような気がした。でも実際の体重は減っていく一方。しかたなく、何か食べようとするけど夏バテと相まってあまり喉を通らなかった。だめだ。だめだ。こんなんじゃだめだ。気持ちばかりが空回りする。
そして、今日もまた面接だった。リクルートスーツに合わせて買ったローヒールのパンプスが足に合わなくて痛い。でも、ストッキングを脱いで絆創膏を貼る余裕はなかった。面接会場は目の前だ。信号が青に変わる。歩き出した拍子にパンプスが脱げた。よろけて手を着いたアスファルトが火傷しそうなほど熱い。その熱さに驚いて、すぐに立ちあがろうとしたけど、体に力が入らなかった。ずるずるとへたり込み、横断歩道の脇にしゃがみ込む。こんなところ面接相手の社員に見られたら、そんなことを思うと今度は体の芯が冷えてくる。悪寒が止まらない。自分ではどうしようもできなくて、でも助けも呼べなくて、一体何分そうしていたのだろう。誰か助けて。握っていたスマホが地面に落ちた。もう立ち上がれなかった。
気がついたときにはもうすべて終わっていた。腕には点滴の針が刺さっている。どうやらわたしは病院に運ばれたらしい。時間はあれから三時間以上経過していた。もちろん面接にはもう間に合わない。
病院から実家に連絡が行き、母が病院まで迎えにきていた。
「栄養失調って……あんたなにしてるのっ!」と怒られて泣かれる。それだけで、立派な親不孝娘の出来上がりだ。
母が運転する軽自動車に乗せられて、就職は地元でいいんじゃない? 役所の仕事なら少しくらいお父さんのツテを頼れるだろうし、にはそういうきっちりとした仕事が向いていると思うな、という呪いのような言葉を聞きながら、「お願い、寮に戻りたい」と何度も懇願した。
明日は学校で卒業制作前期発表会がある。まだ準備が終わっていなかった。
実家に連れて帰るのをしぶしぶ諦めた母は、今夜私の部屋に泊まるという。寮の受付で事情を説明すると、母の宿泊はあっさり許可が出た。
わかってる。母が娘のわたしのことを本気で心配して思ってくれていることを。でも、今はわずらわしくてしょうがない。
美大受験のときも、そんなに無理しなくていいんじゃない? と言いながら、浪人は許してくれなかった。なら、今年受かるしかないと必死になるのは当たり前だ。
仕事だって決まらなくてもたぶん怒られたりはしない。ただ、地元に強制送還が決まるだけ。
それは絶対に嫌だった。
嫌だと拒絶するのは贅沢だとわかっているから罪悪感がすごい。でも、嫌なものは嫌だ。わたしは、ただ生まれ育った場所というだけのところより、わたしがわたしのために好きで選んだ場所にいたかった。
千里にはご褒美が欲しいといって卒業後の約束をしたが、あれは半分絵空事だった。自分を焚き付ける燃料は多い方がいい。そういう話。だから、もし仮に一緒に住めなかったとしても、就職ができればどちらでもよかった。ただ、一緒にいたいのはうそじゃない。
千里と最後に一緒に過ごしたのはいつだっけ? 予定を書き込んだカレンダーを見ながら記憶と照らし合わせないとわからなかった。でも、こういうことはわたしたちの中では前々からよくあったことだ。
課題が忙しい、有志活動が忙しい、就職が忙しい。千里も千里で変わらずふらっと気まぐれにどこかへ出かけることも多い。でも、よくよく思い返せば、わたしが自分の都合を押し付けてしまってることの方が多い気がするのはたぶん気のせいじゃない。わたしは切り替えが下手で、何かに没頭するのに時間がかかるくせに、一度没頭するとそこからなかなか抜け出せなかった。
「俺のこと本当に好き?」なんてセリフ染みた言葉でフラれたのは大学一年生のとき。はじめて出された実技課題をようやく提出し、晴々しい気持ちで当時付き合っていた彼氏に久しぶりに電話をしたら、そう突き放されたことが蘇る。
好きじゃないから思い出さなかったわけではないけど、好きだったら思い出すものだろうと詰められたら、何も言い返せなかった。
わたしはそこから何も学んでいないのかもしれない。
千里に連絡しようと思う。なんでもいい。おはようでも、おやすみでも。メッセージでも、電話でも。なのにいざ行動しようとすると指が止まった。
わたしは勝手だ。
なんとか卒業制作のプレゼンを乗り越え、恒例のゼミ呑みが開催される。みんな緊張が解けてハイテンションになり、お酒のピッチが早かった。焼酎番長と称される普段は物静かな女の子が「わたしの酒が呑めねぇのか!」と一升瓶を振り回している光景はなかなか面白い。でも、今夜はほどほどにして寮へ帰らなければ。母が待っている。はぁ、と重いため息をついたところでスマホが震えた。母からだろうと決めつけ、後回しにしようかと思ったが、面倒事は持ち越したくない。返信を打つために画面を確認すると、猫の写真のアイコンが眼に飛び込んでくる。画面を開く前に、居酒屋の個室を出て、通話ボタンを押した。
「もしもし、今大丈夫?」
「良かよ」
「あれ? 千里も今外?」
「打ち上げたい」
「どこの科も同じだね」
ちょっと話してから通話を切って、荷物を取りにいく。
「ごめん、今日はもう帰るね」とお金を置いて立ちあがろうとするといくつもの手に引き止められた。「どうせまたあの彼氏のとこだろ」、「俺たち仲間と彼氏どっちが大事なんだー」、「さびしいよぉー!」、と。焼酎番長だけじゃなくもれなく全員だいぶ酔っていた。そんなお遊びに付き合っていたら、だいぶ時間がたってしまっていた。どちらも駅の近くで飲んでいたので、わかりやすく駅の改札前で待ち合わせしていたのだが、案の定千里の方が先に到着していた。わたしに気づいた千里が目元を和らげて和やかに笑ったのが遠くからでもわかった。変わらない笑顔に胸がきゅんっと縮こまる。
少しだけ。今一瞬だけでいいから安らぎがほしい。そしたら、また頑張れるから。
自分に都合のいい言い訳をしながら、あと少しの距離を走って逢いに行った。
手を繋いで、カランコロンと下駄の音を聞きながら、いつもの坂を登って歩く。お酒買う?、おつまみ買う?、アイスは? なんて会話が楽しくてたまらなくて気がついたらもう千里のアパートの前だった。
でも、部屋に入る直前にバッグの中でスマホが震える。今度こそ母からだった。千里に断りを入れてから、家の前で通話を取る。「あんた、いつになったら帰ってくるの!」という大きな声が鼓膜に響いた。
「連絡遅くなってごめん」
「ごめんじゃないわよ! お母さんが待ってることわかってたでしょう! せめて遅くなるなら連絡しなさい!」
「うん、本当にごめん。でも、今日ずっとバタバタしてて……」
「わかったから早く帰ってきなさい! 今何時だと思ってるの!」
なんとか収められるかと思ったが電話口ではもう無理そうだった。これはたぶん帰るべきなんだろう。彼氏の家に泊まりたいなんて言い出せる雰囲気は微塵もなかった。まずは母を説得してから来るべきだった。段取りを完全に間違えた。わたしのミスだ。
「……ごめん、帰らなきゃ」
声が震えないように我慢する。
やっと逢えたのにって。さびしくて苦しくてしかたがない。
千里、って名前を呼んで抱きついて甘えたかった。
なのに千里はわたしの頭を撫でるだけで、わたしをあっさり放した。
「良かよ。しょんなか」
千里はどんなわたしでも受けとめてくれるくらい優しい。でも、その優しさには色がなくて透明で、わたしの眼には見えず体をすり抜けていく。
なんで? 千里はさびしくないの? 逢いたいって思ってたのはわたしだけ? 自分の都合を押し付けてばかりいたくせに、千里を責めるような言葉ばかりが勝手に浮かぶ。
千里の“良か”はどうでも“いい”の“良か”なんじゃない? わたしのことなんて、いやわたしのことだけじゃなくて、本当は全部どうでもよくて、だからいつもそんなにさらっとすぐに手を離すんでしょう? 千里は人にも物にも自分にも執着しない。何にも縛られないのは何かに縋らなくても確固たる自分を確立できるからだ。誰かと、何かと、比べなくたって唯一無二。その他大勢の有象無象のわたしとはわけが違う。
「……ずっと訊きたかったんだけど、千里って就活してる?」
うつむいたまま千里の顔を見ずに尋ねた。
「どうするの? 卒業したら」
応えはない。
「てゆーか、最近またあんまり学校来てないって。卒業する気、ある?」
ダメだ。どんどん言うつもりのなかった言葉が勝手に口から飛び出す。
「いいよね、千里は。自由で」
こんなこと言ったって自分が惨めになるだけなのに。
「も好きにしたら良か」
「無理だよそんなのっ!」
ぽつ、ぽつ、と音がしてあっという間に本降りの雨になる。真夏の雨は激しい。
冷たい雫が足音に落ちた。屋根はあるのに。
「千里はずっとそうやって生きていくの?」
彼に変わってほしいなんて思っていなかった。ありのままの今の千里が好き。だけど──
「千里の未来にわたしはいる?」
答えを待つのが怖くて、わたしは雨の中逃げ出した。