今年の卒業制作展は南青山にある会場になった。南青山と聞くとなんだか気取ったように思えるが、実際はどの最寄駅からもだいぶ離れているため、集客するには立地的に不利だった。ただ、まわりには同じ時期に同じような展示を開催してるギャラリーがあり、そういったところをまとめて巡るというひとをギリギリ取り込めるような場所だった。

 年末に無事に卒業制作を提出し、受理してもらった。あとはこの展示を終えて、短くも長い大学生活にピリオドを打つのみ。振り返れば本当にあっという間だった。感慨深い気持ちに浸りつつ、クローク整理をしていると受付がなにやらざわざわ騒がしい。何事? と思っていると扉が開き、友人が頬を上気させて顔を出した。ギャラリーの空調温度を少し下げたほうがいいのかもしれないと思う。

、お客さん! 信じられないほどイケメン!」

 早く早くと急かされクロークから這い出る。受付には好奇な視線にさらされてややたじろぎ気味な白石くんがいた。

 白石くんがわたしに気づき、「久しぶりやな」とはにかみながら手を上げる。

「え、びっくり。え、なんで?」
「なんでって……いや、せっかくやし、と思って。これ、順路とかあるん? どないすればええ?」
「あ。決まった順路はなくて、好きに周って。二階もあるよ」
ちゃんのはどこにあるん?」
「あそこの奥」
「おお、なんかその辺からオーラ出てる気ぃするわ」
「また適当なこと言って」

 ごゆっくり、と白石くんを受付から見送り終わると、友人たちに囲まれた。

 あれは誰? なに? どういう関係?? 新しい彼氏?? 矢継ぎ早なに浴びせかかる質問に圧倒される。みんなほんっとに好きだな恋バナ。

「えっと、白石くんは、千里の友達で……」

 あ、と漏らして事情を知っている友人たちが静かになった。でも、そこは気心の知れた友人。すぐさま「で、今の彼氏なの?」とスパッと聞いてくる。

「ちがう、ちがう。ただの友達。っていうか会うのもほんと久しぶりで、今日来ることも知らなかったし」
「えー、的には元彼の友達はなし?」
「なしかな。いや、なしって失礼だけど」
「もったいない。あんなイケメンそうそういないよ」

 世間話に夢中になっていると、白石くんが戻ってきた。どうやら見終えて帰るようだ。「じゃあ」とあいさつしてくれた白石くんに同じくじゃあと返そうとしたわたしの背中を友人たちが押す。

、昼休憩まだでしょ。それに他の科の展示も見たいって言ってたじゃん」

 だから行った行ったと半ば無理やりギャラリーから追い出される。

 白石くんはわたしと友人たちの会話を知ってか知らずか、「出るなら一緒に飯でも食わん?」とさりげなく誘ってくれた。

 骨董通りを出て西に進み、通り沿いにある建物内の地下に入る。庶民的な中華食堂。白石くんは八宝菜のランチセットで、わたしは餃子とビールを頼んだ。

「ごめん、わたしだけ。ここ結構みんなで来るんだけど、そのときだいたいみんなお酒だから癖で頼んじゃった」
「ハハハッ、ええって。もしかしてちゃん結構いける口なん?」
「普通普通。嗜む程度です」
「それにしても青山にこんな感じの店あんねんな」
「逆におしゃれカフェみたいなとこはほとんど知らないんだよね」
「腹減っとるし、こういう店の方が気楽でええわ」
「そうそう」

 お待たせしましたー、と料理が運ばれてきて黙る。気楽って悪い意味じゃないんです! っと内心弁明したい気持ちをむずむずと抱えていると、同じく気まずそうな白石くんと目が合い、苦笑いを共有した。

ちゃんの作品、かっこよかったわ」
「ありがとう。でもだいぶ異質で、卒業もギリギリだったんだ」

 ふふふ、と笑う。終わったことだから笑えることだ。

 わたしの卒業作品は、簡単に言えば小さな正方形のキャンパスを無数に並べたモザイクアートだった。イラストが描かれたキャンパス、写真を張ったキャンパス、後ろに小さなモニターを仕込み動画が流れる仕組みになっているキャンパス。それを縦に二十個、横に二十個。近くで見れば、一つ一つが鑑賞対象になり、離れてみるとまた違った見え方をする。対象との距離感を鑑賞者に意識させる、というのがコンセプトだった。

「って、もっともらしいこと言ってるけど、ほんとは違うの」
「どうちゃうん?」
「ただ絵が描きたかっただけ」
「シンプルでええやん。でも卒業制作ともなるとあかんのか」
「んーうち一応デザイン科だからね。絵を描きたいだけじゃアウトなんだよね。でもね、描きたかったんだ」

 ビールをぐいっと飲み干す。おかわりはさすがにやめておいた。

「千里がいなくなったあと、しばらくわたしなにもできなくなっちゃって。ずっと自分の部屋から出られないでいたんだけど、気がついたら手に鉛筆握ってそれでそこら辺の紙にガーッて絵描いてて。昔からの癖なんだよね、ノートのすみとかに落書きする。そんな感じで無意識だったんだけど、気がついたらそれがすごい量になってて。それではじめて、『あ、わたし、ずっと絵が描きたかったんだ』って気づけたの」

 美大受験に反対する両親をなんとか説得するために美大の中でも企業就職実績が多いデザイン科を選んだ。デザインは嫌いじゃない。むしろ好き。実際に学校に入学して学ぶうちにもっと好きになった。周りもデザインが好きな子ばかりで、彼らから受ける刺激も楽しい。充実していた。だから、自分でも忘れていたのだ。いや、違う。自分の本当の気持ちに蓋をしていただけだ。絵を描くことが好き。けど苦しい。描きたい、描けない、描きたい、描けない、描きたい、描けない。永遠のそのループ。描き続けているかぎり終わらない孤独な旅に出かける勇気がなくて、自分の中に確かにあった光から目を背け続けていたが、本当に孤独になって暗闇に堕ちたとき、わたしを照らしてくれたのもまた、その光だった。

 遠回りしたが、やっと戻ってこれた。あと必要なのは覚悟だけ。

「イラストレーターとしてフリーで仕事をしていこうと思うって両親に話したら勘当されちゃった」

 それみたことかと父には呆れられ、約束を破る気かと母には泣かれた。でも、わたしは自分の意志を曲げなかった。

 これまで育ててくれたこと、わたしの将来を案じて心配してくれていること、ありがたいとは思うけど、わたしはわたしだから、と。「ごめんね」と別れ際に謝った。父は無言だったが、母はわたしの手を握ってくれた。

「千里と一緒にいるあいだにわたしずいぶん素直になれたんだ。わたしがわたしでいてもいいって安心できた。それがあったからこの決断ができたんだと思う。だからね、無駄じゃなかったんだなって。今は思えるよ」

 うそ。ほんとはちょっと強がり。でも、こうやってちゃんと前を向いているところを他人に証明したかった。

「白石くん、このあと時間ある?」
「ん?」
「一緒に工芸科の卒展見に行かない? わりとすぐそこなんだよ」
「……ほな一緒に行こか」

 工芸科の卒業制作展は、原宿のギャラリーで開催されていた。受付で芳名し、会場に入る。会場全体が暗く、作品作品にスポットライトを当てた重厚感のある展示になっており、自分たちの展示会場の雰囲気とはまったくの別物で興味深い。

 ひとつずつ作品の解説が書かれたキャンプションを読みながら進んでいく。しばらく見て周っていると、とんとんと肩を軽く叩かれた。

「やっほー」と笑顔で声をかけてきたのは、千里と一緒にいる頃に何度か話したことのあるギャルの子で驚いた。

「ねぇ、あっちの作品見た?」
「ううん、まだ」

 じゃあ来て来てとね招きされてついて行く。パーテーションで仕切られた一番奥のスペースにつくと、足が止まった。

 遠くからでもわかる。あれは──

「え、なんで……」
「千歳、卒制完成させてたんだよ。いなくなる前に。ま、提出の前に学校辞めちゃったから正式なもんじゃないけど、もったいないよねって」

 みんなで勝手に展示しちゃったんだーと言われ、呆れながらも笑ってしまった。

 彼には才能があるから周りにひとが集まる。そんなふうに思っていたこともあったが、たぶんそれだけじゃない。なぁにやってんだ、しょうがないなぁ、とひとの手が差し伸べられるのは彼のおおらかな人柄ゆえだろう。最後まで千里は千里だったのだ。

 千里の作品は大きな大きな額縁のようなものだった。実際には中にキャンパス的なものはなく枠のようなオブジェが存在しているだけなのだが、ぽっかりと空いた真ん中の空間には不思議な吸引力があり、見るものを強烈に惹きつけた。キャプションにはなにも説明が書かれていない。それもあいまって異質でとても不思議な作品だ。

「気に入った?」と訊かれ、「うん」と素直に頷いた。

「お、この作品でっかいなぁって、え? 作者千歳??」

 会場に入ってからは適当にバラバラに見ていた白石くんが追いつきやってきた。え? え? と混乱しながら、作品に圧倒される白石くんは面白い。

「え、てゆーか新彼氏スーパーキラキラアイドルイケメン。すごっ! 羨ましすぎる!」
「あ、違うよ。彼氏じゃないよ」
「まだ的な?」
「いや、永遠に。彼、千里の友達」
「元彼の友達もイケるタイプなんだ!」
「わたしの話聞いてる??」

 白石くんが本当にわたしと関係がないと知るとギャルは白石くんにロックオン。最後にはLINEのIDをゲットしたのだからコミュ力恐るべしである。

「これさ、展示終わったら一回学校に持って帰るんだけど、そのあとは廃棄予定なんだって。もし欲しかったら、もらいにきたらいいよ」

 じゃあね、とギャルは手を振って、白石くんには連絡するねとハートをつくり去っていった。たくましい限りだ。

「白石くんにはああいう底抜けに明るくて元気な子、合うと思うよ」
「そうかぁ? せやけど俺押しが強いの苦手やねん……」

 しっかりしろよ、と励ます気持ちで白石くんの背中を叩く。

 ひとの心配ばかりじゃなく、そろそろ自分のことも考えるべきだろう。心配をかけたその二としてのセリフではないが。

「……これ、もらうん?」
「まさか。てゆーか、こんな大きいの部屋に入るわけないし」
「せやな。うん」

 わかってる。どう考えてもわたしが引き取るべきものじゃない。でも、どうにかして彼の実家にでも送れないのだろうか。捨ててしまうくらいなら……うん、わかってる。わかってる。ダメダメダメ。ダメ絶対。