部屋にあった荷物をあらかた処分した足そのままで空港へ向かった。

 行けるところまで行くつもりだった。予定も特に決めず、心のままにその日進む方向を決める。どこにいてもそれは変わらない。

 耳をつんざく車のクラクション、なにかを矢継ぎ早に訴える甲高い声、砂埃が纏わりつき虫が集まる、快か不快でいうなら不快が日常だが、そういうものだと思えば案外あまり気にならない。徒歩以外の交通手段も使ってどこまでも行く。人が鮨詰めにされる列車やバス、レンタルスクーター、どこまでもどこまでも。一度か二度ここから先は危険だからと止められたこともあった。そういうときは素直に従う。別に死にに来ているわけではないからだ。そういうときは行き先を変えればいいだけ。

 本当にどうにもならなくなったのは世界中に未知のウィルスが蔓延したときだ。

 泊まっていた格安のバッグパッカー用の宿舎ではウィルスがすぐさま猛威を振るった。その結果無慈悲にも閉鎖になり、移動を試みるも他の宿舎も同じような状況なうえ、ほとんど門前払い。感染するのも時間の問題で、実際に風邪の初期のような症状がすでに身体を脅かしていた。これまで旅先で体調不良になったことも少なく、なったとして二、三日大人しくしていれば治っていたが、この状況が違うことはなんとなく直感でわかった。熱で頭が朦朧とする中しかたなくバッグパックを枕に公園で寝ていたら、チリンッと鳴った鈴の音で目が覚めた。

 スリだ。ひょいっと俺の枕がわりのバッグパックを攫い、逃げていく。だめだ、まずい。追いかけようとしたが、身体が言うことを聞かない。伸ばした指先がほんのわずかなところで届かない。腕は宙を掻き、そのまま前につんのめって、転んだ。そこで記憶が途切れた。

 目覚めたときには病院だった。この国では英語が通じないことも多いが、病院は英語でコミュニケーションが取れた。「出身は?」と英語で問われ、「日本」と答える。

 驚いたことに俺の検査の結果は陰性でウィルスには感染していなかったらしい。じきに熱も下がるからと励まされた。

「不幸中の幸いですね」

 ととなりのベッドから日本語が聞こえた。

「あ、えっと、日本の方ですよね?」と遠慮がちに訊くのは、三十代ぐらいに見える色白の男だった。

「俺も陰性だったんです。タイミング悪いですよね。こんなときにこんなとこで風邪ひくなんて」

 男は海外出張中に体調を崩し、ここに来たらしい。予期せぬことが予期せぬことを呼び、途方に暮れていたところだったと力無く笑う。

 看護師がときどき様子を見に来た。ほぼ全身を覆うようなビニールの防護服に完全に髪を覆う帽子、医療用メガネ、そしてマスク。コミュニケーションには不可欠な表情がほぼ読めない。英語が苦手らしいとなりの男は何度も質問を聞き返し、しまいには看護師に怒られていたのでさりげなく間に入ってやった。

「助かった。ありがとう。言葉が通じないのはね……堪える」

 あぁ早く帰りたい、と男は天を仰いだ。

 帰りたい。帰りたい、か。俺はどこに? 日本を出るときに住んでいたアパートは引き払った。たしかに九州の実家にはこんな状況下なので一度くらい連絡を入れた方がいいかもしれないが、それは帰りたいとはまた違う。

 警察がスリに盗まれたバッグパックを届けてくれた。奇跡的に中身も無事であるが、底にあてがっていたテープは剥がれ、もはやそれはカバンの役目を果たせそうもなかった。だが、こうして手元に戻ってきたことはまごうことなき奇跡だろう。

 バッグパックのファスナーに付けていた鈴がチリンッと小さく音をたてた。

 鈴には厄除けの効果があるらしい。ウィルスに感染しなかったのもかばんが返ってきたのもこの鈴のおかげだろうか。

 自然との顔がぼんやりと脳裏に浮かんだ。

 と出会ったばかりの頃の夏。世界を小さく切り取って他人と感情を共有して繋がることに意味を見出せないと思っていたのに、いつのまにか俺のスマホの写真フォルダにはに見せたいものがポツポツと増え続けた。そんなお土産みたいなものがいっぱいになれば当然逢いたくなった。早くこれを渡したい。早く帰りたいと思って旅から帰ったのははじめてだったかもしれない。なのに連絡手段をなくし、すぐには会えず、実際に会えたのは帰国の一カ月もあと。だからかもしれないが、そのときのことを鮮明に覚えている。俺の帰りを待っていたのだとわかる笑顔が嬉しくて、俺もつられて笑ったこと。「会いたかった」と何故か素直に言えず、咄嗟に金を貸してほしいなんて馬鹿みたいなうそをついたこと。

 帰りたい場所。それはすなわち帰りを待ってくれているひとがいる場所なんじゃないかと思う。

 服の内ポケットに入れていて無事だったスマホの電源を久しぶりに入れた。写真フォルダを見返せば、浴衣姿で両手をあげて困ったような怒ったような顔で俺を見ているがいた。逢いたいと心の底から思う。逢いたい。それは帰りたいと同じ意味だ。いまさら。そう、いまさら。

 退院してからしばらくして、病院でとなりだった男から連絡が来た。日本行きの航空チケットが取れたから一緒に帰らないか、とのことだった。言葉のことでずいぶん助けられたからそのお礼だと言われた。男は結婚していて、日本の自分の家には帰りを待つ妻と子どもがいるらしい。

「本当にいいの? 次はいつ飛ぶかわんないんだよ?」
「実家には連絡ついたんでよかとです」
「帰ってこいって言われなかった?」
「好きにしろって」

 ワールドワイドな放浪癖をもはや家族は放任だった。ありがたい。思えばかなり昔からそうだった。大阪へ行きたい。東京へ行きたい。止めても無駄だという諦めなんだろうが、いつも最後はあたたかい笑顔で送り出してくれた家族。自分はつくづく周りの人間に恵まれていたのだなと改めて思う。

 日本には帰らない俺に男、もとい竹井さんは住む場所を用意してくれた。会社の保養所らしい。たいしたところではないがと言われたが寝床があるだけで十分である。

 ウィルスの猛威は治まらない。どこへいくにもマスクがいる。閉塞感。感染していないのに具合が悪くなりそうだった。無為に時間だけが溶けていく。それがいやで、新しく知り合いになった近所のひとの畑仕事を手伝ったり、店番をしたりして過ごした。なにもせずじっと部屋に閉じこもってるよりいささかマシだ。

 日本からなにか送ろうか? と家族から電話がきたが、別に特段困っていないと言えるくらいには生きていられた。

〈ああ、そういえば卒制? ていうん作品? 学校に置きっぱなしになっとるって。そんで、えーっと、なんやったかな、なんとかサンって子が『欲しいんですけど、もらっていいですか?』ってわざわざ連絡くれたとよ〉

 あげてよかったよね? とあげたあとにいまさら訊く母が面白い。「よかよか」と笑って返した。作品を誰かにあげることはいままでもにも何度かあったし、誰かがいいと思ってそれをもらってくれるなら好きにすればいい。ただあれはだいぶ大きなものなので、物好きがいるもんだなとは思う。

 電話の途中で玄関の呼び鈴が鳴った。

〈誰か来たけん、切るとよ〉
〈あー待って待って! あともうちょっとで思い出しそう!〉

 また呼び鈴が鳴る。ドアノブガチャガチャと空回りする音がした。こちらが開けるのを待てないとは急用だろうか?

〈そうそう思い出した思い出した! サン! サンって子やった!〉

 きっと近所の誰かだろうと通話したままドアを開けると、ドアに体当たりを食らわせようとしていたらしい誰かが胸に飛び込んでくる。

 そんなはずない。そんなはずないのに、視線を落とした先には懐かしい瞳がこちらを見上げて潤んでいた。