トントントンと小気味いい音がする。
ふわぁっと漂うのは卵の香りだろうか。鼻が効かないのでわからない。
オサムちゃん帰ってきてくれただろうか。嬉しい。
ほっとしたのも束の間、すぐに我にかえる。 いや、待て!オサムちゃんが料理!ないないないない!じゃあ誰!!
一気に血の気が引き、ガバッとベットから起き上がる。

「起きたんか?調子はどうや?」
「え、なんで…」
「今日オサムちゃん、緊急職員会議入ってしもうてしばらく帰れへんのやて」
だから代わりに面倒みてほしいって鍵わたされたんだと、白石が説明した。
「部活は?」
「もう七時やで、とっくに終わったわ」
おでこには知らぬ間に冷却シートが貼られていた。
それよりポカリ、飲むか?と未開封の冷たいペットボトルを渡される。
「台所、勝手に借りたで。今、お粥作っとるから、もう少し待ちや」
あ、エプロンも借りてるで、っと付け加えられたが、そんなこと心底どうでもいい。
どうでもいいが、ピンクのエプロンが凄くよく似合ってるぞ白石、と彼の背中をベットの中から見送った。


喉に違和感があり、鼻水が水のように垂れそうになる。しかしまだなんとか許容範囲内だ。 もうすぐ関西大会が大詰めだ。少しでも、マネージャーの仕事をしたかった。私にはサポートしか出来ないから、せめてそれくらいは完璧に…と言ってそのまま仕事に取り掛かろうとしたら、白石に怒られた。そしてそのまま半ば、無理矢理家に帰された。今日の朝練のときのことだ。

白石にこれ以上心配かけないと決めた矢先にこれだ。自分が情けなかった。


「ご馳走さまでした」
「お粗末さまでした、お腹休まったらもっかい熱計っとき」
そう言って白石は微笑んで、私が完食したお皿を台所に下げに行ってくれた。
白石が作ったお粥は美味しかった。普段から料理してるのかもしれないなと頭をよぎる。
それにオサムちゃんにでも聞いたのか、私が好物な桃も剥いてくれた。こういう小さな気配りをできる同級生の男子は少ないんじゃないかと思う。

「なんぼや?」
体温計を覗かれる。
「37.8℃」
「一応下がってきたか…でもまだ顔赤いな…しんどくないか?大丈夫か?」
「…うん…、大丈夫だよ」
まだ頭もクラクラするし、鼻水なんか滝のようだけど、そう言わないと白石が余計心配してしまうだろう。そう思って元気なフリをしたが、途端にくしゃみがでた。鼻水が垂れる。
鼻をかむ私を見る白石の目は険しい。嘘つけって顔をしている。
「…ごめんな…」
強がりも完璧にできなくて、申し訳なくって謝る。
「…こっちこそ今朝、怒鳴ってごめんな」
「いや、大事な時期やし、風邪みんなに移したら大変や。こっちこそ気づかんくてごめん」
「ちゃうわ!そんなこと言ってんやない!…はいつも他人のことばっかやから…自分のこともちょっとは大切にして欲しいんや」
それはこっちのセリフだ。他人のことばっかりなのは白石だ。
いつもそうやって、誰かの世話を焼いてる。今だってそうだ。練習で疲れきっているはずなのに、わざわざ勝手に風邪を引いたマネージャーにまで気を使っている。
白石は優しい。
でも自分には厳しい。
いろんなものを一人で背負い、自分たちが目指す場所はここではないと、上を仰ぎ続ける。
私はそんな白石たちに何もしてあげることがなくて、いつも悔しい。

「…なんかして欲しいことない?」
「ん?」
「お礼」
「そんなんいらんわ。そんなんはええから、早よ治ってや」
「…でも何かしたい」

私ばっかり白石に助けられてる。その優しさを少しでも返したい。
白石ばっかり損している気がする。
優しい人ばかりが損するのは違うと思う。
優しい人には、誰より笑ってて欲しい。頑張っている人は、誰より報われて欲しい。

「せやったら、お弁当作って」
そういえば去年の夏に一度だけ、白石たちがこの家に来て私が作ったご飯を食べたことがあったなっと思い出す。
「またのご飯食べたい」
「そんなんでええの?」
「うん。それがええ」
「…わかった」
「ハイ!じゃあもう寝、無理すると治るもんも治らんよ」
そう言って少し強引に私に布団をかける。立ち上がって部屋から出て行こうとする彼に思わず声をかけてしまった。
「帰るん?」
「まだ帰らんよ。どっかの誰かさんがちゃんと休むまで監視しとかなな」
白石が私のベットサイドに腰を下ろし直す。その表情は優しい。
白石は優しい。優しい、優しい、優しい。
本当はずっと一日独りで部屋で寝ているのは心細かったんだ。
白石に迷惑はかけたくない、心配をかけたくない。そう思っているのに、風邪で弱ったのは身体だけではなかったらしい。弱った心からそっと本音を漏れてしまった。
自分の行動は矛盾している。そうわかってるのに、白石の前だと何故か弱い自分が露わになってしまう。
きっと無意識的に優しい白石に甘えているのだ。
だけど今日はもう少しだけ、あと少しだけ一緒にいて欲しかった。
お弁当なんていくらでも作ってあげる、だからどうかもう少しだけ。

私はそう思いながら安らかに眠りに落ちた。