今年も無事、夏がやってきた。
朝の集合には何の問題もなかった。遅刻者が約二名いたが、それすら織り込み済みで時間を決めていたので大丈夫だった。
はずが…
「金ちゃんがおらんー!」
「どないしよう?いつの間にや?」
さぁそろそろ東京に着くぞというときに金ちゃんがいないことが発覚した。
「車内のどこにもおらんわ。途中で降りたんかな?」
「なんでそんなアホなこと…」
「あ…」
「なんや、…」
「いや、わからへんけど、修学旅行のとき新幹線で千歳クンが金ちゃんに富士山見ながら「富士山は東京のシンボルや」って教えてへんかった?」
「はぁー?それ、ほんまか!てか正真正銘のアホはお前か!富士山は静岡や!」
「んー覚えてなか。けんど静岡も東京も同じ関東ばい!」
「千歳ー!!」
白石の怒号が東京駅で炸裂する。
四天宝寺は今年も全国大会出場を決めた。やっとここまで来た。あとは全力で試合に挑むだけだ。悔いが残らないように。
そう思っていたのに、出鼻を思いっきり挫かれた気分だ。
とりあえず会場で金ちゃんと再会することはできた。
金ちゃんにどうやってここまで来たのか聞くと、走ってきたという謎な答えが返ってきた。
もう駄目だ。金ちゃんは中学生じゃない、五歳児だと思おう。
「金ちゃん、お願いだから勝手によそいかんで。私の側におってね」
そう言って彼の手を握る。
「おう!」
満面の笑みで返事する金ちゃんの隣で、白石がすでに疲労感を感じているように手で目元を覆っている。
…白石、頑張れ。
◇◆◇
シードで迎えた初戦は何の問題もなく勝利を収めた。
続く第二戦目。四天宝寺対不動峰。これに勝てばいよいよセミファイナルだ。
金ちゃんが勝ち、忍足石田ペアも勝った、次は千歳クンだ。
しかし千歳クンがなんだかいつもと様子が違うような気がするのは気のせいだろうか。
「因縁の対決や」
オサムちゃんがつぶやく。
「千歳、ここが正念場やで」
そう言って送り出された千歳クンは片手の拳を上げて応える。
やっぱりいつもの千歳クンじゃない。
テニスがわからない私でもわかる。今までずっと力を隠していたのだろうか、そう疑ってしまうほど今の彼は別格の強さだ。
こんな風に戦っている彼を初めてみた。
しかし相手も互角。決着はなかなかつかない。
「千歳はアイツと戦う為にもう一度
隣で試合を応援していた白石がまっすぐ千歳クンを見たまま言った。
「勝たなあかんで、千歳」
白石が拳を強く握る。私も応援の声に一段と力が入る。
頑張れ千歳クン。頑張れ、頑張れ!
不動峰戦は見事千歳クンが勝利を収め、四天宝寺がストレートでセミファイナルを決めた。
本日の試合が終わり集まって宿泊施設に戻ろうとしたが、千歳クンがいない。いつものことなので、またかっとため息がでた。
これはもう右手に金ちゃん、左手に千歳クンじゃないと駄目かもしれない。
そんな風に思っていたのに、オサムちゃんの言葉でそれがもう意味のないことだと知る。
「千歳はテニス部辞めたで」
金ちゃん以外はみんなは何処かで納得しているようだった。
白石もだ。白石も千歳クンを探そうとする金ちゃんを止めていた。
◇◆◇
ホテルについて一段楽して、窓の外を見ていると荷物を持った千歳クンが見えた。
今まさにホテルから出ようとしている。
私は思わず走って、外に向かっていた。
「千歳クン!」
ゆっくりと大きな背中が振り向く。
「おー、見つかってしもうたと」
千歳クンは大きな荷物を持っている。本当に辞める気なんだと改めて思い知る。
堪らず、荷物を掴む。そんな私を千歳クンは優しい顔で見ている。
「もうテニスする意味がなくなったと」
だからもう出て行くのだと。みんなには悪いと謝っておいてくれ、千歳クンはそう言った。
「意味なんてなくてもええやろ。これからは自分の為にしたらあかんの?」
千歳クンは、いつも捉えどころがなくて何を考えているのかわからない。
普段はヘラヘラしていて、のんびりしていることが多かったが、時より垣間見せる闇があることに私も気づいていた。
それがなんだか少し自分に似ているな気がして、勝手に親近感を抱いていた。
だからこんな風に出て行く彼が心配だった。
千歳クンは大きな手で私の頭を撫で、鞄を掴んでいた私の手をそっと剥がした。そしてやっぱり去っていった。
失ったものは戻らない。
けれど、人は生きていると新しいものを手にすることもできる可能性を秘めている。
そのことに千歳クンも気づいて欲しい。
私が白石に教えてもらえたように。
みんな報われてほしい。
千歳クンも。報われてほしい。