夏が終われば秋がくる。
当たり前だ。新学期になれば、私たち三年生は受験一色だった。


だったら、どこでだってやってけるで」
そんなことで悩んでるんじゃないわ、とその教師の横っ面を張っ倒したくなった。
「とにかく、三者面談までには進路希望だせや」
「…ハイ」
私は白紙の進路希望の紙を持ったまま職員室を出た。
今までずっと自分のことは後回しにしていた。
それは別に誰かのためだとか立派な理由ではない。ただ自分自信に向き合うことを意図的に先延ばしにしていただけだ。
ふと見る自分自身は空っぽで情けなくて嫌いだった。今の私には、強烈に惹かれるものも、達成したいと汗を流せる目標も何もない。
つい最近まではそんなことどうでもよかった。目の前にあるものに立ち向かうだけで精一杯だった。
けれど、近くで彼らを見ているうちに、いつの間にかそういったものたちを羨ましく思うようになっている自分に気づいた。
だって彼らの背中はいつだって眩しかった。今まで私はその背中をただ目を細めて見ているだけだった。
私にはいったい何ができるんだろう。今すぐ答えを出さなければならないという状況が重圧となって私にのしかかる。
ため息をつきながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
振り向くとそこにいたのは白石だった。
久しぶりだなと思った。思ったけれど、すぐにそんなことはなかったと思い直す。
昨日も廊下で会っている。
しかし部活を引退してから白石と顔を合わせる機会は極端に減った。
ついこの間まで夏休みで、朝から晩まで一緒にいたのに、それが今は一日に数回、廊下や下駄箱で顔を合わせるだけになった。
遅くなることもないので、もう二人で帰ることもない。
ユニフォーム姿ではなく、白いYシャツ姿の白石は髪色と相まって眩しく見えた。

「ため息なんかついてどないしたん?」
「…ちょっとな。…白石はもう志望校決まっとるん?」
「まあな。北城や」
白石が言った高校はこの辺では一番頭の良い私立の進学校だ。そして確かテニス部が強かったはず。 白石にぴったりだ。
は?」
「…なんや、改めて考えると自分の得意なことってわからんくなって…自分のことなのに情けないな」
真っ白な紙を持っている手を改めて見る。
その紙は今の私自身を表しているようで悔しい。
「ちょっと発想を変えてみるのはどうや?」
「どういう風に?」
「得意なことやなくて、好きなことを探してみたらいいんとちゃう?それならちょっとは気い楽にならへん?」
白石が励ますように私の肩に軽く触れた。
丁度自分の教室に着き、立ち止まる私を残し白石がほななっと離れていった。


ちゃん、大丈夫だった?」
サッカー部のマネージャーの子が呼び出しから帰ってきた私を見つけて尋ねる。
「うん。早よ進路希望だせ言われた」
「そっかー」
「…自分はもう進路決まっとるん?」
ふわふわしているように見えてこの子は案外しっかり者だ。今だって休み時間は勉強していることが多い。
「うん。福祉科がある高校に行こう思っとるよ」
「福祉科?」
「私、人のお世話するの性に合ってるんよ。それにお世話して、相手が笑った顔をみるのが好きなんや」
そう言って笑った彼女を見て、思い出す笑顔が私にもいくつかあった。
私が作った料理を食べて、美味しいと笑う人たちの顔だ。私はその顔が好きだ。そのことに改めて気づく。
得意なことでなく、好きなことを夢ににすればいい。さっきの白石の言葉が私の中で静かに形になった。


「んで、第一希望は桜嵐か。まぁ、なら妥当やな。けどもっと上の私立やなくていいんか?」
「はい。高校に入ったらバイトもしたいので、バイトが許可されてる公立一本でいこうと思います」
専門的な勉強はもう少し後から始めることにした。まずはバイトをしてそこから少しずつ学んで行ければと思っている。
「そうか。まぁお前がええならそれでええわ。…ところで…」
「はい?」
担任がオサムちゃんを見ながら唸る。
「お前の保護者は他におらんから仕方ないやろけど…やりにくいわぁ…」
「気にせんでください。よくおる優等生の娘とだらしない親父の図やで」
オサムちゃんの笑顔に、担任が盛大なため息をついた。


そんな一風変わった三者面談を終えて、オサムちゃんと分かれた。オサムちゃんはまだ仕事が残ってらしいので、明るいうちに先に一人で帰ることにする。
廊下を一人で昇降口に向かって歩いていると、白石と白石の母親らしき人が下駄箱にいるのが見えた。
初めて見たが、白石の母親は小柄で綺麗な人だった。
や。マネージャーの」
白石が私に気づき、紹介してくれる。
「こんにちは」
「こんにちは。いつも蔵ノ介がありがとうね」
いえ、こちらこそと挨拶をしながら見たその目は白石によく似ていた。
あぁ、白石は母親似なんだなと思った。
「じゃあ、私は先に帰ってるわね」
そう言って白石のお母さんは先に帰っていった。

も今三者面談終わったん?」
「うん。担任が気まずがって早う終わったわ」
「確かにオサムちゃんやと先生もやりずらそうやな」
私が笑うと白石も笑った。
白石が靴を履いて、先を歩き出す。その背中に向かって、私は宣言するように声を出した。
「白石、私決めたわ」
「そうか」
振り向いた白石はそれがなんなのかも志望校がどこなのかも聞かなかった。
ただいつもの優しい顔で、
だったら、どこでだってやってけるで」
そう言ってくれた。
いつかの教師と同じ言葉のはずなのに、白石から聞くと全然違う響きに聞こえる。
勇気が湧いてくる。
白石は不思議だ。

私はその背を目指し、歩き出す。